満たして




「うーん……」


 自室に寝っころがりながら、スイは難しい顔をしていた。その手には一冊の小説。高嶺嗣郎著の小説である。今日も一日縁側のあたりに寝そべっては庭のスズメなんかを眺めて茶をすすっていた高嶺。あの堕落した男が書いたとは思えないその小説にスイは納得がいかなくて、ずっとこうして唸っているのだった。ため息すらもでてしまうような美しい言葉たち。人の深淵を突くような心の描写。ここまで本人と作品の印象が違うと代筆すら疑ってしまうが、全く信用できないのかと言えばそうではない。あの、高嶺が変貌した夜。あのときの彼をおもえば、たしかにこの小説は彼が書いたものだと納得できる。


「……おかしいだろ……二重人格疑うくらいだよ、あれ……」


 最近、スイは度々あの夜を思い出しては身体が熱くなって、参っていた。昼間は足蹴にしたくなるようなだらしない彼。でも、あのときは……あのときの彼の前で自分は、完全に屈服していた。ずっと敬愛していた高嶺嗣郎、その人に触れられる燃え上がるような歓びに、身体が震えていた。


「ん……」


 また思い出して、じん、と下腹部が熱くなる。スイは目を閉じて、もじ、と腰をくねらせた。こっそり自慰をしても最近は全く満足できない。彼に……もう一度、触って欲しい。


「……せんせ、」



***



 夜が訪れる。虫の鳴き声が外から聞こえてくる。そんななか、一歩足を踏み出せば軋む廊下を、スイはそろそろと歩いていた。向かう先は、高嶺の書斎。どくんどくんと高鳴る鼓動に目眩を覚えながら、スイは襖の前で立ち止まる。襖の隙間から、少しだけ光が溢れていた。高嶺がいる。そう思うとかあっと顔が熱くなった。この襖を隔てて彼は変わる。草臥れた自堕落な男から、淫靡で蠱惑的な男へ。


「……先生。中に入ってもよろしいでしょうか」

「……スイかい? いいよ、おいで」


おいで。その響きにずくんと下半身が震えた。そっと襖に手をかけて、開く。


「……っ」


 襖の奥には、「高嶺嗣郎」がいた。すっと背筋を伸ばして座っている、色男。ちらちらと揺れるランプに照らされたその顔が、艶っぽい。


「あ、あの……突然すみません。先生……ききたいことがありたくて……」

「ききたいこと?」

「先生のような美しい文章を書けるようになるには、どうしたらよろしいでしょうか……」


 言葉は尻すぼみになる。声が掠れる。昼間のように、彼の前で威勢良くいられない。緊張してしまって、ろくに言葉を紡げないのだ。


「美しい、文章」

「たくさん……言葉を学んでいます。でも、先生のように美しく並べることができません……俺に足りないものって……なんでしょうか」

「……自分に足りないものは自分でみつけてこそ成長できるものだよ」

「……はい」

「……でもひとつだけ言えるなら……経験、かな」


 す、と布擦れの音がした。は、と顔をあげれば高嶺が立ち上がってこちらに近づいてくる。


「満たされた人間は、強い力をもっている」

「満たされた、人間……」

「君はまだ……空洞がいっぱいある人間だね。人の心に強くうったえかけるようなものを書くのは難しいんじゃないかな」

「……たしかに俺は……まだ若いし中身もない、ですけど……」


 する、と高嶺の手がスイの髪を撫でた。「あ、」と小さく声が漏れてしまってスイはかあっと顔を赤らめる。


「……先生……どうしたら俺は満たされますか。先生の言っていることは……わかるようで、わからない……」

「人の暖かさにたくさん触れることだ」

「人の、暖かさ……」

「……教えてあげようか。師として」


 ぴく。腰が小さく震えた。高嶺の手のひらが頭から頬へ降りてくる。どくんどくんと鼓動が早まってきて息が苦しい。期待してもいいだろうか。あの夜と同じこの部屋で、高嶺が「師匠」になったこの瞬間。この身体を彼が満たしてくれることを。

