約束A

ディアッカに連れられやって来たのは屋上。
徐に胸から煙草を取り出し一服するディアッカ。

「はぁ〜やっと吸える。今はどこもかしこも禁煙で参るよ」

ディアッカは手摺に背中を凭れさせて、イザークに振り返る。

「んで〜、何の話?」
「……実は…昨日の事なんだが…」
「昨日?」

ディアッカは煙草を吸いながら、眉間に皺を寄せて少しの間考える。
イザークはそれを黙って見ているしか出来ない。
何か思い出したのかディアッカは途端ににやついた顔になる。

「ああ、昨日ね……何、やっぱヤっちゃった?まぁ、仕方ねぇよな。あんなに可愛く育つなんて誰も思わねぇし〜。あっ、でも、淫行とかで捕まるんじゃね?ん、まてよ、合意があれば問題はないのか…」

急にベラベラと喋りだしたディアッカは、一人で疑問を出して勝手に答えを出し納得していた。

「ちょっ、ちょっと待て!何の話だ!?」

余りの下世話な発言にイザークは堪らず怒鳴りつける。

「えっ…何って……昨日、一緒に帰ったじゃん」
「誰が?」
「おまえが」
「誰と?」
「姫さんと」
「姫さん!?」

イザークは完全に裏返った声でディアッカに尋ねた。

「そう、姫さんと仲良く。まぁ、おまえそうとう酔っ払ってたから覚えてないのも仕方ねぇけどな」

昨日、イザークとディアッカの二人で考えたプロジェクトが採用される事になって、そのお祝いにと二人だけで飲みに出掛けた。
普段、酒を一切に飲まないイザークだったが、ディアッカに勧められた事や自身の気分が高揚した事もあってかなりの量を飲んでしまったのだ。
飲んだ事を指摘されたイザークは何とか昨日の事を思い出しつつあった。
けれど、女の子の記憶だけがない。

「まっ、待て。確かに飲んだ所までは思い出した…」
「その後だよ。店出たら姫さんが居たんだ。どうやら、俺達が此処で飲んでいる事を会社の奴等に聞き出してきたらしくて、けど、未成年だから店の外で俺らが出て来るのを待ってたんだよ……どう?記憶取り戻したか?」

ディアッカに言われてもイザークはその光景を思い出せなかった。

「……悪いが、思い出せん…それより、姫さんって?」

一番疑問に思っている事をイザークは聞いた。

「へっ!?イザーク、覚えていないのかよ。それでよく一緒に帰ったよな」

やや非難めいたディアッカの視線にイザークは居心地が悪くなる。

「…姫さん…」

イザークは改めて呟く。
それと同時にディアッカが誰に対してそのあだ名を使っていたのか思い出そうとする。
やって来たのは急激な記憶の波だった。



それは6年前。
イザークとディアッカが高校生だった頃。
二人は家の近くの公演で小学生の女の子とよく遊んでいた。
女の子はイザークにベッタリ懐いていた。

『イザーク!』と呼び捨てにしては、イザークから『イザークお兄さんだ!!』と言われ女の子は頭をよくゴツンと殴られていた。
それでも、女の子の呼び捨てが直る事はなかった。
跳ねた金の髪に大きな飴色の瞳が印象的な女の子。
性格は活発でやや男勝り。
笑顔がよく似合っていた。
女の子の名前はカガリと言った。
イザークがカガリと遊んでいたある日。

