僕は騎士になれない


 騎士は、姫に触れてはいけないという。

 中学時代にやった演劇のおかげで、辰己は「姫」、申渡は「ナイト」というあだ名がついていた。また変なあだ名をつけられたな、と二人共さして気に留めていなかったが、最近になって二人はそのあだ名のことを強く意識するようになる。もう、二人は高校生。精々同じ中学だった一部の人しか呼んでこないような、そのあだ名が、二人にとって枷のようになっていた。

***

「ね、栄吾。今日のレッスンさ、……」

 それは、ほんの、ふとした瞬間に。一日の終わり、部屋で二人でだらだらと話をしているとき、とか。申渡のベッドに二人で並んで座って他愛のない話をする、そんなとき――辰己は、申渡にとって「ひどいこと」をしてくる。

 いじいじ、いじいじ。

 申渡の手をとって、いじる。人差し指と親指を右手で握り、薬指と小指を左手で握り……ひらいたりとじたりしてみせたり。人差し指をすりすりと撫でて、くすくすと笑ってみせたり。辰己が、申渡の手で遊んでくるのだ。

 それは、申渡にとって、「ひどいこと」。その完全に気を許している相手にしかしないような辰己の行動は、申渡にとっては猛毒だった。だって――そんなことをされたら、襲いたくなってしまう。

「……栄吾? どうしたの、黙っちゃって」

「いえ……すみません、ちょっとお手洗いに……」

「あ、そう。いってらっしゃい」

 その、無防備な笑顔。自分しかしらない、その甘えたな表情。それを毒だと感じ始めた頃、申渡は昔のあだ名を意識するようになった。「姫」と「ナイト」。「ナイト」は姫に触れてはいけない。それが本当に、自分たちを表すようなあだ名だと、そう思ったのだ。

 辰己は、申渡を「気のおける幼馴染」としか思っていないだろう。戯れの一貫で距離をつめてくるだろう。でも、申渡は違う。誰も知らない辰己の乱れた姿を見たい、しなやかなその体のなかにはいっていきたい、奥で繋がりたい。幼馴染なんて言葉では片付けられない感情を、申渡はその胸に飼っていた。

「はあ……」

 甘えてくる辰己から逃げるようにして部屋を出た申渡は、ため息をついてずるずると壁伝いにしゃがみこむ。ああして気を許して笑顔をむけてくれる辰巳に、自分はなんて邪な心を抱いているのだろう。そんな自分が憎たらしくて、苦しくて苦しくてたまらない。でも、それは絶対に押さえ込まなければいけない感情。そう、昔はおかしなあだ名だと思っていた、「ナイト」の如く。どんなに焦がれても、「姫」に触れることは赦されない。

 姫を穢してはいけない。彼は卑しい自分が触れていいような人物ではないのだ。

「あ、おかえり、栄吾」

 触れられて、理性にひびをいれられて。一瞬暴れだした劣情を抑えるために部屋の外に出ていた申渡は、再び部屋に戻った。にこ、と柔らかい笑顔で迎えてくれる辰己は、やはり可愛くて、抱きしめたくなる。

「栄吾」

「……っ、」

 もう一度、先程のように辰己の隣に座る。そうすれば、辰己は甘えるようにして申渡の肩に頬を乗せてきた。特に、意味はないらしい。くすくすと子猫のように楽しそうに笑って……それだけ。

 また、他愛のない話を再開する。申渡にとって拷問のような時間。今すぐにでも押し倒したい、そんな情欲を押し殺すのに、必死だった。



***



「おはようございます、辰己。起きてください」

「……ん、……んー……おはよ、栄吾……ありがと」

 朝日よりも先に辰己の目に飛び込んできたのは、申渡の顔だった。もう顔も洗って、髪も整えた、しゃんとした申渡の顔。これをみると「ああ、朝がやってきたなあ」と思って、辰己は覚醒することができる。

「……ふふ、栄吾」

「辰己……うわ、」

 辰己が起きるのを、ベッドの端っこに座って見守っていた申渡。そんな彼に、辰己は抱きついた。自分を優しく見守ってくれている彼をみていたら、抱きつきたくなってしまったのである。

 申渡に対して抱くこの愛おしさはなんだろう。これは、辰己が最近考え始めたこと。生まれたときから一緒にいた申渡のことが、大好きだ。となりにいると落ち着くし、楽しい。でも、それ以上のことを最近は思っているような気がする。

