約束B

「そうだな。貴様の言う通りだ」
「おまえは?」
「ん?」
「おまえは嘘つきか?」

涙に濡れた飴色の瞳で見上げる。
濁りのない瞳は何処迄も透き通っていた。

「俺は嘘はつかない。守れない約束もしない」
「ほんと?」
「ああ、約束する……手を出してみろ」

言われたまま女の子は小さな手を出す。
イザークは小指を絡ませる。

「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます」

女の子は不思議そうにイザークを見詰める。

「指切り、知らないのか?約束の印だ」
「約束の印?」
「そう。約束を破ったら針千本の飲む事になる」
「えっ!?」

大きな目をさらに大きくして驚き心配顔になる女の子。

「約束を破ったらだ。約束を破らなければ飲む事はない」

イザークが説明すると女の子はホッとした顔になった。

「ほら、もう遅い。家に帰ったほうがいい。貴様の父親も心配する」

帰りを促されても、女の子はイザークから離れようとしない。
抱き付いたまましがみついてる。
無理矢理引き剥がすのも憚られた。
困りきっているイザークに女の子が声を掛けた。

「…また、会える?」

ねだるように見詰めてくる女の子にイザークは庇護欲がそそられた。
たまたま、通りかかって泣いている女の子を見つけて、自分なりに慰めただけ。
それだけのはずだった。
なのに、女の子との関わりを絶つ事をイザークは心の中で惜しいという感情が湧いた。

「…ああ、此所に来ればな」

考えた訳ではないのに、そう口走っていた。

「解った。これから、毎日、おまえに会いに此所へくる!」

女の子は途端、笑顔になった。
やっと、笑った女の子に嬉しくなる反面、イザークは性格上どうしても許せない事があった。
帰ろうとしている女の子を捕まえて、イザークは跪いて目線を合わせる。
その目は鋭く厳しさを称えている。

「俺はおまえじゃない。俺の名はイザークだ。解ったか?」
「…うん…」
「それで、貴様の名は?」
「…カガリです…」

真剣な面持ちで言われて、女の子も畏まって答える。

「カガリか……覚えたから、もう帰ってもいいぞ」

元に戻ったイザークの雰囲気に女の子もホッとする。

「じゃあな。イザーク!」

別れの挨拶をして走り出す女の子。

「待て!イザークお兄さんだろ!!」

これがイザークとカガリの出会い。



イザークは事の顛末をディアッカに包み隠さず話した。
出会いから今日の出来事まで全てを話す事はイザークにとって余りいいものではないが、誰かに吐露したかった。

「はぁ〜、それは朝から大変だったな」
「人事だと思って、軽く言うな!」
「でもさ、その状態で本当に何もなかったのか?」

ディアッカはニヤニヤした顔で聞いてくる。

「ふっ、ふざけるな!おっ、俺が、そんな如何わしい事する訳ないだろ!!」

イザークは動揺しながらも、烈火の如く怒りわめき散らす。

「別に怒鳴る事ねぇだろ。如何わしい事じゃなくて人間の本能ってヤツ?ほら、性欲は人間の三大欲求の一つって言うじゃん」
「貴様と一緒にするな」
「ひでぇ言い方だな。まぁ、大人な俺はそれぐらいで怒らねぇけどね」

ディアッカは吸ってた煙草を携帯灰皿に入れると、新しい煙草を取り出し再び一服し空を見上げる。
紫煙はゆらゆらと空に漂う。

「……でもさ、このまま嘘つきでいいんじゃねぇの?」

ディアッカはいつになく真剣な眼差しでイザークを見る。
イザークはディアッカの発言に目を瞠る。
ディアッカなら適切な助言をしてくれると思っていたからだ。

「なっ!貴様…」
「同情や子供の時の約束を無理矢理守る方が、元々無茶なんだよ。だったら、嘘つきになればいい。姫さんにとって良い社会勉強になるだろし、改めて理解するんじゃねぇ。大人は嘘つきだって」

