約束@

定時通りにアラームは鳴った。
けたたましい音にイザークは布団から手を出して目覚し時計を止める。
指し示す時間はいつも通り。
けれど、少し違和感があった。
自らが何も着てないという事。
イザークは生真面目な性格で就寝する時は必ずパジャマを着ているのだ。
慌てて上半身を起こす。
幸い、下着だけは着けていた。
全裸で寝ていなかった事にホッとした束の間、いつも寝ているベッドに明らかな違和感を覚えた。
横を見れば膨らんだ布団。
誰かがいるのは明白だった。
まさかの展開にイザークは全身の血の気が引いて行くのが、いやでもわかった。
恐る恐る布団を捲るとそこには下着姿の女の子が寝ていた。
決定的な事実にイザークは固まってしまう。
品行方正に生きてきたイザークにとってこんな経験は一度もない。
そもそも、女性と付き合った事すらないのだから。
頭が真っ白になり石像のように動かなくなったイザークとは対照的に、布団を捲られ寒さを感じた女の子はもぞもぞと動き出す。
そして、ゆっくりと目を開けた。
イザークの蒼い瞳と女の子の瞳が重なる。
寝ぼけていた女の子はイザークを認識すると笑顔になり起き上がる。

「おはよ、イザーク!」

元気よく挨拶すると同時に女の子はイザークに抱き付いた。
互いに下着だけをつけた姿のままでだ。
直接的な女の子の感触にイザークの全身は真っ赤になる。

「うわぁぁーー!!」

イザークは普段なら絶対出さない声を上げて女の子を押し返した。
その反動のせいでイザークはベッドの上から転げ落ちた。鈍い音が部屋中に響き渡る。
頭を打ったイザークは天井を見上げる。
そこは何も変わらないし、何も変わってない住んでいるマンションの天井。
何処かで今起きている事が夢じゃないのかと思っていた。
しかし、現実はイザークに甘くなかった。

「大丈夫か?イザーク…」

女の子が心配そうにイザークの顔を覗き込んだからだ。
情けない自身の姿に居た堪れなくなった。

「こっ、これぐらい、大丈夫だ!」

必死に平静を装って立ち上がる。
しかし、どんなに格好をつけても下着姿、つまり、ボクサーパンツ一枚である。
その姿が途端に恥ずかしくなったイザークは慌てて服を探す。
いつも前日にスーツを用意しているハンガーかけには、スーツの一色が用意されていた。
ネクタイ、靴下など全て準備されており、イザークは疑問に思う。
昨日、事前に用意した覚えはない。
では、誰が用意したのか。
疑問を持ちながらも、イザークは服を着ていく。
ふと、目の前を影が通る。
女の子が下着姿のまま歩いていた。
イザークは限界まで目を見張る。

「なっ、何してるんだ!」

焦った声で喋りかける。

「ん?顔を洗おうと思って」

女の子は不思議そうに振り返る。

「ふっ、服は、どうした!?」
「洗濯機の中」

と言われてしまえばイザークは返し様がなかった。
黙ってしまったイザークを見つつ、女の子は洗面所へと向かう。
イザークは急いで身形を整えクローゼットを開けると、白いシャツを引っ張り出した。
それを持って洗面所へ走り出す。
辿り着いたら、女の子は顔を洗っていた。
片手でタオルを探している。
イザークはラックから素早くタオルを渡す。

「あっ…ありがとう」

受け取った女の子は濡れた顔のまま笑ってイザークにお礼を言った。
魅惑的な女の子の仕草にイザークはドキリとする。
図らずも心を揺さぶられてしまった自らを叱咤激励し冷静を保とうとする。
顔を拭き終わった女の子の姿を見計らって、イザークは持ってきた白いシャツを渡す。

「服はすぐ洗うから、そんな格好でうろつくな!」

怒られた女の子はコクリと頷いて素直にシャツを着る。
一方、イザークは洗濯機の中にあった女の子の制服と思わしき服を確認すると、洗剤を入れ稼動させる。
乾燥機も付いているから後は返せばいいとそこまで思案して、イザークはホッと息を吐く。
何とか、この後の展開を想像が出来た事に胸を撫で下ろす。
落ち着いたところで周りを見ると女の子の姿が消えていた。
またしても、慌てふためくイザーク。
洗面所を飛び出すと仄かに何かが香る。
台所まで来ると女の子が料理をしていた。

