君をえがく
「あの、いつも言っていますけど。俺は先生の弟子であって召使じゃないんですよ」
スイは夕食を食卓に並べながら、へらへらと笑っている高嶺に向かって言う。この食事は、スイがつくったものだ。炊事洗濯掃除……家の家事をほとんど任されて、スイの苛立ちも頂点に達しそうになっていた。弟子というのはある程度師匠の身の回りの世話をするもの、というのは理解している。しかし、肝心の教えというものを一切享受しない状態でひたすらに雑用をさせられているのだから、文句のひとつも言いたくなってしまうのだ。はじめのころの尊敬はどこかへいってしまった。高嶺は師匠らしいことをしてくれないどころか、人としてもだらしがない。一日中ごろごろとして酒を飲み、ときどき屋敷の妖怪と戯れている。執筆をしているところはほとんど見かけない。本当に彼が「高嶺嗣郎」なのか、と疑ってしまうくらいだ。
「そ〜んなに言うなら、弟子としてひとつお手伝いをしていただきましょうかね」
「お手伝いって……また障子の張替えとかですか」
「いやいや、執筆のお手伝い」
「……え?」
ぶす、としながら食卓についたスイに、高嶺は笑いかける。高嶺の言葉にスイは箸をとろうとした手を止めてしまった。今、彼は「執筆の手伝い」といっただろうか。弟子らしいことができる? ほんとうに? 驚きのあまりスイが間抜け面を晒してしまえば、高嶺はぼりぼりと沢庵を咀嚼しながら箸でスイを指す。
「そう。っていうわけで風呂からあがったら僕の書斎に来てね」
「は、はい」
ここまで雑用に耐えてきた甲斐があった……! スイは喜びのあまり万歳をしそうになったが、既で耐える。いつものだらしのない表情で食事を続ける高嶺をちらちらと見ながら、スイは機械的に手を動かしてなんとか完食したのだった。
***
風呂からあがってスイはそろそろと高嶺の書斎へ向かう。ここにはあまり近付くな、といつも言われていたためほとんど来たことがない。スイが襖の奥に向かって高嶺に呼びかけてみれば、いつもの間延びした返事が返ってきたため、ほっとして襖をあけた。
「あ……」
開けた瞬間、とくん、と心臓が跳ねた。その部屋はたくさんの本で埋め尽くされていて実際の部屋の広さよりも狭く感じる。仮眠をとるためのものと思われる布団の奥に机が置いてあって、その前に高嶺がこちらに背を向けて座っていた。ぶわ、と中から溢れ出してくる紙の匂い、そしてすっと伸びた高嶺の背筋。彼は、まぎれもなく「高嶺嗣郎」。いつものだらしなさを一切感じさせないその後姿に、思わずスイは息を呑む。
「……スイ。待っていたよ。こっちにおいで」
「は、はい」
高嶺は振り返った。机に置いてあるランプだけが彼の顔を照らす。思わずどきりとしてしまって立ち止まれば、彼の瞳が細められた。スイは慌てて襖を閉めて、布団が敷いてあるあたりまで歩を進めてゆく。
「お手伝い、っていったでしょ。今日スイにしてほしいのはね、僕のお話の主人公になってほしい」
「……どういうことです?」
「今僕が書いているお話には、美しい青年がでてくる。より鮮明に読んでいる人にその美しさが伝わるような文章を僕は書きたい。でもね、今の僕にはそれが書けないんだ」
高嶺が立ち上がる。そしてスイに近づいてきた。は、と目を瞠ったスイの手をとると、うっすらと微笑む。
「言ったよね。良い作品を書く人は良い経験をしている人。僕は、まだ美しい青年を知らない」
「あ、の……先生」
「僕に、男の美しさを教えてくれないか、スイ」
ゾク、と身体の芯が震えた。ランプの逆光で影のできた高嶺の顔、そして大人の表情。いつもとはまるで違う、彼。なぜだか怖くなってスイが一歩後退すれば、くい、と手を引かれてそれは阻まれる。そして高嶺の指先がスイの髪を、頬を、首筋を……撫でてゆく。
「大丈夫だ、怖いことはしない」
「せ、先生……まって、」
「弟子は師匠のいうことをきくものだ」
「せん、せい……」
ふ、と高嶺が笑う。身体が熱い。この人は誰。ほんとうに、あのだらしがなくて草臥れた男なのか。書斎の中でのこの人は……敬愛する「高嶺嗣郎」そのもの。言うことをきけ、なんて言われても、抵抗感を覚えることもなく、ただ好きにされてしまいたいと思ってしまう。
高嶺はふらりとスイから離れていくと、椅子をくるりと回して座る。そして、今度はこちらを向いて座った。ペン立てから墨のついていない筆をとると、筆先をぴ、とスイに向ける。
「布団のうえに座って」
「……はい」
「そして、着物を脱いで」
「……え」
なんとなく、雰囲気でこの命令は予測できていた。しかし、改めて言われてしまうと、やはり戸惑った。スイは恥ずかしさに高嶺から目をそらし、着物の襟を掴んだまま固まってしまう。しかし、高嶺はそんなスイをみて優しく微笑む。