 スイはきゅ、と唇を噛みながら、高嶺の手のひらに頬ずりをした。そして、震える瞳で高嶺を見上げる。そして、薄く唇を開いて、吐息混じりの声で懇願した。


「……先生……教えてください……」


 高嶺が、ふ、と笑った。余裕いっぱいのほほえみ。くら、と視界がふらつく。


「じゃあ、スイ。着物を脱いで」

「……はい」


 ああ、やっぱり。これからきっと、……触られる。

 じゅくじゅくと下腹部が疼く。これは、師匠と弟子の「お勉強」。いやらしいことなんかじゃない。そうした状況がさらにスイの興奮を煽る。

 着物の帯を解く。するすると帯は落ちていって、ぱさ、と音をたてて畳の上に横たわった。そして、着物も脱いでゆく。肩をはだけさせ……少しずつ肌をあらわにしてゆく。はあ、と熱い息が唇からこぼれる。じっとりとした高嶺の視線が肌をなめる。あの夜たくさん弄られた乳首が、ぴく、と震えた。触ってもいないのにツンと勃っている。こりこりに固くなったこの乳首もみられてしまっている……興奮していることが、高嶺にバレてしまう。……着物を脱ぎ終わって畳の上に落とすころには、性器が芯を持ち始めてしまっていた。


「……下着もだよ、スイ」

「はい……」


 下着を脱ぐと、ぷるん、と勃ちあがったそれが姿を表した。恥ずかしくてスイはぎゅっと目をとじる。表情を一切変えずにみつめてくる高嶺のお陰で自分だけが勝手に興奮しているような感覚に陥って、尚更気持ちが高ぶった。


「……やっぱり、スイの身体は綺麗だね」

「やめて……先生」

「感想を言っただけじゃないか。……うん。じゃあ……その布団の上で四つん這いになって」

「……っ」


 命令されただけでスイは達しそうになってしまった。ぴくっ、とスイの性器が一度震える。恥ずかしい体勢を命じられて、それでも高嶺の命令だから逆らえなくて。だって彼は高嶺嗣郎。敬愛する師匠。スイは素直に布団の上まで移動すると、その上で四つん這いになってみせた。


「そう、いい子だ、スイ。ずっとその体勢は辛いだろうから……上半身は伏せて、腰だけ高く突き上げて」

「……っ、はい……」

「よくできたね、スイ。でももう少し脚を広げて……僕に全部見せて」

「……はい、せんせい……」


 なんて恥ずかしい格好をしているのだろう。体中が熱くて、はあはあと息をして必死に熱を逃がす。高嶺は机から何かを取り出して戻ってくると、突き出されたスイの臀部の前に座り込む。


「スイ……これからいっぱい満たされるんだよ。今日はその準備を僕がしてあげよう」

「はい……お願いします……先生……」

「じゃあ、スイ……自分でお尻の穴を広げてごらん」

「え……」


 なんてはしたない。ぎょ、としてスイが振り向けば、高嶺が静かに笑っている。やらなきゃ。先生が言っている……言うことをきかなきゃ……

 スイは秘部に指を添えると、ゆっくり……左右に引っ張った。しっかり締まった穴が少しずつ開いてゆく。なかに空気が触れて、すーすーする。高嶺の視線を感じると、なんだか奥の方がひくひくと疼いてしまった。


「せんせい……恥ずかしい……」

「ここもスイは綺麗なんだね」

「や……せんせ……」

「じゃあ、ここ……ほぐしていくからね。ここで気持よくなれるように」

「っ……!? せんせい……?」


 え、ここって出すところじゃないの? そう思ってスイが驚いたような表情をすると、高嶺がにっこりと笑った。そういえば、男同士が交わっている春画をみたことがあるような気がする。もしかして……もしかして、ここに、挿れていたのだろうか。じゃあ、先生がやろうとしているのは……


