好きだった人



(き、気まずいぞこれは気まずい)



 檜山加純は、めんどくさがりだ。苦しい作業は嫌いだし、人間関係のいざこざも大嫌い。だから、そういうことはなるべく避けて生きてきた。裁判官になったのは、冬廣には「平和な世界をつくるため」と言ったが実際のところは給料が高いからである。金があれば楽な生活ができる。どうせ働くなら、給料が高いほうがいいに決まっている。そんな考えで裁判官の試験を受けて、なんだかんだで合格してここまできた。

 しかし。そうして裁判官になった先でこんな面倒事が待ち受けているとは思わなかった。面倒事、とは……



「あ、冬廣さん。どうぞ、おつぎします」

「ありがとう」



 妙にギスギスとした、この二人。ギスギス?という表現が当てはまるのか檜山にはわからなかったが、良好には見えない二人に挟まれて、檜山は辟易としていた。

――神藤沙良と、冬廣波折。この二人はどうにも普通の上司と部下の関係ではないようにみえる。

 今年、神藤と共に檜山はこの事務所に配属され、そして新人である二人の教育係として裁判官二年目の冬廣と有賀に世話になっている。こうした関係であるから、よくこの四人は顔を合わせることがあるのだが……神藤と冬廣はどうにも高校時代の先輩後輩らしく、昔からの顔見知りだったらしい。それならば二人は仲が良いのかと思えばそうではない。距離をとりあって、お互いに必要以上の接触をしようとしない。単なる上司と部下なのだからそこまで親しくする必要もないと思うが、ただその「距離をとろう」という意思が思い切り表に出ているものだから側から見れば二人の関係は「ギスギス」しているのだ。

 めんどくさがりの檜山としては、こういった面倒な関係性の人に挟まれるのは御免こうむりたい。しかし、今日は特にそうもいかない日だった。のほほんとした性格の有賀が四人で食事でもしようなんて言ってきたのだ。かくしてこのメンバーで居酒屋にくる羽目になった檜山は、きて早々にうんざりとしていたのだった。



「冬廣さんってお酒好きなんですか?」

「いや、普段はあまり飲まない」



 神藤と冬廣の会話を聞いていたくなくて、檜山は二人の間に割って入る。ちなみに神藤も檜山もまだ未成年。酒は飲めない歳で酒の話はできない。特にこの生真面目な冬廣を相手に、「ぶっちゃけ家で酒飲んだりしてますけどね!」とか言ったら大目玉をくらうだろう。だから、檜山は話題を間違えたと後悔した。すぐに会話は途絶えて、また微妙な空気が流れてしまう。



「そういや俺、冬廣が酒飲んでるところみたことないな」

「……そうだっけ」



 そこに、助け船。空気を読めるのか読めないのか有賀がやんわりと冬廣に話しかける。助かった、と檜山はほっと溜息をついた。



***



「……」



 この居酒屋に来て一時間ほどたっただろうか。檜山は頭が真っ白になっていた。脳内はカオス状態だ。もう、ハテナがいっぱいになって、何も考えられない。



「俺、有賀のこと好きだよ〜いつも頼りにしてるし優しいし、一緒にいて心地いいんだよね〜〜〜」

「冬廣の貴重なデレ!」



(いやいや貴重どころじゃねえよ! 誰だよそれ!)



 ぽけ〜っとした顔をしてグラスを持ちながら、甘ったるい声色で有賀を褒めちぎっているこの人は、本当に冬廣だろうか。どうやら冬廣は酒にものすごく弱いらしい。ビールを二杯ほど飲んだあたりでこのとおり、とろんとした顔になっていつもの風格がどこかへいってしまった。いつもはもっと、エリート様といったビシッとした風貌で口調も堅い。だから今の彼は、ギャップがすごいというよりもはや別人だ。



「ね〜、沙良〜、沙良は飲まないの?」

「俺未成年なんで」

「そうだっけ〜?」

「そうですよ」



(沙良!? なんで下の名前呼び!?)



 いつもはほとんど会話をしない神藤に、冬廣は甘えた調子で話しかける。しかも普段の「神藤」呼びではなく下の「沙良」という名前を呼び捨てときた。いつもの関係から考えると信じられないことだ。いったい神藤はどんな顔をしてこの冬廣を見ているのだろう、と檜山がちらりと横目で神藤を窺い見れば……神藤は口元をひきつらせている。



「……冬廣さん。もうお酒はストップで」

「沙良ー……やだー……」

「何が」

「名前で呼んで……さみしい」



 さみしい、そう言って冬廣は机に突っ伏してしまった。すん、と鼻をすすりながらしゅんとしたようにうずくまっている。檜山も、そして感情の起伏があまりない有賀までもその冬廣の姿には酷く驚いて、固まってしまった。いつもの冬廣はどこにいった。完璧超人エリート様の姿はここにはなくて、なんだか可愛らしい小動物のようになっている。



