私は、登っていた。
少し前まで私が彼を待っていた場所へ。
今は彼が私を待つ、その場所へ。

がちゃん、ドアを押すと、ちょうど私の視線の先、彼は立っていた。
私はそのまま彼を見つめていた。やはり、と言うべきだろうか。体がすくんで動かない。
お互いに見つめ合うだけの静寂の中、聞こえるのは風に撫でられる木の葉の音だけだった。


「来てくれたんやね」


そして、しばらくして響いた彼の声。

たったそれだけだった。それでも胸が震えた。

手を伸ばしたところで届きやしない。
それでも。
どうしても好きで好きで仕方ない人の声。
泣きそうになるのをぐっと堪えた。

出来る限り平静を装って。出会った頃の、『恋愛に興味のない』私に戻って。

「まぁ、ね…」

それで、何?と問うと、仁王くんはびっくりするくらい優しい顔で微笑んだ。いつもの詐欺師の笑みは、そこにない。私はあまりに呆気に取られてしまって。

ゆっくりと近づいて来る足も。ふわりと伸びる指先も。私に合わせるかのように折れる背も。未だ優しい眼差しも。
彼の全てがあまりに自然で。

上手く呼吸が、出来なくて。
そして、唇に触れる温もりに気付いた。


私、仁王くんと、キス、してる…?


再び正常に入ってきた空気に、唇が自由になったことを知った。

「ど、して…?」

ようやくクリアな意識を取り戻した私は、何も考えずにそう呟く。



「…始めは、ちょっとした遊びのつもりやった」

ぽつりと、仁王くんが言う。

「綺麗な顔しとるんに、浮ついた話は全く聞かんし、ああいうの見た後も騒ぎもせん。興味無いの、と来たもんじゃから、こいつが恋愛に耽ったらどうなるんかと思った」

「でも、一緒におるうちにだんだんお前の世界やとか、色んなことが分かってきて」

「全部独り占めしたい、なんて」

「自分でもびっくりしとる。…嘘やと思われるかも知れんけど、やけど、」

「…好いとるんよ、お前のこと」



涙が、溢れた。
音もなく、ただただ涙はこぼれ落ちる。
そんな私をあやすように、仁王くんは私を抱きしめた。
その態度があまりにも優しいものだから、今までせき止めてた気持ちが溢れてきて。

「うそじゃない、の?」
「嘘じゃったらこんなこと言わん」
「抱きしめ返しても、いいの?」
「ええよ」
「…もう我慢しなくていい?」
「…おん」
「…っ、わたし、仁王くんのこと、すきでもいいの…っ?」
「…もちろん、喜んで」

仁王くんを思い切り抱きしめて、その肩に頬を寄せた。
彼は私の耳元で囁く。

「好いとうよ」
「うん…」
「お前さんの事情とか、全然分かっとらんけど、」
「…うん」
「お前が無くした幸せってやつを、一緒に探しに行こう?」
「…うん、うん…っ!」



その後重なった優しい唇を、私は一生、忘れない。








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