いいこと、して
「ふあ……そろそろ俺、寝ようかな」
「おやすみなさい」
「まだ寝ないの? 栄吾」
もうすぐ、日付が変わる。今日も一生懸命にレッスンに取り組んだ辰己は、すっかり睡魔に襲われていた。申渡も随分と今日は汗をかいたりしていたし、彼も自分と同じように疲れているはず……と思った辰己は、まだ寝る様子のない申渡を不思議に思った。
何をしているのだろう。そっと、彼のベッドを覗いてみる。
「……読書?」
「ええ」
「ふうん」
申渡は、ベッドの上で本を読んでいた。なんだ、彼らしい――そう思って辰己は苦笑する。そして、それと同時になんだか胸のあたりがきゅっとなった。
普段はかけていない眼鏡をして、静かに本を読んでいる申渡。なんだか……かっこいいなあ、って。今の彼は完全にオフモードではあるけれど、この適度に気を抜いた彼の姿と本を読む聡明そうな表情があわさって、なんとも言えない色気がある。
「辰己……?」
「じゃまはしないよ」
見ているうちにその胸元に飛びつきたくなって。辰己は、そっと申渡のベッドに潜り込んだ。申渡は特に驚くこともなく辰己を迎え入れる。辰己を引き寄せてちゃんと布団をかけてあげて、頭をぽんぽんと撫でてやった。そんな、彼の自分への態度にも、よくわからないけどきゅんとする。当たり前のように受け入れてくれて、優しくしてくれて。こんなに甘えられるのは、彼だけ。だから、いっぱい甘えたくなる。
衝動のままに、申渡に抱きつく。彼の背中に腕を回して、胸元にもそもそと頬をすり寄せた。申渡の胸板は、すごくたくましいというわけではないけれどほどよく筋肉がついていて、こうしてくっつくと気持ちいい。それから、胸に顔を寄せると心臓の鼓動を感じられて、それもまた辰己は好きだった。とくん、とくん、という規則正しいリズムが、心地よいのだ。
「……」
しかし、そうして辰己がくっついていると、申渡は本を閉じて眼鏡を外してしまった。やっぱり本を読むには邪魔だっただろうかと、辰己は申し訳なく思ったが……そんな申し訳なさは、吹っ飛ぶ。
「んっ……」
申渡が、口付けてきたのだ。辰己の腰を抱き寄せ、後頭部を優しくつかんで、ぐっと辰己の唇を食らうように。
キスは、たまに戯れのようにやったりする。でも今は、なぜだろう。今までで一番、気持ちいいキスだ。重ねた唇から熱が侵食していって、心臓を燃やす。どくどくと早鐘をうつ鼓動が苦しいけれど、心地良い。頭がびりびりとして何も考えられない。
申渡のことをかっこいいと、そう思っていた最中だからだろうか。そんな彼にキスをされているから、こんなに頭が蕩けてしまいそうになっているのだろうか。ふわふわとしてきて、どうにでもして欲しくなって、辰己は完全に体を申渡に委ねる。くたりと全身から力を抜いて、申渡にすり、と身を寄せた。
「辰己……」
ぱち、と目が合う。その瞬間、辰己は顔から火が出そうになった。
じっとりと熱を汲んだ瞳。間近でその熱視線に絡め取られて、辰己は頭の中が真っ白になってしまう。こんな彼、今までみたことがない。
初めて見る彼の表情に辰己がどきどきとしていると。
「わ、」
彼の手が、するりと服の中に入ってくる。ゾクゾクッ、として辰己の体がぴくんっと跳ね上がった。一緒に寝て抱きしめあったり、キスをしたり……ということは今までもしてきたけれど、こうして素肌に触れられたのは、初めてだ。
「……いやですか、辰己」
「ううん……」
でも。怖くない。素肌に触れられることが、彼なら……怖くない。いや、気持ちいい。
息のかかる距離、申渡に見つめられて。辰己は徐々に熱くなってゆく自らの体温を感じた。自分よりもごつごつとした手、他人の肌に興味などなさそうな彼に、体を弄られたい。熱に浮かれているのだろうか、辰己の頭の中が、蕩けてゆく。いつもよりも、彼を求めてしまう。
