チェリーズエクスタシー
「あれ、鑓水さん。どうしたんですその格好」
更衣室から出てきた鑓水に、同僚の女性が話しかける。普段、ラフな格好で出退勤をする鑓水だが、今日はそれとは全く違っていた。高級レストランにでもいくかのような、ドレスコードだ。スタイルの良い彼の魅力をさらに引き出すような、そんな上等のスーツを着ている。
「あー、これからディナーなんです」
「そんな格好をしていくようなところで?」
「はは、相手が誕生日なもので。ちょっといいところ予約しちゃいました」
「……相手、って……もしかして、奥さん?」
鑓水の言葉に、女性が反応する。女性はじっと鑓水の左手の薬指に付けられた指輪を見つめて、にやにやと笑い出した。
――近頃、鑓水が結婚しているという噂が、所内に流れている。鑓水ははっきりとその事実を言おうとしなかったが、鑓水を狙っていた複数の女性が鑓水の薬指につけられているシルバーリングを発見したため、そういった噂が流れているのだ。
「はあー、所内のイケメンはみーんな結婚しちゃってさ。冬廣さんも指輪付けてましたよねえ、もう」
「……ああ、そうですね」
「神藤さんも人気ありますけどね、……あの人怖いからちょっと近寄りがたいなあ」
鑓水は女性の話を聞いて、苦笑い。流石にこの事実は黙っておこうと思った。
――冬廣の指輪は、鑓水があげたものだということ。それから、今日ディナーに誘っているのは、冬廣だということ。
***
「あら、冬廣さん。お疲れのようで」
車の扉を明けた冬廣を、鑓水が笑顔で迎える。鑓水と同じようにドレスコードはしているが、なにやらよろよろとしていて疲れ気味のようだ。
「……女の人たちに捕まった」
「はは、そりゃあ波折がそんな格好していたら女は放っておかないだろうなあ」
「……慧太だって、同じだろ、」
「俺はうまく逃げられたんで」
どうやら女性たちにもみくちゃにされたらしい冬廣は、ため息をつきながら車の助手席に乗り込んだ。鑓水はやれやれといったふうに笑いながら、シートベルトを装着する。
これから向かうのは、都内の高級ホテル。それは、冬廣も知らされていて、自分の誕生日がそこで祝われるのだということもわかっていた。……それでも、冬廣の心臓はどくんどくんと大きく高鳴っていた。
明日は、鑓水も冬廣も休みとなっている。だからホテルに一泊することになっており……ホテルで、優しく抱かれるということが、予測できた。甘い言葉をいつもよりもたくさん囁かれるのだと、期待してしまっていた。なにより、今日の鑓水がいつもよりもかっこよくて、冬廣は直視できなかった。
「……波折? どうした、急に黙り込んで」
「い、いや……緊張してきちゃって」
「緊張? なんでだよ」
落ち着かなそうにそわそわとしている冬廣をみて、鑓水はからからと笑った。車を発進して、運転を始めた鑓水をみて、冬廣はさらにドキドキとしてしまって固まる。冬廣がそこまで緊張しているなどと気づいていない鑓水は、そんな冬廣の様子に疑問を覚えながらもホテルに向かっていった。
***
到着したホテルは、この国に住んでいる人ならば誰でも知っている、というレベルの超高級ホテル。高いところにいくよ、とは聞かされていたものの、ここまでのところだと思っていなかった冬廣は、驚いてしまって無駄に髪の毛を整えだした。
荷物を部屋に置いて、そしてレストランへ向かう。冬廣はそれなりに高級レストランには慣れていたが、さすがに雰囲気に飲まれそうになっていた。鑓水も、決して慣れているというわけではないため、余裕そうにしているのは「今日は自分がリードしないとだから」という想いから、見栄をはっているだけなのだが。
「え、えっとー、こんな高いところ、大丈夫なの?」
「俺の通帳、波折みてんじゃん。全然大丈夫だよ」
「あ、そうだった、うん、そうだったね」
「……どうした? 波折」
レストランのシックな内装、落ち着いた雰囲気のライト、そして窓から輝いている夜景。席につくとそれらが相まって、鑓水がやたらとかっこよく見えてしまった。冬廣のドキドキは、もう最高潮に達している。それは、まるで初恋のように。もう鑓水とは3年以上の付き合いになるというのに、初々しいドキドキが冬廣の中に溢れていた。
と、いうのも。冬廣が鑓水への恋心を自覚したのが最近だから、というのもあるだろう。ずっと、自分を大切にしてくれるからという理由で鑓水のそばにいた冬廣は、長く一緒にいたはずの鑓水への恋心を自覚したのがかなり遅かった。だから、今の冬廣は鑓水に恋をしたばかりのような、そんな状態に陥っているのだ。
「っつーか知ってる? 神藤の奴、女達に「怖い」とか言われてるらしいぜ」
「そうなの? 確かに無愛想にはなったけど、中身は変わってないのに」
「そんな神藤につっかかるあの新人もすげえけどな」
「ああ、あの子は……たしかに、すごいかも」
冬廣が緊張していることに気づいて鑓水が話を振ってやれば、幾分か冬廣もリラックスし始めたようだ。会話も弾むようになってきたころ、注文していたシャンパンが運ばれてくる。
「……、」