ディアッカの冷静な判断にイザークは返す言葉もなかった。
黙り込むイザークにディアッカは畳み掛ける。

「大体さ、責任を取るって姫さんが望んでいるのはお嫁さんになる事だろ。つまり、結婚するって事だぜ。解ってるか?約束は簡単だけど、実際、結婚なんて容易じゃねぇだろ」

イザークは反論する事なく黙って聞いている。

「まぁ、今はショックだろうけどその内、姫さんに相応しい男がすぐに現われるって。あんなに可愛いんだし」

深く煙草を吸ってまた紫煙をくゆらすディアッカ。
イザークは相応しい男が現われるという言葉にいたく引っ掛かった。
頭の中で描かれたのは自分ではない男とカガリが佇む姿。
そして、二人は仲睦まじく並んで同じ道を歩いていく。

「冗談じゃない!!」

つい、イザークは声を荒げていた。

「どうした、イザーク?」

急に声を上げたイザークにディアッカは訝る。

「えっ、あっ…いや、別に…」
「…はは〜ん。もしかして、妄想で妬いちゃった?」
「なっ!そっ!そんな訳あるか!」

反論したにも拘らず、イザークの顔は真っ赤になっている。
何を意味しているかなんてディアッカには一目瞭然だった。

「なんだよ…約束は結構本気だった訳?」
「あっ…うっ…いや…その…」

ディアッカに問われてイザークはしどろもどろになる。
その珍しい姿にディアッカは内心面白くて仕方なかったが、持っている煙草で一服すると真剣な面持ちでイザークに向き直る。

「…じゃあさ、改めて聞くけど、イザークはどうしたいんだよ」

この問いにイザークは即答出来なかった。
互いに黙り込み、静寂が辺りを包み込んでいた。
思い出すのは小さかったカガリと今朝のカガリ。
確かに体は成長していたが、よくよく考えれば中身はまるっきり小さい頃のカガリのままだった。
約束をただ信じてイザークの前に現われた。
つまり、カガリは6年もの間、一度もイザークの事を忘れず思い続けた訳だ。
一途にも程がある。
確かに約束を交わした。
軽い気持ちでもなかった。
けれど、未来など想像出来る訳もなく、その場の空気が約束をさせたと言ってた過言ではない。
あの頃のイザークは、カガリと一緒にいる事が楽しくて仕方なかった。
兄弟のいないイザークにとって妹のような存在。
家族だから毎日遊ぶのは当然と考えていた。
そんな日にカガリから『お嫁さんになりたい』と言われて、イザークは初めてカガリが家族ではないと意識させられた。
小学生とはいえカガリは愛らしく、いずれ美人になると自信たっぷりにディアッカがよくイザークに言っていた。
カガリの外見などイザークは特別意識した事はなく、ただ、本当の家族になるのも悪くないなと頭の隅の方で考えていた。
そして、訪れたあの日。
カガリが何も言わずにいなくなってしまった事が悲しかった。
大事な物を何処かに無くしてしまったような感じだった。
カガリの事を思い出すと寂しくなり、イザークは記憶の奥に存在自体を封印し今に至っていた。
そして、呼び起こされた記憶。
再び、巡り逢った状況がイザークしてみれば最悪だったが、あの女の子がカガリだと解って嬉しく感じたのも事実。

「俺は……謝りたい。酷い事を言ってしまった事も、約束を忘れていた事も…」
「うん、それで?」
「それでって?」

ディアッカに問われてイザークは目を白黒させる。

「謝ってどうすんの?その後、結婚は出来ませんって言うのか?」
「それは…」
「中途半端に関わるなら止めとけって」
「中途半端にするつもりはない!!確かに今すぐ結婚は無理だが……いずれは…その//…」

頬を紅くさせ急に照れだすイザーク。
その姿にディアッカは僅かに笑みを漏らした。

「だよな。おまえ、あの時から姫さんに首ったけだったもんな」

過去を思い出しながら独り頷くディアッカ。

「!!どうして貴様に俺の気持ちが解るんだ!?」
「見てたら解るよ。おまえの生きてきた歴史の中で女と関わった事ってあったか?」
「それは…」
「正直、驚いたんだよ、俺は。子供でも今まで女という存在を寄せ付けなかったおまえが姫さんだけ傍に居るのを認めたんだぜ」
「貴様!俺の気持ちを解ってたならどうして言ってくれないんだ!!」