「イザークのお嫁さんになりたい」

カガリが唐突に言い出した。
イザークは驚いたが、カガリが小学生という事もありはっきりとした答えを言わなかった。

「大人になったらな」

けれど、そんな答えにカガリが満足するはずもなく何度もイザークに尋ねる。

「どうしたらイザークのお嫁さんになれるんだ?」

答え様がなく渋っていたイザークだったが、ある事を思いついた。

「俺のお嫁さんになりたかったら、まず、料理が出来ないと駄目だ。俺の好みは和食だからその事を理解しておく事。それから、全ての家事が出来る事。女性として当然だな」

イザークはお転婆なカガリにこの条件を満たす事が出来ないだろうと思っていた。
とはいえ、古風な考え方をするイザークの理想の女性像でもあった。

「それが出来るようになったら、私をイザークのお嫁さんにしてくれるのか?」

純粋で幼気なカガリは真剣な瞳でイザークを見詰める。

「出来るようになったらな」
「じゃあ、頑張るからイザークのお嫁さんにしてくれよな」

軽い冗談のつもりだった。
だが、笑顔で抱き付くカガリの姿に可愛いと思うのも事実。
それからもイザークとカガリは公園で遊んでいた。
偶にディアッカを交えて。



その日のカガリいつもと違った。
イザークにくっついて離れようとしなかった。

「おい!くっつくな!」
「……」

イザークは離れようとするが、カガリは必死に抱き付いて離れなかった。
仕方なくそのままにしておいた。
公園のベンチに高校生のイザークと小学生のカガリが抱き付いたまま座っている。
周りから見れば仲の良い兄弟のよう。
イザークが沈黙に耐えきれず、カガリの髪を優しく撫でる。

「どうした……何かあったのか?」

面と向かって聞くのが恥ずかしいのか、イザークは外方を見ながら言った。

「……なぁ、大人って幾つ?」
「へぇっ?」

聞かれて事がイザークの想像していた事とかけ離れていて声が裏返った。
咄嗟にカガリを見る。
カガリは至って真面目な顔をしている。

「幾つになったら結婚出来るの?」

カガリに問われてイザークは以前にカガリと話していた事を思い出す。
『お嫁さんになりたい』と言ったカガリに『大人になったらな』と言った自分の言葉が関係している事に間違いなかった。

「……16歳だ。16歳になったら結婚出来るぞ」

イザークが咄嗟に答えたのは成人年齢ではなく、結婚出来る年齢だった。

「16歳?」
「そう、16歳になれば結婚出来る」
「…じゃあ、16歳になったらお嫁さんにしてくれる?」

カガリは真剣な眼差しでイザークを見詰める。
幼い顔ながら、何処か艶めいた表情にイザークの鼓動は早くなる。

「…それだけじゃ、駄目だ。言っただろ?条件を満たさなきゃ駄目だって」

イザークは自分が突き付けた条件を思い出しそれを持ち出す。

「…16歳になって料理とかが出来るようになったら、イザークのお嫁さんにしてくれるのか?」

カガリの飴色の瞳は一切の濁りがなく、一途な眼差しでイザークを見続ける。

「ああ、大人になったらな」

同じ言葉ではあるが、少なくとも冗談で返していたあの時とは違うニュアンスだった。

「それじゃ、約束して」

カガリが差し出す手にイザークも手を出す。

「指切り。約束を守る印だぞ」

漸く笑顔の出たカガリにイザークは少なからずホッとする。
イザークとカガリは小指を絡み合わせる。

「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます」

あどけないカガリの言葉にイザークも素直に耳を傾けていた。

「…約束だからな」

約束を交わしたカガリは満面の笑みで微笑む。
イザークにとってこれがカガリの最後の姿だった。
次の日から毎日のように会っていたカガリが公園に来なくなった。
イザークが真相を知ったのはそれから、数日後。
カガリが親の都合で引っ越した事をディアッカから聞かされる。
その後、一度もカガリと会ってはいない。