「先生……俺……そんな……だめ……」

「だめ? だめならやめてもいいよ」

「えっ……」

「ここで気持よくなると、今までの快楽なんてバカみたいに思えるくらいに……天国を味わえる。本当に、やめる? スイ」

「……、」


 女の身体みたいにされる……少し、抵抗がある。でも、でも……満たされたい。天国を知りたい。高嶺に恥ずかしいところを弄って欲しい。

 スイがごくりと唾を呑み込むと、ふるふると首を振った。やめないでください、小さく囁いた。

 カラン、と金属の音が聞こえる。振り向くと、高嶺が小さな缶のようなものを持っていた。高嶺はなかからクリームのようなものを指にとる。


「潤滑剤だ。痛くないようにね」


 高嶺の指が、スイの秘部に触れる。その瞬間……きゅっ、と入り口が締まった。


「あぁんっ……」


 触れられたそのとき、じゅんっ、と熱が下腹部に広がっていった。びくんっ、と腰が跳ねてしまう。高嶺は構わず、潤滑剤を塗りこむように秘部を円を描くように撫でる。くり、くり、と敏感なそこをいじられると、きゅんきゅんと中が疼いてとてつもなくいやらしい気分になってゆく。


「はぁん……あぁ……せんせぇ……」

「すっごくひくひくしているね、スイ。これから、中に指を挿れていくからね」

「はい……」


 つぷ、と指が中に挿れられる。ああ……挿れられちゃった。喪失感と、もうひとつ、酷い興奮。恥ずかしいところを弄られていると、支配されている気分になってしまう。肉壁を押し広げながら入ってくる指が高嶺のものだと思うと、堪らない嗜虐心に身体が熱くなった。


「痛くない?」

「はい……」


 潤滑剤のおかげか、指を根本まで挿れられても痛くない。中でくいくいと指が動き出したが、拒絶感は生まれなかった。

 しばらく指は一本のまま、中をぐりぐりと弄られていた。気持ちいいのか排泄感なのかはわからなかったが、状況だけで興奮してしまっていたスイの性器から、つうっと雫が落ちる。ぽた、と雫が布団に落ちた瞬間……びくんっ、と強烈な快楽と共にスイの身体が跳ね上がった。


「あんっ……!」

「ん……ここかな」

「な、なに……先生……」

「気持ちいいところだ」


 きもちいいところ。そう言って高嶺は、なかの少し膨らんだところを指の腹でこりこりとこすりはじめた。そうすると、とたんにじゅんっ、じゅんっ、と痺れにも似た甘い波紋が下腹部に広がってゆく。今までの「出ちゃう」という快感というよりは「来る」といった快感。いつもとは違うそれに、スイは半ば混乱し始めていた。


「あぁっ……へんっ……せんせい……そこっ、だめぇ……」

「だいぶ、良さそうだね」

「はぅ……あぁあん……」


 腰から力が抜ける。スイは高く突き上げた腰を、無意識にゆらゆらと揺らしていた。

 なにこれ、やばい。怖くなって抵抗したいのに、舌が回らなくて口を開けば甘い蕩けた声しかでてこない。


「あぁん……だめぇ……だめぇ……ふぁ、……あぁ……」

「「だめ」、じゃなくて「気持ちいい」って言ってごらん」

「うぅ……あぁっ……きもち、いい……あぁあ……きもちいい、きもちいい……あぁん……」


 くちゅ、くちゅ、といやらしい水音が聞こえてくる。高嶺によってこの感覚が「気持ちいい」のだと教えてもらうと途端に快楽が増幅した。身体をくねらせて、シーツをぎゅっと掴みながら快楽を享受する。


「指の本数、増やすからね……ほら、二本。……大丈夫かな?」

「はぁう……ふとい……」

「痛かったら言ってね」

「あぁ……いたく、ないです……あんっ……あんっ……」


 二本に増えた指が、再びいいところをごりごりしてくる。ぎゅっ、ぎゅっ、と内側に向かってソコを揉まれると、ゾクンゾクンと脳天を突き抜けるような痺れが下から這い上がってきて、どうしようもなくなる。