「なっ!何してるんだ!!」
「ん?朝食を作ってるんだ♪」

満面の笑みで応える女の子に毒気を抜かれる。
完全に力の抜けたイザークは呆然と女の子が作る料理を見る。
手際よく調理をこなす女の子。

「あっ、イザーク!向こうに座っててくれよ。出来たら持っていくから」

明らかに年下の女の子に押し切られてしまったイザークは、渋々ダイニングのテーブルにつく。
暫くすると自分好みの和食が用意された。
驚くイザーク。
女の子は至って普通だ。
目の前に座ってイザークを見詰める。

「一生懸命作ったぞ。食べないのか?」
「…たっ、食べる…」

味は思った通り、いや、予想以上の出来で好みを熟知している。
食べながらイザークは目の前の女の子を観察する。
どう見ても、見覚えがなかった。
年齢は高校生ぐらい。
印象的な金の髪。
大きな飴色の瞳。
中性的な顔立ち。
それとは対照的なスタイル。
イザークの渡したシャツをルーズに着ている為、動く度に下着が見え隠れする。
それをつい見てしまう自分に、イザークは物凄く恥ずかしかった。
女の子は相変わらずニコニコと笑っている。
その笑顔はとても可愛らしいと、単純に思ってしまうイザーク。
と同時に記憶の片隅に、目の前の女の子と同じ様に笑っていた少女が甦る。
イザークが思考を巡らしていた矢先に、インターホンが鳴った。
朝早い時間の為、イザークは訝しく玄関の方を見やる。

「私が出てくるよ」

イザークが立ち上がるより速く女の子が玄関の方へ走り出した。
呆然とその後ろ姿を見送るイザークだったが、女の子の姿を思い返し急いで追いかける。

「ちょっ、ちょっと待てっ!!」

イザークの叫び声も虚しく、女の子は玄関を開けてしまう。
そこにいたのは隣人のニコルだった。
ニコルは世界的に活躍するピアニストだ。
イザークが出てくると思っていたニコルは、目を真ん丸くして女の子を見詰めている。

「何か用か?」

笑顔でニコルに話し掛ける女の子。

「えっ…あっ…実は、宅配便を預かっているんですけど…昨日、渡そうと思ったのですが、なかなか帰ってこられなくて、僕、今日から海外公演に出掛けるので、朝なら居るかなと思って…」

ニコルは申し訳なさそうに言うが、目の前の女の子のあられもない姿に顔を紅くする。
直視出来ないニコルは、目を逸したまま持っている小包を女の子に渡そうとする。
それを横からイザークが取り上げた。

「ニコル、悪かったな。確かに受け取ったから。コンサート、頑張ってくれ」

女の子とニコルの間に割り込み、笑顔で何事もなかった事にしようと目論むイザーク。

「はぁ…じゃあ、僕はこれで…」

持っていた大きなキャリーバッグを引いて、廊下を進むニコル。
何とかやり過ごしたと思ったイザークは扉を閉めようとする。
そんな時、ニコルが笑ってとんでもない爆弾を落とす。

「恋人が出来たんですね。おめでとうございます」

悪意のない言葉にイザークはまた固まる。
何も紡げないイザークの変わりに女の子がニコルに応える。

「恋人じゃないぞ。私はイザークのお嫁さんだ♪」

ニコルは予想した範囲を越えた応えにびっくりするが、笑顔で言葉を返す。

「そうですか。もし、結婚式を挙げられるのなら呼んで下さいね」
「うん!わかった!!」

女の子は笑顔で了承し、手を振ってニコルを見送った。
ニコルの姿が見えなくなると、イザークは漸く正気を取り戻す。
女の子を室内に連れ戻すとすぐさま扉を閉め鍵を掛けた。

