死化粧
「なんだ、嫌な臭いがすると思ったらおまえか」
買い出しの帰り道、もう少しで屋敷に着くというところに差し掛かった辺りで、上から声が降ってきた。見上げてみればそこには、木の上に座る橡。いつも彼は木の上に座っているなあなんて思いながらスイは、ムッと頬を膨らませてみせる。
「嫌な臭いとはなんだ、失礼な」
「……おまえ昨日もヤってただろ」
「えっ?」
「うちの妖怪に抱かれてただろって言ってんの。くる日もくる日も飽きないねえ、股ゆるゆるなんじゃない?」
「……うるさいな、橡に関係ないだろ」
橡に迷惑をかけているわけじゃない。なんで橡にそんなことを言われなくちゃいけないんだ、とスイは憤慨した。そもそも自分だって時々襲ってくるじゃないか、なんてことは黙っておく。
いらっとしたスイは橡に背を向けて再び歩き出す。彼の嫌味にいちいち付き合っていられない。しかし――行く手は、阻まれた。ひらりと木の上から降りてきた橡は、すっとスイの前に立ちはだかり、にやりと笑う。
「前よりも死臭が強くなってるなぁ……妖怪に抱かれて抱かれて、仮初の愛を食ってるから。食い過ぎだよ、おまえ」
「……どいて」
「高嶺の後を追ってるのか? それで、人を知ることができるとでも? やめておけよ、余計に人から遠ざかるぞ。おまえのやってることは、普通じゃない」
「――どけってば! 橡にそんなことを言われる筋合い、」
今日はやたらと突っかかってくる。苛立ちが頂点に達したスイは、橡を突き飛ばそうとしたが――その手は、掴まれる。橡はずいっとスイに顔を寄せて、目を細めて囁いてきた。
「おまえの欲しいものなら、俺がやるって。他の妖怪に馬鹿みたいに抱かれてんじゃねえよ。なあ――スイ?」
***
「変に数をこなすよりも、質の高い一回だろ?」
「……橡は自分のが上手いって思ってるの? 自意識過剰か」
「ちげえよアホかてめえ。っていうかおまえいつも俺に抱かれてイキまくってんじゃん」
「うるさいな!」
欲しいものをやる、と。そう言って橡は、いつものようにスイを自室へ連れ込んだ。いつものように抱くつもりだろうと思っていたスイは特に抵抗はしなかったが、橡の言っていることの意味はよくわからない。他の妖怪たちとするのと、橡とするので何が違うというのか。
「ただ何人もを相手にヤったところで、心を埋めることなんてできないって言ってんだよ。おまえのやってるのは交尾でしかない」
「……それなら橡としても同じじゃないの」
「……他の妖怪と、違うことをしてやる」
「え?」
とす、と布団の上に押し倒される。そして――口付け。
ああ、抱かれる。最近はその瞬間が、好きだったりもする。気持ちいいことが、これから待っているのだと。体が、覚えてしまっているからだ。こうして布団に押し倒されると奥が熱くなるように――この屋敷の者たちに、体をつくられた。
(……あれ?)
橡の抱き方は、ちょっと強引な抱き方。それも好きだったから、スイはそれを期待し始めていたが――今日はいつもと違う。
口付けが、びっくりするくらいに優しい。髪の毛をゆっくり手のひらでかき混ぜながら、じっくりと熱を溶け合わせる。舌でスイの咥内を丁寧に丁寧に愛撫して、時折舌を絡めて。頭の中が蕩けてしまいそうで、スイは甘くとろとろの声を唇からこぼした。
「――スイ」
「んっ……!」
唇を話すと、今度は全身を手のひらでなでてくる。耳元に、唇をぴたりとくっつけながら。丁寧に丁寧に、優しく体を撫でて。スイの感じる部分もあくまで優しく、そしてちょっとだけ意地悪に。
「ちゃんと抱かれたこと、ないだろ」
「ぁんっ……そ、んなこと、……」
「ちゃんと、愛されたこと……ないだろ」
「……、」
「気持ちいいだけの交わりと、気持ちの繋がっている交わりは、全然違う」
「……橡、? あっ……ふ、あっ……!」
橡は湿っぽくささやきながら、スイのなかに指を挿れてきた。なぜかいつもよりも濡れていたスイのアソコは、くちゅくちゅといやらしい音が早々にたちはじめる。この、いつもよりも優しい触れ方で感じてしまったのだろうか。スイは、いつもよりも強い快感に悶えていた。
「あっ、はぅっ……つるばみ、っ……ん……」
気持ちの繋がっている交わりは違う、と橡は言う。それなら、今の橡が、その行為をしているというのだろうか。唇を奪われてしまったため、それを聞くことはかなわない。
そもそも――気持ちの繋がっている交わり、とは? ただ抱かれて、気持よくなれば、いろんなことを知れるんじゃないの? 橡の言っていることがわからず、スイは戸惑う。
でも――よくわからないけれど。たしかに、今日はいつもと違う。いや……今日は、というわけではない。最近の橡と触れ合っていて、ちょっと違和感を覚えていた。何かが違うな、と思っていた。今日はいつもよりもわかりやすくはっきりと優しく触れてくるからそれが顕著になっているだけで――
「ンッ――……」
なんだか、胸がきゅっとなる。切ない、感じ。
不思議な感覚に戸惑っていると、体がいつの間にか絶頂に達していた。なかをたくさんたくさん揉まれて、ほぐされて、掻き回されて。くちゅくちゅといやらしい音をいっぱいたてられて、びしょびしょにされて、イッてしまった。気づけばアソコがぬるぬるで、はずかしい。
いつもとは違うイキ方だ……それを、スイは感じていた。小さな絶頂が、断続的に襲ってくる感じ。びくん、と一回なかがヒクついて落ち着いたかと思うと……また、なかが呼吸をしたようにふくらんで、びくんっ。それを、何度も繰り返す。じわじわと全身に熱が染み渡り、下腹部のきゅんきゅんが止まらない。「ヤバイ」と感じるようなすさまじい快楽ではないが、ものすごく気持ちいい。心臓がどきどきとして、全身が熱くなって。すごく、幸せな感じだ。
「ぁっ……つるばみ、……んんっ……」
「ほら、スイ……俺をみて」
「あっ……ん、」
わからない。すごく、どきどきする。おかしい、体が……おかしい。
指でイかされて、今度は橡のものがはいってくるかと思ったけれど、なかなかはいってこない。橡はスイのなかを指でゆっくりとかき回しながら腰をぐっと抱き、そして口づけをしてくる。頭がくらくらするのは酸欠のせいだろうか。目を合わせながら舌を絡める口づけをしていると、頭がぼーっとして何も考えられない。
「んっ……ん、」
なかが、奥のほうが。きゅんきゅんとずっと、ずっとうずいていた。はやく、ひとつになりたい。橡の熱が欲しい。スイは腰を軽く振って、橡に訴える。はやく、挿れて、と。きっと橡は淫らなその行為を揶揄してくる……スイはそう思った。でも、挿れて欲しい。はやく、はやく――
「なんだ――挿れて欲しいのか?」
「挿れて、……つるばみ、いれて……!」
「ふっ……」
つぽん、と指を引き抜かれる。アソコがじんじんして、早く太いものが欲しいといっている。
「可愛いな、スイ。すごく、可愛い」
「へっ――あっ……あぁっ……!」
微笑んで、なんだか橡の口からは信じられないことを言って。そんな橡に呆気にとられていると、橡がずんっとなかに熱を挿れてきた。待ち望んだものが入ってきて、スイの体は歓喜する。ぶるぶるっと震えながらのけぞり、また達してしまった。
「つ、るばみ……」
――可愛い、なんて。そんなことを甘ったるい口調で言ってきて。橡はどうしたというのか。感じながらも戸惑って、スイは半ば混乱状態に陥ってしまう。
戸惑って、戸惑って。不思議そうな目で自分を見つめてきたスイを、がっと掻き抱いた。そして――スイの首元に顔を埋め、かすれた声で、言う。
「――好きだ」
「……ッ!?」
その瞬間。ぐんっ、と強く突き上げられて、スイは意識が飛びそうになった。何度も、何度も。キツく抱きしめられながら、揺さぶられる。
「あっ、はっ、ぁんっ、つる、ばみっ、あっ、あっ!」
――今、橡は、なんて。何を言ったのだろう。ちょっとよくわからなかった。だって、橡がこんなことを言うなんて……ありえない。橡は意地悪で、いつも憎まれ口を叩いてきて……好意なんて見せてこなかった……ような、気がする。
いや、でも、彼は。優しかった。意地悪のどこかに、小さな優しさが必ずあった。橡は……いつもどんな気持ちで俺に接していたんだろう。今までの彼の言動を振り返ると、ぎゅっと胸が締め付けられるような感覚を覚える。この感覚が何なのかはわからない。でも――すごく甘くて、熱い。
胸が張り裂けそう。橡と触れたところから伝わってくる熱に、すべてを壊されそう。このまま死んでしまいたいと思うくらいに……胸が、満たされている。
「目、逸らすな」
「アッ――」
ぐ、と両頬を掴まれて、じっと見つめられる。がつがつと突かれながら、スイは半強制的に橡と目を合わせることになった。
がくがくと震える視界のなか、灼熱の視線を落としてくる橡。心を燃やされてしまいそうで、くらくらする。交わる吐息に、どきどきする。
「……ほら、感じろよ。俺の、おまえへの、想い」
「あっ、あッ――……!」
もう一度、橡が言う。
「好きだ、スイ」と。
その瞬間に、スイは達した。頭が真っ白になって、毛穴という毛穴から汗を吹き出して、体を震わせて。激しく、イッたのだった。
***
その夜も、一緒に眠った。ひとつの布団にはいって、ぎゅっと抱きしめられながらスイは目をとじる。……自分からは、橡のことを抱きしめない。
だって――緊張する。橡に触れるのに、どきどきしてしまう。どうしたらいいのかわからない。
「……おまえさ、」
「えっ」
「なにビクッとしてんだよ。……あのさ、ヤるならヤるで一人に絞れば? マジで高嶺みたいになるぞ」
「……絞るって……」
「俺を選んで欲しいところだけど。だって俺は、おまえをちゃんと引っ張りあげてやれる。他のやつらとは違う……」
「……?」
「……抱かれるなら、おまえのことを好きな奴に抱かれろよな」
ぎゅ、と橡がスイを抱く腕に力を込める。そして、スイの頭に口付けた。その仕草があんまりにも愛おしげだったものだから、スイはまたさらに恥ずかしくなって、沸騰しそうになる。
自分のところを好きな人に抱かれる、それは――今までの行為とは違うものになる。だって、今日の橡との交わりは、いつもよりも甘くて苦しかった。何も考えられないくらいに気持ちよかった。この甘さと苦しさは、「好き」と言ってくれる人に抱かれないとわからないこと。でも……
「橡、」
スイは顔をあげる。そして、橡を見つめた。
そのスイの表情に――橡は、ハッと息を呑む。
「俺、先生みたいな作家になりたいから、それじゃ、だめなんだ」
嬉しそうで、切ない笑顔。
「……おまえやっぱ可愛くねえ」
嗚呼、またこの臭い。死体から臭う、この臭い。心が死に始めているスイからは――死体の臭いがする。
胸を締め付けられるその笑顔は、まるで、死化粧。
死化粧…終