 昔、「姫」と「ナイト」なんて呼ばれていた。そのときは、自分は申渡にそばにいてもらわないとだめになってしまうから、なんて的確なあだ名なんだろうなんて辰己は思っていた(「姫」なんて女性にたいして使うあだ名なのはともかく)。でも、今の自分たちにそのあだ名はふさわしくないと思う。

 だって。

「栄吾」

「な、なんですか……?」

「……なんでもないよ、ね、栄吾」

 「姫」と「ナイト」なんて。自分たちはそんな関係じゃない。「体が弱いからそばにいてもらわないとだめ」、「守らなければいけないからそばにいてあげなくちゃいけない」なんて、理由があってそばにいるわけじゃないから。

――好きだから、そばにいる。

 きっと申渡は、今でも自分を「ナイト」だと思っているだろう。護ってあげなきゃ、って思ってくれている。それで、いい。想いは重ならなくても、彼のなかで自分のそばにいてくれる理由があるなら、それでいい。

(ずっとそばにいたいよ、栄吾)

 もう俺は君の姫ではないけれど。君の中では、姫で居続ける。それで、君のそばにずっと居れるなら。君の一番でいることができるなら。


***


「おつかれー! また、明日!」

 今日は、大きな公演があった。team柊は当然の如く最高のパフォーマンスをすることができて、みんな笑顔で別れることができた。

 ちょっとしたお疲れ様会をして、それぞれ寮の部屋に戻る、そんな日が暮れる頃。空の紅が闇に呑まれていくなか、申渡と辰己は二人で歩いていた。

「……今日の栄吾、かっこよかったよ」

「それは辰己もです」

「ふふ、嬉しい」

 沈みゆく夕日を見つめながら、辰己は息を吐く。

 なんだか、切ない気分。自分たちが上へ上へと進んでいくたびに、辰己のなかには言いようのない切なさがこみ上げるようになってきていた。

 きっと、自分たちはこれから成功するだろう。そして、成功するからこそ、それぞれの道へ進んでいくようになる。離れ離れになるかもしれない。成功者ほど、自分の好きな道へ進んでいくことはできないから。だから……切なくなった。大人になって、舞台へでて。チームのみんなとは一緒にいられなくなるかもしれない、ということが。そして、申渡と一緒にいることができなくなるかもしれないということが。

「栄吾――きみは、本当にかっこいいね」

「辰己……?」

 ああ、怖い。申渡と離れることが、怖い。

 彼がいなければお世話をしてくれる人がいなくなるから、ではない。二人でいたのに一人になるのが怖いから、でもない。

 ただ――彼が、好きだから。

「……俺、栄吾がいないと、死んじゃうよ」

 姫だからじゃない。辰己琉唯だから、彼がいないとダメになってしまう。

「……ッ、」

 ――そんな、辰己の絞り出すような告白。辰己の輪郭が、紅の光にふちどられ、眩しいくらいに綺麗な――そんな幻想的な映像と共に聞こえてきた、彼の最上の告白。それに、申渡の時間は――止まる。心臓が活動を止め、呼吸がつまり。くらりと目眩を覚えて、おかしくなりそうになる。

「私も……それは、同じです」

「ええ? 栄吾は、俺と違って一人でなんでもできるでしょ?」

「私は……辰己のために辰己のそばにいるんじゃない、私自身のためにそばにいるんです」

「え……?」

 わからない。なぜ、辰己の言葉にここまで心を揺さぶられたのかは、わからない。ただ、燃えるような夕日のなかの、どこか切ない辰己の言葉に、胸が血を流すほどに傷んだのは事実。

 貴方のそばから離れることなど絶対にないというのに、そんなにさみしそうな顔をするから。まるで、自分たちが離れ離れになるという悪夢をみてしまったように。

「私は、貴方なしでは生きていけない」

 申渡は、衝動的に告白を返した。そんな、自分本位の想い、絶対に辰己には言わないと誓っていたのに――抑えられなかった。辰己のさみしそうな表情は、申渡の最後の理性を砕いてしまった。

「えいご、――……」

 手を引いて、体を寄せる。そして――唇を奪う。

「好きです――辰己」

「……っ」

 ぱちくりと瞬いて、徐々に頬を染めてゆく辰己。そして、やがて幸せそうに目を細めて、

「――俺も。栄吾」

と囁いた辰己。

 ああ、私は貴方のナイトにはなれない。

 貴方に触れたくて、仕方がない。
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