「貴様!何を勝手な事を言ってるんだ!!」
「だって…約束…」

怒鳴られても女の子は必死に言い訳をしようとするが、イザークは聞く耳を持たない。

「俺は貴様みたいな子供なんか知らん!服が乾いたらとっと帰れ!!」

イザークに余裕はなかった。
朝から振り回された挙句、ニコルに勘違いされてしまった事にイザークの怒りは頂点に達していた。
思っていた事全て言い放ったイザークは、女の子を無視して洗面所に向かう。
顔を洗った後、冷静を取り戻したイザークは部屋に戻り仕事へ出掛ける準備をする。
女の子が作ってくれた朝食に手を付けず、手早く珈琲を作り味わう。
時間を見る為にテレビをつける。
女の子の存在を完全に黙殺するイザーク。
少し前まで流れていた普段とは違い驚かされるが温かな雰囲気はなく、沈黙と静寂が辺りを支配し空気を重くしている。
テレビから流れる音とは明らかに違う物音が後ろから聞こえた。
振り返ると女の子は洗い立ての制服を着て立っていた。
手には先程まで着ていたシャツを握っている。
女の子は大きな飴色の瞳を潤ましてイザークを見詰める。
それでもイザークは声をかけなかった。
女の子は冷たい空気に耐えられなくなったのか、持っていたシャツをイザークに投げつける。
その時、僅かに何かを発した。
涙声でイザークにはよく聞こえなかった。

「言いたい事があるならはっきり言え!」

怒鳴られ縮こまる女の子。
けれど、意を決して言葉にした。

「…つき…イザークの嘘つき!!」

涙を一雫流すと女の子はイザークの部屋を飛び出した。
少し前までニコニコと笑っていた女の子泣かしてしまった事に、イザークは罪悪感を覚えたがそれでも自分は間違っていないと言い聞かせ身仕度を整える。
ただ、此方に非があるように言った女の子の言葉が気にはなったが、仕事に行く時間もあり気にしないようにした。



イザークは早くディアッカに会いたくて仕方なかった。
昨日の事を全く覚えていないイザークだが、事の顛末を一緒に居たはずの同僚ディアッカなら覚えているだろうと考えたからだ。
会社に着くと早速ディアッカを探すイザーク。
すぐにディアッカは見つかったが、何やら不穏な空気が流れていた。

「おはよう、ディアッカ。何かあったのか?」
「んぁ、オッス、イザーク。いや〜取引先からクレームが来ちゃってさ。課長が出張中で俺が行くところなんだよ〜」

そう言うと支度を整えて会社を出る準備をしている。
イザーク、ディアッカ共に新入社員で、通常クレーム処理にあたる事はない。
責任者が不在である以上、誰か担当しなければならないのも事実。
そこで人当たりがよく口も立つという事でディアッカに白羽の矢がたったのだ。
この状況では流石に昨日の事を聞いていられず、イザークは仕方なくの黙っていた。

「じゃ、俺、行ってくるから、後の事宜しく!」

同僚が心配する中、ディアッカは颯爽と取引先へと出て行ってしまった。



もやもやとした感情がイザークを支配する。
しかし、ディアッカがいない以上、昨日の事を知る人間はいない。
結局、仕事をするしかなかった。
けれど、気が気でないイザークは仕事で普段なら絶対しないミスをしまくって周りに心配される。
勿論、仕事に集中出来ない理由を他の同僚に言える訳もない。
とはいえ、解決出来ると思われていた唯一の相手であるディアッカがいなくなってしまってはもうどうしようもなかった。
それからイザークが仕事を終えた頃、ディアッカが戻ってきた。



「いゃあ〜、参ったよ。相手方がさ、煩くて〜」

帰ってきた途端に愚痴り始めるディアッカ。
イザークは待っていたと言わんばかりにディアッカに近付く。

「ご苦労だったな。ディアッカ」
「おう、イザーク。まぁ、これも仕事だからな」
「そうか………疲れているところで悪いんだが…」
「ん〜…何?」
「ちょっと…話があるんだ…」

イザークがいつもと違う表情で話し掛けて来たのでディアッカは少し驚く。

「……いいけど。なんか、話し辛そうだな」
「!……そう、見えるか?」

心境を言い当てられた事にイザークは心底吃驚する。

「まあね。経験値の差ってやつかな」



Aへ続く










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