「……波折先輩。今後、お酒飲まないほうがいいですよ。そういう姿みせるとなめられます」

「さら〜、うれしい、へへ」

「……ハァ〜」



 にへ、と冬廣は笑って、そしてそれから動かなくなってしまった。呼吸の仕方をみてみると、どうやら眠ってしまったらしい。正直なところ超絶可愛いが、いつもと差がありすぎて萌えよりも驚きしか湧いてこない。



「……神藤、顔赤くない?」

「赤くない」

「うーん? それにしても冬廣さん、いつも怖いのにお酒飲ませると可愛いじゃん。これからめっちゃ飲ませよ」

「ダメ! 絶対!」



 普段威圧的な冬廣のこの姿は、悪くない。そう思って檜山が冗談めいたことを言ってみれば、神藤はカッと勢い良く掴みかかってきた。



「おまえ、波折先輩のことこうしてナニするつもりだよ!」

「ナニって何!? え!? 大丈夫、襲ったりしないって! 男だし! たぶん!」

「ほら、信用ならない! たぶんって言ったなおまえ! 波折先輩に甘えられて理性保てると思うなよ!」

「なになになになに!? ってか波折先輩って呼び方! っていうか何その経験者みたいな言い草!」

「経験者だよ!」

「ファー!?」



 突然の神藤の剣幕に、檜山はたじろぐ。「経験者」ってどういうことだ!? その言い草まるで冬廣さんのこと好きみたいな!? おまえ冬廣さんのこと嫌いなんじゃないの!? といろんなツッコミが頭のなかに浮かんできて、檜山はぱくぱくと口を金魚のように動かすことしかできなかった。



「あっ……俺そろそろ帰らないと」



 色々聞かせて欲しい、何から問い詰めよう、そう檜山が思った所でのんびりと有賀が言う。このタイミングでなんという……と恨めしく思ったが、先輩に文句を言うことはできない。それに明日も仕事があるし、あんまり長居すれば自分に負担が返ってくる。檜山は神藤への尋問を諦めて、はあと溜息をついた。



「冬廣ー、帰るぞ、起きろ」



 有賀がゆさゆさと冬廣の肩を揺らす。しかし、冬廣は「んー……」とぼやくだけで起きる気配がない。有賀は仕方ないといったふうに苦笑いをして、神藤に向かって手を合わせる。



「神藤、冬廣のお世話してくれない?」

「えっ!? なんで俺が!?」

「俺の家今兄貴が来ていて冬廣介抱できるスペースなくてさ! 神藤は冬廣と昔からの馴染みなんだろ、お願い!」

「……は、はあ……わかりました……」



 頼まれれば、神藤はあからさまに「ゲッ」といった顔をしていた。やっぱりあんまり冬廣のことを好いていなそうだ、と感じた檜山は二人の関係が気になって仕方なかった。



***



「……でない」



 有賀と檜山と別れた帰り道。冬廣をおぶりながら神藤はとある人物に電話をかけていた。電話の相手は、鑓水。冬廣をこのまま家に連れ込むのはどうにも抵抗があって、彼の同居人である鑓水に迎えに来てもらおうと電話をかけていたのである。しかし、10コールほど待ってみても鑓水は電話に出なかった。神藤は仕方ないと諦めて、冬廣を連れて自宅に帰るべくタクシーを拾うことにした。



***



「冬廣さん……吐いたりするなよ……」



 家に帰れば、すでに洋之と夕紀は寝てしまっていた。神藤はうるさくしないようにゆっくりと自室へ向かっていって、冬廣をベッドに転がす。神藤はベッドはシャワーを浴びてからあがりたい派だが、酒に酔った人にお湯をあてるのはあまり良くない。というわけで妥協して、シャワーは浴びせずに、上着を脱がせネクタイを解いてやって、そのままベッドに乗せてやった。



「……」



――一年以上、冬廣を家にはあげていない。久しぶりにこうして彼が自分の部屋にいるのを見ると、なんともいえないノスタルジーに襲われる。昔は、ここで身体を重ねたりしたよな、そう思って胸がちくりと傷んだ。でも今、彼に手をだすわけにはいかない。自分と彼は敵対しているし、それに……



「……!」

 今日は自分はリビングのソファで寝よう、そう思って沙良がベッドから離れようそとしたところで、くい、と服を引っ張られる。ぎょっとして振り返れば、冬廣がぽやんと目をあけて、じっと見つめてきていた。



「さら……どこいくの?」

「……えっと、……寝るために別室に」

「なんで違う部屋いくの?」

「冬廣さんが俺のベッド占拠しているからですよ」

「一緒に寝ればいいじゃん」

「……」



 冬廣の顔は、ぼーっと赤い。まだ酒が入っているようだ。

 神藤ははあ、と溜息をついてベッドに手をついて、冬廣を睨むように見下ろす。



「俺と貴方はそういう関係じゃないでしょう」

「えー……でも一人で寝るの……さみしい……」

「だめです! 一緒には寝れません!」

「なんでー……? 沙良、ひどい……」

「……、貴方のために言ってるんですけど!」



 この酔っぱらい! と叫びたいのを抑えつつ、神藤は冬廣の左手をつかみとった。そして、もう片方の手で冬廣の薬指をヅカヅカと差す。冬廣の左手の薬指に光るのは、銀色の指輪。