イザークは自分でも解らなかった感情をやっと理解したというのに、ディアッカが最初から解っていたなら言って欲しかった。
それは素直な気持ちだった。

「あのさ、俺が言っても意味無いだろ。自分で自分を理解しなきゃ…そうだろ?」

ディアッカの尤もな発言に何も言えないが、頷く事だけは出来た。
携帯灰皿に二本目の煙草を捨てるとディアッカは軽い感じで手を叩く。

「はい、イザークの思い出話と今朝の珍事話はこれ迄〜」
「はぁ?」

突然、声のトーンを変えて話を終わらせるディアッカ。
その態度に、鳩が豆鉄砲食らったような感じになるイザーク。

「こんな所で喋ってても仕方ないっしょ。今朝、姫さんと別れてどれくらいの時間が過ぎてると思ってる?」

聞かれてイザークは現状を促されて漸く気付く。
朝別れてからカガリが今何しているのか解らない。
見る見る内に顔が青ざめるイザーク。

「…俺はどうすれば…」
「何言ってんの?する事は一つ」
「一つ?」
「姫さんを探す。それしかないっしょ」

ディアッカに指摘され、やらなければならない事を理解する。
弾けるように屋上を飛び出すイザークの後ろ姿にディアッカはほくそ笑む。

「青春だな〜」

ポツリと言った一言はイザークに聞こえる事はなく夕闇に飲み込まれた。



大急ぎで自宅のマンションに戻ったがそこにカガリの姿は無かった。
追い出したのはイザーク自身でカガリが帰ってくる筈もなかった。
扉の前で項垂れるイザーク。

「くそっ!!」

悔しさの余り扉を殴る。
鈍い音が響き、手に痛みが走る。
自らの行為に苛立ちを覚え何度も扉を殴る。
しかし、痛みしか残らない。
何とか気を持ち直しマンションを後にする。
向かったのはマンション前にある公園。
園内に入ってくまなく探すがカガリどころか、夜更けかけたいま人すらいない。
走り回って探していた為、息を肩でしたまま立ち竦む。
彷徨わせていた視線がある所で止まる。
風に揺れるブランコ。
カガリと出会ったのもブランコだった。
暫く、カガリの居場所に見当がついたイザークは、再び、全速力で走り出した。
イザークは就職を機に独り立ちをした。
今は自宅から少し離れた場所にマンションを借り住んでいる。
つまり、カガリと遊んだ公園に居ると確信出来た。
カガリは子供の頃と変わっていない。
人を疑う事をせず、ただ、ひたすら約束を信じた純粋な少女。
きっと、カガリにとって特別な場所。
それはイザークにとってもだった。



カガリは独り公園にいた。
イザークに追い出されて行き着いた場所が、昔、一緒に遊んだ公園だった。
ブランコを見つけて座り込む。
もしかしたら、イザークが迎えに来てくれるかもしれないと思ったからだ。
けれど、カガリが抱いた淡い期待は泡のように弾けてしまう。
どんなに待ってもイザークが来てくれる事はなかった。
いつの間にか日は傾き、赤く染まった空は星月夜にとって代わられた。
16歳になればイザークのお嫁さんになれると信じていた。
それだけがカガリにとって知らない土地で暮らす糧だった。
今までお転婆と言われていたカガリだったが、イザークの為に家事を手伝うようになり料理の勉強を一番にしていた。
全てはイザークの為だった。
それなのに、イザークに子供と言い切られ、6年経っても埋まらない年齢の壁にカガリは知らない内に涙ぐむ。

「うっ…イザークの…嘘つき」

瞳からは涙が溢れ地面に落ちる。
一雫、また、一雫と土に住み込んでいった。
どれくらいそうしていたかは解らないが、いつしか涙は乾きぼんやりと真下の土色を眺めていた。
そんなカガリの前に影が差し込み、視界に靴が入ってきた。
カガリはイザークだと思い嬉々として顔を上げる。
しかし、そこに居たのは軽薄そうな二人の男達だった。



Cへ続く










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