「……脱いで。スイ」
「……っ」
優しい、低い声。それが床を這ってきて、ずく、と下腹部に突き刺さる。ぴくん、とスイの腰は揺れる。部屋全体が熱っぽい空気に包まれたような錯覚。はたから見れば理不尽な命令なのに、全く嫌悪感を覚えない。もしも昼間の高嶺に言われていたら絶対にはねのけていた。それくらいに今の彼は、いつもと違う。逆らえない。彼の口から発せられる言霊は、魔力をもっているに違いない。
スイはぎゅっと目をとじると、着物の襟をひらく。そして、するりと肩をはだけさせて上半身をあらわにした。それだけで、息があがってくる。舐めるような高嶺の視線が、身体にまとわりつく。
「背をまるめないで。背を伸ばして、ちゃんとスイの身体を僕にみせるんだ」
「……っ、はい……」
「そうだ。……綺麗だね、スイの身体。陶器みたいに白くてすべやかで。自分で自分の肌をみてごらん。ほら……ランプの光が君の身体を美しく彩っている。引き締まった身体に浮かび上がる影が……」
「せ、先生……やめてください……恥ずかしいから、……!」
「はは、そうかい。事実を言っただけなんだけど」
自分の身体を華美な言葉で表現されることに、スイは激しい羞恥を感じた。顔を真っ赤にして身体を震わせるスイをみて、高嶺はくすくすと笑っている。思わず身体を隠すように手を身体の前で組めば、高嶺が立ち上がったものだからスイはぎょっとして後ずさった。しかし高嶺は構わずスイを後ろから抱きかかえるように座ると、耳元で囁く。
「スイ……僕はね、もっと知りたいんだ。君の美しさを」
「な、な……」
「いいか、素直に反応するんだぞ。いつもの生意気は、今はいらないからな」
「せ、先生……?」
高嶺が手にもった筆で、ぺち、とスイの頬をたたく。何をするんだ、と高嶺の方へ首をまわせば、ぱちりと目が合って目眩がした。ランプの光がちらちらと映り込む瞳。どこか疲れた風のその瞳が今は、ひどく色っぽく感じた。慌てて顔を前に向けると、高嶺が顎に指をそえてきた。くい、と軽く上を向かされて、首筋を筆の先で撫でられる。
「ん……先生……くすぐったいです、やめて……」
「首筋……綺麗だね。こうした明るさのなかだと、くっきりと影が浮かび上がって色気がある」
「ちょ……だからそれやめて、……あっ……」
筆先が鎖骨のくぼみをくりくりと撫でてきた。普段人に触られることのないような場所。そこを執拗にいじられて、思わずスイの唇からはため息が漏れてしまう。
「くすぐったい、って……先生……」
「スイ。なんで筆でいじっているかわかる?」
「……いえ、……あっ、……」
「……この筆でこれから書くからさ。君の美しさを知ったこの筆で、男の美しさを紡いでいくんだ。意味はわかるね。君の反応すべてが、僕の作品になるんだよ」
「俺が……先生の……、あ、あ……」
ぞくぞくっ、と甘い電流が身体を突き抜ける。自分が、高嶺嗣郎の作品になる。この行為が、彼のものに。つう、と首筋を伝う自らの汗が、妙になまめかしく感じた。そしてそれを筆先で絡め取られると、いよいよいやらしい気分になってしまう。
スイの息があがってゆく。もう、高嶺に好きにされたい。その筆で、身体の全てを触って欲しい、この身体の全てを知ってほしい。スイがくたりと高嶺に背を預けると、後ろから笑う声が聞こえてきて、たまらずうっとりと目を閉じた。
筆先は、胸元へ降りてゆく。そして、乳首の周囲をくるくると円を描くように動き出す。
「あ、……あ……」
「触れているところをしっかり、みていてごらん」
「は、い……」
「ほら……少しずつ乳首が膨らんできた。綺麗な薄いももいろだ。わかる? いじればいじるほど……ここは可愛らしくなっていく」
「う……、」
筆先は、なかなか乳首に触れない。ぞぞぞ、と僅かな刺激が蓄積されてゆくと、その膨らんだところに触れられたときどんな強い刺激がくるのだろうと想像してくらくらしてくる。耳元で微かに高嶺の吐息が聞こえる。自分の呼吸音がうるさく感じる。はやく、はやく、乳首に触って、じらさないで……乳輪をなぞるだけの筆先をじっと見つめながら、スイは頭の中で叫ぶ。
「スイ……いい表情だ。期待でいっぱいの君のその顔……処女を開かれる乙女のようだ」
「や……せん、せい……」
「触ってあげるからね、スイ。ほら、目を逸らさないでみているんだ」
「あ、……ひゃっ……ん……!」
つん、と筆先が乳首の先をつついた。その瞬間、スイの身体はぴくんっと跳ね上がる。甲高い声をあげてしまった恥ずかしさにスイはばっと手で口を塞いだが、もう遅い。しっかりとその声は高嶺に聞かれていて、耳元でこうささやかれたのだ。
「可愛らしい声だ……駒鳥の歌声みたいに、僕の胸をくすぐってくる」
恥ずかしい比喩はやめろ……! そう叫びたくなったが、口を開けばまたいやらしい声がでてしまう。スイはぐ、と手のひらを唇に押し付けて、必死に声を我慢した。
筆先が、先程までの焦らしは嘘のように乳首をいじくってくる。乳首のくぼみをくりくりとほじくるようにして刺激されると、あまりの気持ちよさにスイの身体は仰け反ってゆく。
「あっ……ん、んんっ……ん……」
「目をそらすなって言っただろう。自分の乳首がどんな風にいじられているのか、ちゃんと見ているんだ」
「ふ、う……」
命じられると、逆らえない。スイは視線を落として、自分の乳首が虐められる様をその瞳に映す。ぷっくりとふくらんだ乳首はランプに照らされてつるりと光っていて、そして筆が揺れるたびにぴくぴくと震える。つんつんとくぼみを何度もつつかれたりくりくりと撫でられたり。こんなにも卑猥なことをされているのが自分の身体だなんて。その様子をみていると頭がおかしくなってしまいそうになる。
「やあっ……!」
ふいに、強烈な刺激が襲ってきた。もう片方の乳首を、高嶺の指がつまみ上げていたのだ。指は、スイの乳首をくにくにと揉んではひっぱって、そして引っ張った状態でこりこりと刺激する。
「あぁっ……、ふ、ぁ……だめ、だめぇ……せんせ、……やぁ……」
「良い歌声だ。もっと聞かせて。スイ」
「ぁんっ……もう、ゆるしてぇっ……せんせ、こんなの、だめ……あぁっ……ちくび、ゆるして……あぁあ……」
「可愛いね、スイ……」
高嶺は筆を置くと、両方の乳首を自らの指で刺激し始めた。ぎゅうっとつまみ上げて、くい、くい、と何度もひっぱっる。
「あー、あー……っ、せんせ、だめ、だめだめ、せんせぇ……あぁあっ、だめっ……」
「イキそう?」
「イク、イッちゃう、え、そんな、あ、あ、イクっ、ちくびだけで、あっ、イッちゃう、だめ、せんせぇ、だめ、……」
ぎゅーっ、と強く引っ張られた。がくがくと身体が震えだす。初めての快楽に、ぽろぽろと涙が溢れてくる。後ろから、吐息混じりな高嶺の、「イッていいよ」と言う声が聞こえた。
「あっ……あぁー……」
***
ちゅんちゅん。スズメの鳴き声が聞こえる。ぼんやりとしながら瞼をあければ、朝日が差し込んだ高嶺の書斎。誰もいないその部屋の中心に敷かれた布団で、スイは丸くなっていた。
「……あれ?」
昨夜の記憶が、途中からない。あんまりにも現実離れした、あのひととき。いつもの草臥れた高嶺とはまるで違う彼に、身体をたくさんいじられた。夢じゃないだろうか。あんなの、高嶺じゃない。あんなごろごろ寝ては酒を飲んでいるような男が、あんな……
スイはのそりと布団から這い出して、机の上にあった原稿に目を落とす。なんとなくそこに書いてあった文章を読んで……はっと身体の中で熱が弾けるような感覚を覚えた。そこには……美しい青年の艶かしさが描写されている。濡れ場でもないのに読んでいるだけで身体が熱くなってくるような、色気のある文章。これを、高嶺が書いた。そして……もしかしたら、昨日の自分の痴態をもとに書かれている。きゅん、と下腹部が疼いた。そして、昨夜の出来事が鮮明に思い出される。身体を支配した快楽、そして湿っぽい高嶺の、声。
「夢じゃ……ない」
「スイー、おい、スイ、起きてるか」
「う、わぁっ! 先生!」
突然背後から聞こえてきた高嶺の声に、スイは驚きのあまり飛び跳ねそうになった。ぎぎぎ……と振り向けばそこには、「いつもの」高嶺がいる。ぼさぼさの髪を掻きながら、着物をだらしなく着た高嶺。表情もしまりがない。
「朝飯つくろうと思ったんだけど、味噌がどこにあるんだかわからないんだ。ちょっと台所きてよ」
「……そんなことで呼びに……」
「だって僕いつも料理しないからわからないんだって。ね、スイ。やっぱりご飯はスイにつくってもらわないと僕、だめだ」
がく、と全身の力が抜ける。まるで何事もなかったかのように……。自分にあんなことをやっておいてあっけらかんとした態度でいる彼に怒りを覚えるよりも脱力してしまう。仕方ない、これが高嶺という男だ。いつもだらんとしていて頼りがない。
「……俺がくる前はどうしていたんですか」
「妖怪につくってもらっていた!」
「……大人が料理のひとつもできないのはどうなんでしょうかね!?」
スイはずかずかと高嶺を横切って、台所へ向かってゆく。一瞬身体のなかに湧き上がった熱なんて、ふっとんでしまった。ぶつぶつと文句を言いながら、廊下を歩いてゆく。
「……」
高嶺はそんなスイの後ろ姿をじっと見つめていた。そして、ふ、と微笑む。
「可愛いお弟子さんだ」
君をえがく…終