「俺と一緒に寝たら浮気になりますよ!」

「……うわき」

「鑓水さん悲しみますよ!」

「……えー……」

「えーじゃない!」



――この指輪を初めてみたときはびっくりしたものだ。神藤が今の事務所に入って冬廣に会ったときには、彼の左手の薬指にはこの指輪がついていた。まさか、と思ったがそれは鑓水が贈ったもののようだ。鑓水にも会った時に同じ指輪を身につけていたのを見て、確信した。神藤が高校を卒業するまでの一年間のうちに、鑓水があげた。あの尻軽の冬廣が指輪なんて受け取ったことにもびっくりしたし、飄々としている鑓水が指輪をプレゼントしたということにも驚いた。

――そして、密かにショックをうけた。



「さらー……いっしょに、ねよ? エッチはしなくていいから……」

「い・や・で・す! 失恋した相手と一緒に寝るとかどんな拷問だよ」

「さら……おねがい」

「うっ……」



 彼とは決別した、そう思っていても、彼が完全に鑓水のものになったという事実には胸をえぐられた。冬廣と必要以上に接触しないと決めているのは彼と敵であるからということもあるが、それと同時に失恋相手の顔をみて苦しむという傷口に塩を塗るようなことをしたくなかったからである。冬廣のことは今でも好きだ。高校時代、少しは冬廣への恋心を紛らわそうと告白された女子と付き合ったことは何度かあったが上手くいかなかった。彼以上に好きになれる人が、いなかった。だから、こうして彼から同衾を迫られている神藤の心情としては、そんなこと絶対に御免こうむるといった感じだ。

 しかし。冬廣はさみしさのあまりぽろぽろと泣きだしてしまった。……これをみては、いくら今の神藤でも断れない。なんだかいじめをしている気分になってしまうから。



「……先に言っておきますからね。悪いのは冬廣さんですからね!」

「わるい? なにが?」

「……朝酔いが覚めて文句言われても困るって言ってるんです」

「文句なんて言わないよー、さら」

「……はあ」



 諦めて、神藤は着替えだけをすると冬廣の隣に寝転がる。昔は一緒に布団にはいるとふわりといい匂いがしてどきりとしたものだが、今はそうはならなかった。彼の匂いは、シャワーを浴びていないせいだろう、居酒屋のタバコの臭いが若干混じっている。でも冬廣のいい匂いも確かにして、なんとも妙な気持ちになった。彼も大人になったのか、と。もう高校生じゃないんだよなあ、と。



「……さら。おやすみ」

「……おやすみなさい。……波折先輩」



 ぽん、と軽く頭をなでてあげれば、冬廣は嬉しそうに笑って、そして目を閉じた。

 ……ああ、好きだなあ。

 恋心はどうしても心に根付いている。でも昔みたいに泣いたりはしないし、ちゃんと割り切っている。彼が敵であると、わかっている。



「……波折先輩。助けてあげるからね」



 神藤は冬廣の額に口付けをすると、彼に背を向けて、目をとじる。



***



「……えっ」



 カーテンの隙間から太陽の光が差し込むころ。アラームよりも早く発せられた小さな悲鳴で、神藤は目を覚ました。のろのろと振り返ってみれば……



「……な、……な、なんで神藤と一緒に……!?」

「……」



 冬廣が身体を起こして、驚いたように自分を見下ろしている。きょろきょろと自分の居場所を確かめるように部屋を見渡したり、何か間違いをしていないかと自分の身体を確かめていたり。そんな彼の仕草をみて、神藤はうんざりとため息をついた。



「冬廣さんが酔っ払って寝落ちするからでしょ。俺が介抱を押し付けられたんですよ」

「えっ……え!? 待っ……俺昨日何か変なこと言ったり……」

「……してましたけど」

「なんて……!?」

「……さあ。とりあえずこの状況は俺じゃなくて冬廣さんが悪いんですからね」

「なっ……」



 昨日散々振り回された神藤は、ちょっとだけ意地悪をしたくなって冬廣を困らせるようなことを言ってみる。思惑通り冬廣はさっと顔を青くしていて、慌てた様子だ。



「大丈夫ですよ、俺が冬廣さんに手をだすこととか絶対ないんで」

「えっと……」

「それより冬廣さん、シャワー浴びますよね。そこの引き出しにタオルはいっているんで、取って行って浴室行ってきてください。俺はもうちょっと寝てます」



 冬廣は申し訳無さそうに眉尻を下げる。しかし神藤が再び背を向ければ、冬廣は観念したようにベッドから降りて、示された引き出しに向かっていった。



「……ごめん。沙良」



 引き出しから、タオルを取る。そして冬廣は、棚に置いてある写真をちらりとみて、部屋から出て行った。

 写真に映っているのは、卒業式の日に神藤、冬廣、そして鑓水の三人で撮った写真。もう、あの日は戻れない。それは二人共わかっていた。だから、酔いから覚めれば二人の間にはまた壁が生まれてしまう。

 神藤がひとり残された部屋に漂うのは、朝の冷たい空気だけだった。





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