切日←鳳
――――




悲しい歌を捨てたんだ

いつか君を失っても笑えるように。




blindness


ある晴れた日の放課後。
透き通った青の中を白い雲が泳ぐその空は、夕刻にほど近いことを教えない。


「あ…」

テニスコート。
打ったサーブが向かい側の日吉の頭上を切り裂いて、グランドの隅にあるわずかな林の中へ消えていく。追いかけていた目線を日吉に戻すと、彼はボールが消えていった方角を無言で指していた。


「はーい」


目尻を下げた申し訳ないという笑顔を投げかけていそいそと走り出す。それは普段なら一年生の仕事なのだが、自主練の日までそんな酷な作業はさせない。
貴重な練習時間を何度目かのボール拾いに奪われることに多少なりとも腹を立ててその眉をひそめているであろう日吉を後ろ手に察して、ごめんねと背で謝ってみる

伝わらないのは百も承知だけどね。


***

「あった!」


木陰に転がっていたボールを拾い上げ日吉の待つコートへ帰ろうと顔を上げると、目の前にしまったといった表情をべったりと貼り付けた、逃げようにも逃げれなく、奇妙な姿勢で固まったままの切原赤也がいた。



「切原!?」

「どもっす」


声を荒らげると後頭部をぽりぽりと掻いてばつが悪そうに笑った。


「何してんの?」


ほんとは聞かなくても分かってるけど。君がここに来る理由なんて一つだもんね。


彼はいつもの決まり文句だとばかりに偵察だよと笑った。


「嘘つき」


なんて口に出さない。
ただ心で恨みたっぷりに毒づくだけ。

ああ、今日は最悪だよ…。


***

テニスボールを片手に日吉が待つコートへ走る。


「日吉ー、遅くなってごめんー!!」


遅いと一喝される前に謝っておこうと、遠くからぶんぶんと手を振った。金髪の彼はちらりとこちらに視線をやると、あいつとは無関係とばかりにこちらに背を向けた。それが彼なりの冗談と知っていて、しかもそれは限られた人にしかやらなくて。

ほんの少しの優越感から笑顔がこぼれた。




「日吉ならコートにいるよ」


もう帰ったとか学校を休んだとかいくらでも帰す方法はあったのに、それでも教えてあげてしまう自分の心は、一体どこまで優しいのだろう。

ごくたまに、そんな自分に嫌気がさす。


突然「日吉」という名前が出たことに、切原はぎょっとしたように目を見開いた。


「なっ…な、な、何で!?」

日吉くんは関係ないよとあたふた手をばたつかせるがそれが答え。


「いつまでやるの?」

「日吉くんが帰――あ、いや、部活終わるまでだよ!!」


一瞬確信を口走った彼に苦笑しつつ、日吉が待つコートを見た。


「じゃあ俺は戻るけど、偵察とやらがんばってね」


にこりと笑ってきびすを返すと、「ねぇ!」と背中声をかけられた。進めていた足を止め、何?と肩越しに振り返る。

切原は視線をあっちにやったりこっちにやったり下を向いたり上を向いたり全く落ち着きのない動作を繰り返していて。

どーしたの?と声をかけると少しうつむいて、それから意を決したようにこちらを見た。


「おれ、好きな人いるんだ…よ、ね」



ああ、その話。
ふてくされた感情が態度に出る。


「ふーん…で?」

「おれって…脈ありかな?」


その名をあえて言わないのは、もう気付かれているという諦めなのか。はたまた一種の期待なのか。

視線を逸らして少し悩んだふりをした後に、「名前言ってくんなきゃ分かんないよ」と苦笑をするふりをした。

そうだよねと、切原は本物の苦笑を浮かべる。


それからじゃあねと言って小走りに走り出す。



ほんとは――…



ほんとは、
あいつも君のこと想ってるよ


でもそんなこと教えてあげないよ、絶対教えない。



知らず知らずのうちに悲しく歪んでいた口を無理矢理笑顔に変えて、コートで自分を待つ好きな人に手を振った。


***

日吉と初めて会ったのは小等部の時。入学後、普通は一ヶ月もすればクラスに馴染めるはずなのだが、隣の席の目つきが悪い彼は例外だった。会話といえば業務的な話をする程度でそれ以外に口を開くことがない。おまけに唯一の行動である読書も、開いている本のタイトルを見れば奇異な目で見られるのは当たり前だった。

そんなこんなでクラスで浮いてしまった隣の席の彼を、この頃から近所のおばさん並にお節介だと呼ばれている俺が無視できるはずもなく――…どれだけ冷たくあしらわれても毎日毎日しつこいくらいに話しかけ、ようやくまともに会話ができるようになったのはそれから三か月がたった頃だった。


日吉若という人間にまともに話ができる友達(しかも人気者)ができたということで、クラスメイト達も浮いた存在と見ることはなくなった。それになんとなく気付いているのか、日吉は感謝の一つだとでもいうように、俺を側に置いてくれるようになった。