鑓水が、グラスを持つ。その動作を、冬廣は目が釘付けになったように見つめていた。いつも、自分の体を優しく愛撫する指先がグラスを持つ。そして、そのグラスのなかで弾ける、シャンパンの気泡。ライトに照らされてきらきらと光っていて、美しい。
くらくら、した。飲んでもいないのに、酔ってしまった。恋心に、胸が潰されそうになりながら、冬廣は自らもグラスを持つ。視線を合わせようと顔をあげれば、いつもとは違う髪型の、鑓水。表情はいつものように優しいのに、まるで別人のような雰囲気があって、……くらくら、する。
「お誕生日おめでとう」
ちん、とグラスのぶつかる音。唇につけたグラスから流れ込んでくる、シャンパン。口の中ではじけたやわらかな気泡と共に、恋心がはじけていった。
***
「ほんと、今日の波折、どうした?」
「えっ……なんか、変?」
「いちいち照れちゃってさ。何年の付き合いよ」
部屋に戻るなり、鑓水は冬廣に抱きついた。食事をしているときからドキドキしっぱなしだった冬廣は、抱きつかれた瞬間に心臓が爆発しそうになって、かちんと固まってしまう。目が回るような感覚に見舞われて、冬廣は結局抱きしめ返すこともできなかった。そうしていれば鑓水は、さりげなく移動していって冬廣をベッドに誘導していく。
「ちょっ……ちょっと、慧太!」
「え、何!?」
「な、なにする気!?」
「な、何って……セックス……」
「シャワー、先だって!」
「……?」
抱かれる、と確信した冬廣は、鑓水を軽く押し返した。そんな冬廣の行動に、鑓水は驚愕してしまう。なぜ、なんて、もはや説明する必要もない。はっきり言って「淫乱」な冬廣がセックスを拒否したことが、とにかく驚きだった。いつもなら暑い夏の日だって、お互いの汗の匂いを感じたいが如く、シャワーなんて浴びないでそのままセックスをすることだってある、というのに。
しかし。鑓水は、すぐに冬廣がセックスを拒否した理由に気づく。「シャワーが先」なんて言うのは。性欲よりも羞恥心が先行している証拠だ、と。先程からの挙動不審な冬廣の様子と併せて考えれば、冬廣がこの状況と……それから、自惚れるわけではないが、ドレスコードをした自分に緊張しているのだ、と鑓水は気づいてしまったのだ。
それなら、尚更だ。この服装のまま、冬廣を抱く。時折、セックスの最中に冬廣が緊張している姿をみることができるが、その冬廣は普段の彼の中でもひときわ可愛らしい。今日、この状況なら……いつもよりもドギマギとしている冬廣を見ることができるだろう。
「波折。このままヤるぞ」
「はっ……!? ま、待って、ほら……せっかくのいい服にシワが……」
「いい服着た波折のことを乱してやりたいんだよ」
「ちょっ……まって……!」
抵抗も虚しく、冬廣はベッドに押し倒されてしまった。どうしても、今の冬廣にとってはシャワーを浴びないで抱かれることが恥ずかしくて。また抵抗しようとしたが……鑓水と目があって、その動きはピタリと止まる。
「……っ、」
いじわるそうで、優しい瞳で、鑓水は笑っている。そして、きっちりと結ばれたネクタイをほどいていけば、彼の首筋が、そして鎖骨が顕になっていく。
かっ、と顔が熱くなった。そして、体中の血液が茹だりだす。頭の中が真っ白になっていって、ただ、ただ、鑓水に魅了されていた。そして……羞恥心も吹っ飛んで、抱かれたい、そんな気持ちでいっぱいになる。
「波折」
「あっ……」
「おまえ、もう21歳なんだな。高校の時に出逢ったのに、大人になった今でも一緒にいてくれて、俺は嬉しいよ」
「け、慧太、」
「波折……おまえは、俺のすべてだよ」
するり、と頬を撫でられる。そうすれば冬廣はぶるぶると震えて、うっとりと顔を蕩けさせた。
もう、抵抗なんてできない。体も、心も、鑓水を受け入れることしか考えていない。
「波折――愛している」
あっという間に、体を開かれた。冬廣はまるで処女のように恥ずかしがりながらも、いつもよりも乱れていた。ドキドキのあまり、息があがって苦しい。少しだけ乱れたドレスコードと、髪の毛。かっこよくて、かっこよくて、目が離せない、のに、見れば見るほど胸が苦しい。
「け、慧太……だ、だめっ……あぁ、けいた……!」
こんなに、かっこいい人に抱かれているなんて。こんな彼が、自分だけを見つめているなんて。熱を汲む瞳、顕になってゆく肉体、低く耳障りの良い声。惚れているのは彼の中身にだというのに、それに付随する彼の要素全てにドキドキする。
ひとつになって、キスをしながら突かれて。大きなベッドに埋もれるようにしながらセックスをしていれば、夢の中にいるような心地になってゆく。自分は、地獄にいるのに。楽園にいるような、そんな心地になってゆく。
「あっ……あぁっ……!」
彼への恋心が。はじけて、冬廣のなかにある闇にぶつかる。狂ってしまいそうだ、堕ちてしまいそうだ――冬廣はイきながら、ぼんやりとそう思った。
あまりにも強い、この恋心が。自分を壊してゆく。
「けいた……慧太、……愛してる、慧太」
鑓水の耳に届いた、冬廣の愛の叫びは。まるで、人間の声のように、甘く、優しかった。
終