女の子の正体を漸く思い出したイザークは心底驚いた顔でディアッカを見る。

「あっ!あれがカガリなのか!!」

イザークにとって信じがたかった。
カガリは記憶の中ではお転婆で小さな女の子。

「そうだよ。もう、6年経ってるんだぜ。俺達が社会人なんだから、姫さんは高校生だろ?」

ディアッカに改めて言われても、何処かで信じられずにいた。

「確かにそうかも知れんが……どうして、今、現われたんだ?」

イザークの疑問は尤もだった。
疑問だらけで頭が真っ白状態のイザークには何も思い至らなかった。

「ん〜……あっ!」
「なっ、なんだ!?思い当たる事でもあるのか!!」

イザークはディアッカに詰め寄る。

「昨日は5月18日だからじゃね?」
「はぁ!?それが何の関係がある?」
「おまえ〜…忘れちゃったのかよ。これだから、女と付き合えないんだな」

ディアッカは呆れて大きな溜息を吐く。
しかし、イザークはディアッカの言っている意味が解らない。

「今、そんな事関係ないだろ!!」
「あるよ。誕生日ぐらいちゃんと覚えておけって。女と付き合うにおいて最低条件だぞ」

ディアッカに言い切られて、イザークは反論すら出来ない。

「昨日…誕生日だったのか…」
「勉強になったか。今は、マメな男じゃなきゃモテないぜ」

イザークは急に大人しくなった。
呆然としている。

「どした?イザーク」

ディアッカが訝しく覗き込む。

「俺…最低だ…」

イザークは意気消沈する。
唐突に思い出したのだ。
カガリとの出会いを。



二人が出会った時も5月18日だった。
イザークは学校帰りに偶偶公園を通った。
公園内のブランコに小さな女の子が乗っていた。
たった独りでいた。
その顔が余りにも寂しげで、イザークはつい声を掛けた。

「おい、どうかしたのか?」

かなりぶっきらぼうだったが、それでも精一杯の優しさを込めて言った。

「……」

女の子は顔を上げたが何も言わずまた俯いてしまう。
イザークは自分に厳しく他人にも厳しくをモットーにしている為、優しく接するという事が得意ではなかった。
だから、放っておいてもよかった筈なのに、何故か女の子の事が気になって仕方ない。
イザークは徐に横のブランコに座りゆっくりと漕ぐ。
夕方の公園にはイザークと女の子しかおらず、静寂の中ブランコの軋む音が響く。

「黙っていても、誰も助けてはくれない。言いたい事があるならはっきり言え」

何処までも優しく出来ないが、イザークが表せる思いやりの全てだった。
女の子は漸く顔を上げてイザークを見る。
飴色の瞳は涙に濡れていた。

「…大人は嘘つきだ…」

そう言うとまた俯き、とうとう泣き出した。
イザークは兄弟もいないし、子供と接した事も殆どない。
泣いている子をあやした事など到底ない。
あたふたするイザークだが、取り敢えずブランコから降りて女の子に近付き頭を優しく撫でた。
誰かに構って欲しかったのか、女の子はイザークの胸にしがみついて泣く。
ずっと泣き続ける女の子をイザークはたどたどしく抱き締めていた。
涙を流しきった女の子はやっと言葉を発した。

「今日、誕生日なんだ…ずっと前から誕生日パーティを約束してたのに、お父様は仕事で帰って来れないって……だから、家を飛び出してきた」

イザークとて大人の事情が解らない年齢ではない。
約束を反故にされた事など何度でもある。
泣きすぎて鼻を真っ赤にして見上げている女の子の頬を、おぼつかない手で触れて涙をそっと掬う。

「…約束を破りたくて破った訳じゃない。ただ、守れない時もある。父親が仕事をしているからこそ、貴様も生活出来るんだ。我慢はしなければならない事もある」

正直、女の子に理解させるのは難しいと思ったが、このままだとまた同じ事で女の子が泣く事になるとイザークは思い言葉にした。

「……おまえは大人の味方なのか!!」

女の子は涙目のままキッと睨み付ける。

「そういう訳じゃない」
「お父様も同じ様な事を言ってた。私だってそれぐらい解ってる」

女の子は立ち上がって反論する。
大人の事情を理解していた事にイザークは驚く。

「だったら…」
「違う!私が言いたいのはそんな事じゃない!守れない約束なら最初からしなければいいんだ!そうすれば…私だって…」

叫んだ後、また、女の子は泣き出した。
この言葉で女の子はどれだけ殊勝な性格かを、イザークは理解出来た。
いつも、良い子に振る舞って我慢をしていた女の子。
だからこそ、誕生日だけは一緒に祝って欲しかった。
女の子の健気な思いにイザークは心を打たれる。
イザークは自然に女の子を抱き締めていた。



Bへ続く










人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -