※遊星と覇王













最初は歩いているつもりだった。



ここはどこだろう。辺りを見渡しながら、遊星は人気のない通路を歩いていた。真っ直ぐに伸びる通路は、等間隔に並ぶ綺麗に磨かれたガラスから暖かな光が差し込んでいる。対面の壁に掛けられた火の灯っていない燭台は繊細な装飾が施されているのが読み取れ、質の良さそうな明るい色の絨毯が敷かれた床は、汚れどころか埃一つ見つからない。少し歩いただけでも、ここが丁寧に整備された立派な建物の中なのだろうと推測ができた。


だが、人の気配が全く感じられない。


窓ガラスが太陽光をふんだんに取り込み、明るく照らされた通路の途中で、遊星は薄ら寒いものを感じて足を止める。足を止めたついでに窓の外へ目をやると、青く明るい空の元に広大な渓谷と、海に囲まれた街が見下ろせた。

窓の外には動きがない。街どころか海すらも静寂に沈み、雲のない空はただ青く固まっている。人どころか、生き物一つ見つけ出すことが出来なかった。鳥でも飛んでいれば良かったのにと、空を探る自らの視点に気付き、遊星は急かされるように再び歩きはじめる。





一人では、きっと生きられない。人類最後の人間となってしまったもう一人の自分のことを思う度に、遊星は考える。誰かのためにしか生きられないのではなくとも、誰かが居ないと自分のためにも生きられない。自分という人間を、遊星はそう捉えていた。だからこんなにも心細い。現状を客観的に見ることで焦りを抑えつけようとしていることぐらい、遊星にも自覚があった。

早足になろうとするのを意識して宥め、道なりに角を曲がる。角の奥には窓がなくなったことで薄暗くなった通路が、同じように続いていた。そして、視線を正面に伸ばした先に、覚えのある赤い服を発見する。遊星は思わず声をあげた。


「十代さん!!」


遊星が名前を呼ぶと赤い服の青年は足を止め、声の方へ顔を向ける。しかしその表情は遊星の知らない感情のないもので、瞳は冷たい金の色をしていた。


「……不動遊星、か」


抑揚の無い声で自分の名を呼ばれ、遊星は周りの空気が張り詰めていくのを感じた。それは人ならざるものから発せられる、気配。恐怖とも呼べる感情が湧き上がるのを感じた。だが、遊星には確かめなくてはならないことがある。


「お前は十代さんでは、無いな。誰、いや、何だ?」

「覇王と、呼ばれている」

「お前が十代さんで無いのなら、十代さんはどこに?」


遊星が尋ねると、覇王と名乗ったそれは口を閉じる。遊星を正面から捉え、恐怖さえ覚えそうになった金の眼が、何時の間にか外れていた。口を噤んだ覇王に、遊星は少しだけ声を低くする。


「何故、答えない。答えられないのか?」


覇王は微かに俯いて眼を閉じた。金の色が消えれば、その姿は遊城十代にしか見えない。遊星の知る赤い服の青年は、明るく頼りがいのある人物だった。未来から来たなどという自分の話を受け入れ、さらにそんな状況ですら楽しもうとしていた。好奇心で彩られた眼は、再び向けられたそれのように、冷え固まってなどいなかった。


「お前と十代を、会わせる訳にはいかない」


赤い服を翻して、覇王は遊星の視界から姿を消す。薄暗い通路を先に進むと、上に続く螺旋状の階段があった。


「十代さんに、何かあったのか!?」


上へと遠ざかっていく足音に向けて、遊星は声を張り上げる。返事はない。もっと近くにいけば、わかることもあるかもしれない。遊星は走り出した。






「大丈夫だって! 一回深呼吸でもしてみろよ」

世界が崩れていく中でも、十代は笑っていた。
遊星は促されて初めて、自分が冷静でなかったことに気づき、言葉に従って空気を吸い込む。見えていなかったものが見えてきた気がした。

共に過ごした時間は少なかったが、自分にないものを持つ十代を遊星は尊敬していた。そんな彼に何かあったのだとしたら、自分に出来ることをしたい。遊星は唯一の手掛かりを追って、螺旋階段を登りきった。先程居た場所と変わり映えのしない薄暗い通路の先に、辛うじて赤い背が確認できた。覇王はまだ遊星から逃げている。

何故、覇王は逃げるのだろうか?