「あんっ……あんっ……いいっ、いい……ふといの、いい……」

「ほら……気持ちいいね。スイ。もっと声をだしてごらん」

「あぁんっ……あんっ……あんっ……あんっ……」


 ちゅぷちゅぷと指が出し入れを始めた。ぞわぞわと全身に鳥肌がたつ。


「今日は二本でイッてみようね、スイ」

「はい……せんせぇ……」

「ちゃんと返事できたね。いい子、スイ」

「あぁあっ……はげしいっ……せんせぇ……はげしい……」

「気持ちいいでしょ? ご褒美だよ、スイ」


 ずぶずぶずぶずぶ。少し早めに指を動かされて、スイは弓反りになって嬌声をあげた。ぞぞぞっと甘美な波が体の中で何度も波打って、おかしくなってしまいそうになる。


「あっ、あっ、あっ、あっ」

「締め付け、すごいね。スイ。随分と感じているみたいだ。呑み込みの早いお弟子さんで嬉しいよ」

「あぁっ……あぁん……せんせ、せんせ……あっ、あっ、いく、……いくっ、いくいく、あっ……」


 ぎゅううっ、と渦の中に引っ張り込まれるような快楽を感じる。つま先に力がこもる。シーツを掻いて、獣のような体勢で、くっと上を向いて。目を閉じながら、スイは絶頂に満たされてゆく。


「あぁあぁ……」



***



 今まで生きてきて、一番の絶頂だった。ぼんやりとして動けなくなってしまったスイはぱたりと倒れこんで、そのまま布団の上で微睡んでいた。高嶺が布団をかけてくれて、ぽかぽかと暖かい。
 
 傍らにあぐらをかいて座っている高嶺が、スイの頭を優しく撫でる。スイはぽーっとしながら視線を高嶺にむけて、その顔を見つめていた。


「……これからも、満たされることを教えてあげるよ。いつでもここにおいで、スイ」

「せんせ……」

「君は、僕の弟子だ」

「教えて……せんせい……いっぱい、教えてください……」


 ふふ、と高嶺が笑った。胸がきゅん、とした。


 高嶺の手のひらが暖かい。気持ちいい。


 ふわふわと胸が満たされていって、スイはそのまま、眠りに堕ちていった。





***



「先生……」

 
 太陽がてっぺんに昇る時間。気持ちのいい秋晴れの爽やかさを一気に壊したのは目の前にいる人。

 スイは掃除のために部屋にはいるなり、ひく、と口元をひくつかせた。部屋の真ん中で大の字になって横たわっている高嶺。顔色が、ひどく悪い。彼の傍らに転がる酒瓶と部屋に充満する酒の臭いに、スイはすぐに状況を把握した。


「ああ……スイ……」

「先生……お酒を飲むのはいいんですけど、間違っても吐かないでくださいね。掃除するの、俺なので」

「吐かない……大丈夫、僕吐けない人だから……スイ、それより、水をもってきてくれないか」

「……」


 すうっ、とスイの表情が凍りつく。スイはずかずかと高嶺に近づいていくと、持っている箒でぱしりとその尻を叩いてやった。


「いたっ! 師匠のことは丁重に扱いなさい!」

「元気そうでなによりです。では」

「ちょっ……水! 水をくれー!」


 ち、と舌打ちをしながらスイは部屋を出て行った。向かう先は台所。あのまま具合でも悪くされたら迷惑だ。台所につくと、苛々としながらスイはコップに水を注いでゆく。


「だめな大人すぎる……クソ師匠」


 はあ、と溜息をつく。昨晩のことを思い出すとやはり恥ずかしくて彼を直視できない……なんて、朝は思っていたが、先ほどの体たらくぶりをみて、そんなことはなかった、と苦笑いする。


「なんなんだあの人……」


 だらしのない泥酔した姿と、夜のあの姿。あんまり違うとどうしたらいいのかわからなくなってしまう。

 一瞬昨晩のことを思い出して体が火照ってくると、スイはごまかすようにして、ちゃんとしろよいい大人が! と心のなかで悪態をついた。



満たして…終


高嶺嗣郎の章



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