「……もっと。栄吾」
甘えるように。唇から、こぼれ落ちる言葉。辰巳の甘ったるいおねだりが、申渡の鼓膜を叩く。
「……っ、辰己」
その瞬間だ。
ぐるん、と視界が回る。体を仰向けにされて、そして申渡が覆い被さってきたのである。辰己があ、と思う前に申渡は再び口付けてきた。辰己の手首を掴み、シーツに縫い付けて。
「んっ……ん、……ん、」
激しい、キス。吐息すらも奪うようなそれに、辰己は目眩を覚える。なんだか、自分が喰われているような錯覚を覚える。それが、たまらない。ゾクゾクして、時折腰がぴくんと跳ねる。お腹の奥の方が、熱くなってゆく。きゅんきゅんと疼いている。
――狂ってしまいそう。
「は……えい、ご……」
唇が離れてゆくと、辰己はたまらない切なさに襲われて彼の名前を呼んだ。頬を染め、髪の毛を乱し、とろんとした眼差しで見上げて。砂糖菓子よりも甘い甘い声色で、呼んだ。
「……っ、辰己……」
「……続き。栄吾」
そして、またおねだり。それに、申渡はかっと顔を赤らめた。そして、今更のようにたじろぐ。しかし……辰己の上からはどけようとしない。再び辰己に覆いかぶさると、ぎゅっと抱きしめてきた。
「……辰己。」
「栄吾?」
「辰己……」
「ふふ、栄吾」
絞り出すように自分の名前を呼ぶ申渡に、辰己が笑う。色々と、葛藤しているんだろうな、それに辰己は気づいていた。だからこその、微笑み。全てを赦すようなその微笑みに申渡は屈服したように目を閉じる。そして、ちゅ、辰己の耳元にキスをした。くすぐったくて辰己が身じろぐと、申渡はそのままくっと唇を耳にくっつけて、
「悪いことをしそうになったら、止めてください」
と囁いた。
ゾクッ、と辰己の体の奥が震える。じわ、となかが熱くなってゆく。なんだろう、この感覚。
俺は……栄吾にもっと、触れられたい。
「……うん。じゃあ、俺にいっぱいいいことして? 栄吾」
これは、戯れなんて言葉では収まらないんじゃないか。それを、お互い察し始める。しかし、もう、止められない。
……止められない。
「……辰己、」
切羽詰まったように。申渡は辰己の唇に噛み付いた。そして、辰己の服の中に両手を差し入れて、お腹を、胸を大きく撫で上げる。
「んっ、……」
そんなふうに触れられたことのなかった辰己は、未知の感覚に体を震わせた。肌が粟立つ。申渡の熱に侵食されてゆく感覚に、体が歓びを感じている。
ああ、満たされる。胸がいっぱいになる。この感覚は……なんだろう。切ないのに、幸せだ。
「栄吾、……栄吾」
辰己は申渡の背中に腕を回して、もっと、と懇願する。もっともっと、彼に自分の内側にはいってきて欲しかった。
思えば幼い頃から側にいた彼。彼は、自分の全てを知っていた。誰にも見せない秘密の部分まで、全部。これから先も、秘密は彼にしか見せない。たとえばこんな――劣情とか。彼だけに触れてほしい、彼以外には触れさせない。だから……こういった行為ができるのは、彼とだけ。
そう、申渡だから、こういうことをする。申渡だから、こういうことをしたい。
「あっ、……」
「辰己」
する、と下着に手を入れられる。そして、堅くなりかけていたものに、触れられた。
さすがに辰己も恥ずかしかったが、申渡になら、と羞恥に耐えた。むしろ自分も彼のものに触れたいと思って、そっとそこに手を伸ばす。
「ちょっ……辰己……!」
「栄吾も俺の、触ってるでしょ?」
「辰己……」
ぎょっとしたような顔をした申渡の顔を、辰己はくすくすと笑った。きっと申渡は「辰己にそんなことさせられない」と思っているだろう。そんな申渡の考えを悟って辰己はまた胸がきゅっとなる。大切にされているな、って。でも、もっといいこと、して欲しい。したい。君のことを考えるとおかしくなるって、知って欲しいんだ。