そしてきっとその頃から、俺は日吉のことが好きだった。

できることなら、そのさらさらした髪の毛に、白くてきれいなその身体に、薄くて形のよい唇に、触れてみたい。

しかし今までこの気持ちを押さえてこられたのは、彼が許す最も近い領域に自分だけしか入っていないからだった。


それは、

それは気持ちいいほどの優越感。


たったそれだけの感情は、彼が好きだというどうにも押さえられないこの恋心のストッパーになるには十分だった。


しかし、ある日のたわいもない普通にある普通の練習試合の場で、それは壊されることとなった。

立海との練習試合、日吉はルーキーと呼ばれる同学年の選手と対戦することになった。

彼の名は切原赤也。
相手を馬鹿にしたような、まるで蛇の舌なめずりのような目つきと、何かを含んでいる不適な笑みを絶えず絶やさない何だか気にくわない奴だった。あいにく日吉はおしいところでそいつに負けたが、それよりも悔しかったのは切原が絶えず相手を追い掛け続ける日吉の『下剋上精神』が気に入ったようだった。


「おまえ、なかなか強いじゃん」
「煩い」
「ねぇ、何であんなに離されたのに諦めなかったの?」
「まだ勝算はいくらでもあった」
「へぇ。珍しい奴だね」
「お前ほどじゃない」
「どういう意味?」
「てめぇで考えろ」
「…おもしろい奴だな」
「おもしろくなんかない」
「おまけに可愛いし」
「はぁ?訳わかんねー奴だな。もう話しかけてくんな」


試合後、コートの上でぎゃあぎゃあ言い合って最終的には審判に止められた二人は一見するとたまに見かける選手同士の喧嘩のようだったが、ずっと日吉を見てきた俺には分かってしまった。

口調は強いけど、少しだけ日吉の声色に含まれる違うトーン。それは、彼が心を許した僅かな人間にしか見せない。ましてや今日初めてあった人に、彼が決して心を許すはずがなかった。

全く正反対に見える二人だが、きっと俺には分からない深い深いところで、何か通じ合えるところがあったのだろう。

その証拠に、二人が連絡を取り合っているのを後から知った。

***

だって、見てたんだ

ずっとずっと見てたんだ

気付かないはずがないじゃない

君はあいつが好きなんだろう?

俺じゃない、あいつなんだろう?




陽も傾きかけた頃、自主練を終わりにして部室で二人着替えをする。


「今日はどうする?」

ワイシャツのネクタイを締めながら日吉が口を開いた。


「え…?あ、あぁ!どーしようか」

今日は自主練後に二人で遊びに行く計画を立てていた。遊びに行くといっても、きっと駅前のマックで夕飯を取るぐらいなのだが。そんな普通にある友人同士の些細な日常の1コマなのだが、鳳は今日のこの日を励みに一週間を頑張ってきた。


「いつものマックにしようか」
ため息が漏れないように必死で笑いかけて、架空の予定を立てる。日吉はそんなことに少しも気付かずに、分かったと言って何を注文しようか考えているのか、上を向いた。日吉のいつもの癖を横目で見ながら、今のところ成立している未来の予定を噛みしめる。


ありがとう、日吉

でもね、今頭の中に描いたハンバーガーを食べることはないんだよ。



制服に着替えて、鞄持って、テニスラケット背負って、帰る準備万端。

二人で肩を並べて歩く。

自分よりも頭一つ分低いさらさらした金髪が、夕焼けに照らされてキラキラ綺麗だった。


そして校門に、切原は立っていた。

はたりと日吉が足を止める。


「遊び来ちゃった」


ぺろと後頭部に手をやって舌を出す姿がいつもの人を小馬鹿にしたような態度と反比例して、何だかおかしな感じだった。


そして思う。
嗚呼、こいつもほんとに好きなんだ。



「知らん」
「えー酷いよ日吉くん。せっかく部活サボって会いに来たのにさ」
「そんな奴と友達になった覚えはない」
「次はちゃんと出るからさ、だから今日は――遊び行こ?」


日吉がさっとこちらを向いた。


酷く揺れる薄い色素の瞳に笑いかけてやる。


「大丈夫、行って来なよ日吉。マックなんていつでも行けるんだから」

上手く笑えたのだろうかと思ったが、すぅと薄茶の瞳が透き通って、それからわずかに頭が縦に揺れたので安心する。



「すまん」

ぽつりと呟いて、止めていた足を校門に立つ男に向けた。




その背中がどこかうれしそうで。







(サヨナラ、日吉)






皮肉なほど鮮やかな夕焼けが、並んで歩く二つの影を染める。





(ありがとう)






それがあまりにも綺麗だから、何だか眩しすぎて見ていられなくなって、






(ずっとずっと)






手のひらで目を覆った。










大好きでした。






fin.




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