対峙した時に分かった、あれは人ではない。恐ろしく強大な力を持った何か、だ。姿から関係があることは確かだろうが、あの眼は、あの気迫は、あの表情は、十代とは違う存在だと示していた。そして覇王は、十代に遊星を会わせたくない、らしい。逆に考えると、


「……追い付けば、十代さんに会えるということか」


遊星は絨毯を蹴る。そしてさらに考える。覇王が強大な力を持っているのは確かだ。その気になれば遊星の息の根を止めることは容易いだろうし、無数の命を奪ってきた気配もあった。だからこそ、おかしいのだ。何の力も使わず、ただ遊星に背を向ける姿が。


「覇王は俺を近付けないようにしているというなら……」


遊星の目にもう迷いはなく、距離を縮めることだけを考えていた。だから距離はすぐに縮まる。


「そこに十代さんのいるんだろう!?」

「……十代は、」


叫ぶような声の問いに、覇王は振り返るために首を捻る、と同時に、遊星は半ば飛びかかるように、赤い肩を押した。


「十代さんを、返せ!!」


その場所は通路の終わりだった。そして先には、下の階と吹き抜けになって開かれた空間が広がっていた。それに遊星が気付いた時には、覇王の身体は、嫌な音を立てて階段を落下していた。

四方から伸びる階段は、それぞれに異なった意匠を施された飾りガラスから、色を持った光を携えて空間の底に繋がっている。複数の色の光が、底に沈んだ覇王の身体を染めていた。あの赤は、いったい。


「あ、……ぁ……」


全身の血液が温度を無くし、落ちていくようだった。言葉にならない声が洩れる。それでも、震える指を握り締めて、遊星は階段を駆け下りた。出来ることがあるなら、しなくては。

外傷は特に見当たらなかった。覇王の薄く開いた眼が遊星を見つけると、かすれた声で何かを言う。なんとか聞き取ろうと遊星は顔を近付けた。


「十代は……眠って、いる……誰も、知る者のない、世界で、静かに……眠って、いた」


覇王は眠るように眼を閉じる。


「十代なら、話を聞いてもらえると思ったんだろう?いいぜ、話してみろよ、遊星」


再び上がった瞼の中には、左右の色が違う眼があった。





十代はふわりと浮かび上がる。その背中には半透明の悪魔の羽根が確認できた。階段の上、飾りガラスの前に十代がゆっくり降り立つと、その羽根は十代の身体を優しく包んでから消えた。


「遊星が望むなら、話ぐらい何でも聞いてやるぜ。言ってみな」


遊星は、知らずと言葉を紡いでいた。きっとそれは、ずっと考えていたことだったのだ。


「俺には時間が必要なんです。どうしても、足りなかった」


遊星は未来に存在した己を信じている。全てを救えたのだと。ただ、時間が足りなっただけなのだと。
だから迷わない。己がなんであれ、全てを救えれば不動遊星は成り立てるのだから。


「俺に、時間をください」


階段の上で待つ者を見据え、遊星は登る。そして慣れた動作で一枚のカードを抜き出した。遊星の手の中でカードが淡く光り、半透明の龍が背を守るように静かに降り立つ。白銀の龍は黙していた。


「手を貸してやるぜ」


十代は、手を差し出す。逆光の中、彼は笑顔を浮かべているように、遊星には見えた。人を安心させる、頼りがいのある笑顔だ。遊星はその手をとった。


「ようこそ、永遠の孤独な時間へ」


十代が空いている方の手にカードを掲げると、強大な力が渦巻くのを感じた。その力に人ではない何かの威圧を覚えて、遊星は覇王を思い出す。あれはいったい何だったのだろう? 疑問は十代の弾んだ声に遮られた。


「だけど、君がいればそうじゃなくなるかもな。一緒に頑張ろうぜ、遊星!」

「はい、俺も現在と未来のために、」


遊星が決意を言葉にした瞬間、遊星の意識は解け、強大な力・超融合の中に、従えた龍と共に飲み込まれていった。





「不動遊星、お前は、十代と会ってはいけなかった。己の望みを聞き入れる存在などに、遭遇してはならなかった。お前は、その存在が求める存在だったからだ。お前は自らの足で歩かなければならなかった。遊星、君は、俺のようになっちゃ駄目だったんだ」


十代の内に潜む心の思いは、闇の中に掻き消された。





……………………………………


「Ich bin krank」の海月様と同じお題で書かせていただきました。




「#年下攻め」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -