虚無に惹かれる
縁側に寝そべって日向ぼっこしている男のもとに、一羽の鴉がやってくる。鴉は男の周りを歩き回り、やがて反応がないとわかると男のそばに座り込んだ。しばらくそうして柔らかな日差しを浴びていれば、男の腕がのそりとあがって、指先で鴉の頭を撫ぜる。
「おー橡、久しぶりだなぁ」
男がにへら、と笑えば鴉はぶるぶると頭を振って指を払う。そして、次の瞬間――鴉は姿を変えて青年の姿に変化した。
「ふん、嗣郎。おまえまた昼間っからぐーたらかよ」
「いーじゃない。いかに充実した時を過ごせるか、が僕たちにとって大切なことなんだから」
「へー」
男の名前は高嶺嗣郎。この屋敷の主人だ。そして橡はこの屋敷に住まう鴉の妖怪で、時々こうして高嶺のもとへ寄ってくる。橡は1日のほとんどを空を飛び回って過ごしているため、あまり屋敷の者たちと話す機会がない。だからこうして橡と話す時間を、高嶺は嬉しく思っていたのかもしれない。ツンとした橡の顔をみて、柔らかく微笑んでいる。
「っつーか嗣郎、聞きたいことあんだけど」
「なに?」
にこにことしている高嶺を、橡はじろりと睨みつける。不服、といった目つき。
「あいつ、なんなの?」
「あいつ?」
「あいつだよ、スイ! なんであいつを弟子にとったわけ? 特別聡いわけでもない、性格がいいわけでもない。顔がちょっといいだけの、凡庸なあれをなんで弟子にとったんだよ。もっと出来のいい人間がわんさかおまえのもとに弟子として志願してきていたのに」
以前高嶺の弟子であるスイと話した橡は、イマイチ彼が高嶺の弟子であることに納得できなかったらしい。ちょっと虐めてやれば可愛い顔をみせるというのは認めるが、弟子にとるにはあまりにも足らない人間であると橡はみていた。むすっとしている橡に、高嶺は吹き出してしまう。
「まるではじめて僕に会った時みたいなこと言ってるね。橡は、僕に対してもはじめのころはツンとしていた」
「……へっ」
「――そういうことだよ」
「?」
よいしょ、と高嶺が身体を起こす。風が葉を揺らす音が歌声のように聞こえた。光をおびてきらきらと輝く庭の草木たちを背景に、逆光となった高嶺の微笑みがぼんやりと。橡は思わず黙りこんで、その光景を眺めていた。
「……僕と、似ているでしょ。スイは」
***
月明かりが障子を抜けて、青白く室内を照らす。その真ん中で寝ているスイを見下ろすのは――橡。黒い着物をゆらゆらと揺らしながら、静かにスイに近づいてゆく。
「似ている? どの辺が?」
淡い光に照らされておぼろげに浮かぶ、スイの顔。その傍らに座り込んで、橡はその顔を覗き込む。穏やかな寝顔。こうして妖怪に見つめられているということには全く気づいていないだろう。楽しい夢でもみているのか、口元がどことなく緩んでいる。
「凡人面。起きているときよりは可愛げがあるにしても……嗣郎には似てねえよ」
伏し目がちな橡の瞳が揺れる。高嶺とはそれなりに長く一緒に過ごしていて、彼は橡にとっては大切な人だった。だから、ぽっと出のこの青年に似ている、とたとえ本人の口から言われたとしても、納得したくなかった。したくない、というよりできない。似ている点を、見いだせないのだから。
橡はそっとスイの頬を撫でる。肌の感触、熱……それらを確かめるように、ゆっくりと手のひらを滑らせていった。ふと、首筋に触れた時……スイがぴくんと身動ぐ。「ん……」と小さく声をあげて、は、と唇から吐息をこぼした。
「せめて……可愛げがあれば、なあ」
橡は唇をスイの首筋に寄せる。そして触れるだけの口付けを落とした。
快楽に悶えるときのスイの表情は嫌いじゃない。あのときくらいに可愛ければ……もう少し好感を持てて、高嶺の言っていることに納得できるかもしれない、そう思った。ちろ、と耳の付け根を舐めてみれば、スイがまた、ぴくんと揺れる。悪くない反応だ……橡は続けて耳孔に舌を挿れていき、吐息を吐きかけながら耳を愛撫した。
「ん……ぁ……」
「……」
布団を剥ぎ、スイに覆いかぶさって、着物の帯を解いてやる。そしてするりと手を胸元に滑り込ませて、ゆっくり、ゆっくり肌のなめらかさを堪能するように撫でてやる。
「スイ……ここ、好きだろ……」
「あぁっ……」
かすれ声で囁きながら、乳首をきゅっとつまみ上げた。甘い声をスイがこぼす。ぞく、と橡のなかに嗜虐心が湧き上がった。無抵抗のいけ好かないこの青年を、今なら好きにしてやれる。もっと恥ずかしいところを俺に見せろよ――そんな想いがあぶくのようにぼこぼこと胸の内から生まれ出てくる。
「ほら……もっと鳴けよ……スイ……」
「あんっ……」
「もっとだ、もっと……」
「んっ……あぁん……」
スイの腰が揺れる。乳首がぷっくりとふくらみ、下腹部も勃ちあがり下着がもりあがっている。寝ながら感じているのか……そう思うとおかしくてたまらなかった。素直に感じているところだけをみせるスイは、やっぱり少し可愛いと思った。
「んっ……?」
「あ、」
「……つるば、み……?」
「ち、起きたのかよ」
スイが瞼をあけて、橡を見つめていた。橡は舌打ちをしながら身体を起こす。もうちょっとイタズラをしてやりたかったな、と残念に思いながらスイを見下ろして……は、と息を呑む。
ぼんやりと虚ろな瞳。そこに朧に映る、自分の顔。どこか不安定なそれに……橡は目を奪われた。
「つるばみ……」
「……!」
ゆらり、スイが手を伸ばしてくる。目は開けているが、意識がしっかりと覚醒していないらしい。ぼーっと何も考えていなそうな表情をしながら、橡の首に腕を回す。そして、ゆっくりと引き寄せられたものだから、橡はそのままスイの上に再びのしかかってしまった。
「橡……もっと……」
「……スイ、」
甘い声色と、虚ろな瞳。スイから醸しだされる淫靡な雰囲気に、橡は呑まれてしまった。彼が寝ぼけているとわかっていても、もう衝動をとめられなかった。
キスをしたい。ふいにそう思った。だめだ、こんな奴に――そう思うのに、橡は我慢できず、スイの唇を奪う。
「んんっ……」
く、とスイの身体がのけぞる。ふわりと儚い艶声がこぼれて、まるで虫が花の香りに誘われるように……橡はキスを深めていく。重ねられた身体はゆらゆらと揺れ、背に回された手は橡を欲しがるように力が込められて――甘い口付けに、橡は酔いしれる。
「スイ……」
「あっ……あぁ……」
橡がスイの下着に手をのばす。そして、布地の上からかたくなったそれを撫で上げた。はあっ、とスイの唇から、たまらない……といった吐息がこぼれてゆく。それを塞ぐように唇を覆うキスをすれば、スイの悶える様子を直接感じ取ることができた。
頭のなかがふわふわと定まらない。酩酊感を覚える。キスになぜこんなに自分が夢中になっているのか、わからなかった。この、虚ろな姿に――凄まじいまでの焦燥を覚えたのかもしれない。もっともっと自分の色に染め上げたいと、そんな嗜虐心にも似た性が騒いでいる。
スイのものの先を、指先ですりすりと擦ってやる。そのたびにぴくん、ぴくん、とスイが震えるのにたまらない快感を覚えた。じわじわと下着にシミができていくのもまた、イイ。
「ほら……もっと気持ちよくなれよ……スイ……」
「あっ……ん……つるば、み……あぁ……」
じりじりとスイを追い詰めてゆく。徐々にはあはあとスイの息があがってゆく。それにあわせて橡の興奮も増していって、キスも激しくなってゆく。
「んっ、んん……ん……」
ぴくぴくっ、と震えて、スイは静かに達した。こわばっていたスイの身体から力が抜けてゆく。呼吸が落ち着いてゆくなかも、橡はスイに口付けを続けていた。
しばらくして、スイは再び眠りに堕ちていってしまった。余韻もへったくれもない。絶頂で体力が奪われてしまった、とでもいうようにそのまますうっと寝てしまったのだ。橡はなんとなく苛立ちを覚えながらも、じっとスイから目が離せなかった。着物を乱してすうすうと寝ている姿に、胸の中がもやもやとした。
「わけわかんね……」
橡はため息をついて、剥いだ布団をひっぱりあげる。そして、自分もスイの隣に横になると、そのまま目を閉じて眠ってしまった。
***
「……えっ!?」
スズメの鳴き声と共に目を覚ましたスイは、布団の中に自分以外の誰かが潜り込んでいることに気付き、驚いて跳ね起きた。そして、その誰かの正体をみて、更に驚く。
「つ、橡!?」
布団のなかで自分に擦り寄るようにして寝ていたのは、橡。彼に貶された記憶しかないスイは、自分の前でこんな隙だらけの姿をみせられて混乱してしまった。寝ている間に潜り込んだ?なんで?俺のこと嫌いじゃなかったのか?様々な想いがこみあげてくるが、どうしても答えらしい答えには辿り着かない。
「んー……」
「橡……!」
「……うっせー……」
スイがわたわたとしていたからだろうか、橡も覚醒する。身体をのそりと起こし、気怠げに頭をがしがしと掻いて――ジロッとスイを睨みつけた。
「ちっ……起きたらやっぱりピーピーうるせえだけのクソガキじゃねえか」
「はあっ!? なんだよいきなり! っていうかなんで俺の布団で橡が寝ているんだよ!」
「……ふんっ」
橡はスイの問に答えることなく、布団から抜けだしてそのまま部屋を出て行ってしまった。スイは唖然とその後姿を見つめていたが……ふと、下腹部に違和感を感じて恐る恐る、ソコに手をのばす。
「ひえっ……!?」
下着のなかが、精液で濡れていた。いやらしい夢でもみていつの間にか夢精してしまったのだろうか――と一瞬思ったが。違う。すぐにスイは気づく。橡が何かしたのだと。
「な、な、な……」
かあっと顔が熱くなった。「あの」橡が、寝ている自分に何をしたのだろうと、そう考えると頭が真っ白になった。
一体、どんな顔をして自分に変なことをしたのだろう。正直、みてみたかった。ちょっとだけ残念に思ってしまった自分が恨めしくて、スイは悔しげに布団の上に転がったのだった。
虚無に惹かれる…終