「ね、栄吾……」
「た、たつ、」
「もっと、いいこと。栄吾」
辰己はく、と腰を申渡に押し付けて、熱を触れ合わせる。目を回したように焦った表情をする申渡を愛おしいと思いながら。堅くなったもの同士を擦り付けて、それを軽く握った。
じん、と触れ合った部分に熱が染み渡る。彼の秘密の部分に触れて、溶け合っているのだと思うと凄まじい満足感を覚える。彼は、自分だけのものだという征服感。彼だけに、自分の全てを曝け出したのだという屈服感。ふたつが合わさって、狂おしいほどの、幸福感。
「辰己……、」
「あっ……ん、……あっ、」
申渡はアワアワとした表情を見せたが、それをごくりと飲み込んで辰己を見下ろす。「はやく」と急かす辰己の視線に応えるように、その額にキスを落とした。そして……ゆっくりと、腰を揺らし始める。
熱を触れ合わせたまま、セックスをするときのように腰を振る。まるで、ほんとうに一つになっているみたいで、くらくらした。腰が揺れるたびにじん、じん、と快楽の波紋が広がって、下腹部がぐずぐずになってゆく。
気持ちいい。おかしくなるくらいに、気持ちいい。体中が彼の熱に包まれる。このまま溶けて、ひとつになりたい。
「えい、ご……えいご、……あっ、……あ、ぁ」
「辰己……綺麗です、辰己……ん、」
先の方から溢れる蜜が、握る手を濡らす。ぬるぬるになったそこは動くたびにくちゅ、くちゅ、といやらしい音をたてるけれど、その音がなんだか甘ったるくて酔いそうになった。ごそごそとシーツの擦れる音は背徳感を煽り、悦楽を増幅させた。
自らの唇から溢れる恥ずかしい儚い声と、彼の漏らす泣き声にも似た囁き。自分たちは、もう後戻りできないようなことをやっているのだと胸が締め付けられたけれど、それでも先に進みたかった。きっと、この行為を、今まで自分は知らない間に望んでいたから。
俺は、栄吾と繋がりたかった。
「あっ、……ぁ、……い、イ、……く、」
「待って、辰己……」
びく、と辰己の肩が震え、その薄い唇がきゅっと閉じられる。申渡はハッとしたように息を呑んで、辰己に顔を寄せた。唇をちろりと舐めて、そして口付ける。
「ん……」
ぐっとキスを深め、熱を握る手に軽く力を込めた。片手は、指をからめあって。体の全てを、触れ合わせる。
「……ッ、」
そして。二人は、ゆっくりと、達した。キスをしながら。ぴゅく、ぴゅく、とそれから白濁が飛び出して、手の中でドクンドクンと脈打つ。渦のような快楽から解放された、なんとも言えない倦怠感。二人はがくりと脱力して、抱きしめ合う。
「栄吾……」
一回出したら、この狂ってしまうような熱も引いていくのではなんて考えたが。そんなことはなかった。はあはあと息を切らす申渡への、愛しさが溢れ出る。彼を見つめれば見つめるほど、彼への想いが加速する。
汗で熱っぽくなった申渡の体に縋り付いて、辰己は微笑んだ。
「ね、栄吾……気持ちよかったよ、栄吾」
「辰己……すみません、抑えられなくて」
「ん? 謝らないでよ、俺、栄吾とこういうことできて、よかった」
申渡は、今まで大切にまもってきた辰己に手を出してしまったことで自己嫌悪に陥っていた。触れ合うまででとどめて、絶対に穢すようなことはしないと思っていたのに……今日の辰己が、やたらと愛らしかったから。つい、我慢の限界がやってきて襲ってしまった。
そんな申渡の心境を、辰己はなんとなく感じ取る。それくらいに大事にされているのは嬉しく思ったけれど……でも。
「ね、栄吾」
「……はい」
「今度は、ひとつになろう?」
「……ッ!?」
もっと、彼に触れられたい。
そんな辰己の想いは抑えられない。にこ、と微笑んだ辰己に、申渡は顔を赤らめる。そして、「ずるい人だ」と呟くと、再び唇を重ねた。