俺の現実はいつだって辛かった。

いつもあと少しという時に、突然真っ暗闇に落とされる。その瞬間は現実味なんて全くなくて、手も足も感覚がなくなってふわふわ浮いているような感じ。

(だけど這い上がってきたんだ)
(何度も何度も)

(でももう、限界かもしれない)


***

「あっというまだったね」

そう言うと、隣を歩く男はああそうだなと相づちを打った。

「中学の時の全国大会の決勝、覚えてる?」

あからさまに眉をひそめた真田の顔を見て、自然と笑みがこぼれる。

「悔しかったよねぇ、あの時は。あと少しだった。あと少しで俺は勝てて、あと少しで立海は優勝だった」

「幸村、それは――」


分かってるよ、と途中で真田の話を遮る。

(分かってる)
(それはもう何回も聞いたよ)


中学を卒業して高校に上がって、エスカレーター式で上がってきたチームメイトとまたテニスをやった。そしてその三年間、俺たちは中学の時に果たせなかった三連覇をとうとうやってのけたのだった。


そして今日は卒業式。

高校を出てそのまま同じ大学に進むやつもいるけど、俺と真田はそれぞれ違う大学を受けた。だから明日からは別々の道。毎日顔をつきあわせる日々は終わるのだ。

沈む夕日が帰路を、みかんのようなオレンジ色に染める。


「ねぇ真田」
「なんだ?」
「もし俺が女の子だったら、お前は好いてくれたの?」


先日、俺は真田に告白した。

いつからかは分かんないけど気付いたら好きでしたお前の隣にいるのは心地良いです出来ればずっとここにいたいですきっと意味が分からないお前のために要約するとつまりは俺と付き合ってください

胸の内に抱え込んでいた言葉を一気にまくし立てると、真田はしばらくぽかんと固まっていた。それから目をしばたたかせて「ななな何を言っておるのだお前は」の繰り返しだったから、少しだけ口調を強めて俺と付き合える付き合えないどっち?と聞いた。白黒としていた目がようやく事態を飲み込んだように落ち着いて、脇に視線を逸らしながら真田はすまんと一言言った。

ふーっと体中の力がいっぺんに解けて、それと同時に頭のてっぺんからツーと氷水を流されたような感覚がして、思考には白いもやがかかってくらくらした。


「ちゃんと俺を見て言って」

それでも頭の片隅は変に覚醒していて、苛々した口調でそんなことを言っていた。

誠実な真田はその誠実な漆黒の瞳を少し震わせながら、それでも真っ直ぐにこちらを見つめてその厚い唇を苦しそうに開いた。

「すまぬ、幸村」


***

「俺が女だったら付き合ってくれたの?」

俺の問いに真田は苦しそうに眉をひそめて、そういう問題じゃないと言った。

「きっと俺が女の子だったら学年で一番の美人だと思うな。そんな子に色仕掛けされたら真田はころっといっちゃうよ」

無理矢理笑顔を作って、だって真田はむっつりだからねと言えば、その彫りの深い顔いっぱいに苦渋の色が浮かんだ。


「なんてね、嘘」

意地悪く微笑む。


「そんなこと考えたって無駄じゃん。すぐ真田は真面目に捉えるんだから気をつけた方がいいよ」

いつもの十字路が見えてくる。いつもの分かれ道。ここで真田は右へ曲がり、俺は真っ直ぐ進む。


「じゃあ――、ね」

いつものようにそう言えば、真田は戸惑ったようにこちらを見つめていた。

「いやだな真田。まだ気にしてるの?実は俺昨日彼女出来たんだよね、告白されてさ。今はその子のことで頭がいっぱいなんだ。だって男が男を好きになるなんてやっぱりおかしいよ。あのときの俺は狂ってたんだ、だからもう忘れて、ね?」


黒い瞳はみるみる安心感を取り戻すと力強く光り、真面目な真田は大真面目に頷いた。

「ああ、分かった――」

「それじゃあね、」


とっとと帰りたくて別れの言葉を言うと真田はまだ何か言いたそうだったけど(きっと思い出話とかしたかったんだ)、あきらめたように目を伏せると元気でなと言って背を向けた。その見慣れた広い肩と雄々しいうなじ、そして地面に落ちる大きな影法師。

ほんとはあの目を真っ直ぐに見つめて、ありがとう、とかまた会おうね、とか大馬鹿野郎とか、もっともっと言いたいことも話したいこともあったのに。


夕日が沈んだ帰路を一人歩く。

涙は後から後から途切れることなく頬を伝って、視界はぐちゃぐちゃに歪んだ。

ずっとずっと大好きだった。支えてくれる手はいつも大きくて暖かくてそして優しかった。

その大きく優しい人がいったいどんな人生を歩むのか、どんな人達に出会うのか、何を感じるのか、どんな経験をするのか、どんな風に死んでいくのか、ずっと隣で見ていたかった。

ずっと傍に、一番としていたかったんだ。


(俺の現実はいつだって辛かった)

出会ってからの時間が酷く憎い。

(いつもあと少しという時に、突然真っ暗闇に落とされる)

最後に感謝の言葉すら送れなかった。

(その瞬間は現実味なんて全くなくて、手も足も感覚がなくなってふわふわ浮いているような感じ)

こんなにも辛いなら

(だけど這い上がってきたんだ、何度も何度も)

思い出なんていらないよ。

(でももう限界かもしれない)



「ねぇ真田、俺はおまえに殺されたいよ」


それがこの世で一番幸せなことだと思うの




fin.




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