▼ 胎動
シャワーを浴び終わってヘンゼルが部屋に戻れば、少年が布団をかぶっている。寝ているのかと思って、床の軋み音をたてないようにゆっくりと近づいていって少年の隣に入り込むと、ヘンゼルは少年に背を向けて目を閉じた。ベッドは狭く、背中と背中は触れ合っている。夢に堕ちようとしたところでヘンゼルは、背中から微弱な揺れを感じ取った。
「……?」
耳をすませてそれを聞いて、ようやく理解する。
――弟が泣いていることに。
「……おい、……おい、ナギ」
「……っ」
ヘンゼルは少年を、「ナギ」と呼んだ。少年の名前は確かに「グレーテル」なのだが、ヘンゼルが「ナギ」と呼ぶのには理由がある。
椛の身売りは、町にも広く知れ渡っていることであった。容姿も整っている上に客への対応もいいことからなかなかに好評だそうで、そういったものを好む大人たちの間で「グレーテル」は有名なのだ。ヘンゼルもそれを知っていて、兄であることからそのことを尋ねられることも多々ある。揶揄されることだってある。椛の身売りを快く思っていなかったヘンゼルにとってそれは大変不快なことであり、いつしか「グレーテル」という「身売りの少年」が嫌いになってしまった。しかし、どんなに嫌いになったところで椛はヘンゼルの弟であり縁を断つことは難しい。「グレーテル」と口にしたくないという思いから、ヘンゼルは少年に「ナギ」という名前をつけたのだった。
「兄さ……」
「……どうしたんだよ、そんなツラして」
「……べつに、なんでもない、よ……」
「何でもない奴が泣くわけねーだろ」
振り向いた椛は、やはり泣いていた。濡れた睫毛が、カーテンの隙間から差し込む月明かりに照らされてきらきらと光っている。綺麗だ、と一瞬思ったのはすぐに振り払った。指でそれを拭ってやって、くしゃりと髪を撫でる。
「……俺は、おまえの考えていることが理解できないから何も言えねぇけどよ……無理はすんなよ」
「……無理なんて、してな……」
「……じゃあなんで泣いてんだよ」
「……」
理解はできなくても、なぜ椛が身体を売っているのかということはわかる。椛は人を傷つけることができないから、自分を傷つけて生きている。そして自分が傷つくことによって家族が救われるのならばそれでいいと思っている。
黙り込んだ椛が、嘘をついているのだということくらい、ヘンゼルはすぐにわかった。彼の考えについてはまったく賛同できないが、弟が苦しんでいるところを見捨てることができるほどヘンゼルは非情にはなれなかった。価値観が合わないどころかお互いにお互いを嫌悪している。それでも兄としての性だろうか。気付けばヘンゼルは椛を抱きしめていた。
「……離して、よ……」
「……したくてしてんじゃねー……おまえの泣き声がうるさくて眠れねぇんだよ」
「……」
「めんどくせぇから泣くだけ泣いてさっさと寝てくれ。俺だって早く寝たいんだから」
ぎゅっと腕に力を込められ、ヘンゼルのぬくもりを感じた瞬間、椛は壊れたように泣きだしてしまった。やりたくて身体を売っているんじゃない、そうしなくちゃ生きられない。見知らぬ爺に身体をべたべたと弄られて、媚をうるような言葉を吐いて、そんなこと嫌に決まっている。
「もうやだよ……やだ……いつまで僕……こんなことしなくちゃいけないの……」
「……ナギ、」
「きたない……僕の身体、きたないよ……」
「……そんなことない、自分と家族のためにやったことなんだろ」
泣いている相手に対して否定的な言葉を吐いてはいけないと、ヘンゼルは心にもないことを言う。なぜ椛が小汚い男に身体を売ることができるのか理解できないし、誰かのためとかそんな理由はくだらないとしか思えない。それでもこうして弱った椛を慰めるために、ヘンゼルは嘘をついた。
「……ほんとに、そう、思ってる?」
「……ああ」
「……だって、兄さんは……僕のこと汚いって、気持ち悪いって……思っているんじゃないの?」
「……おまえのこと自体をそんな風に思ってないよ……俺はできないって言っただけで……」
「……そう、だったら……」
椛がふと顔をあげた。嘘を見抜かれたのか、そう思って一瞬ドキリとしたが、そうではないとすぐにヘンゼルは気付いた。その熱を汲んだ瞳は、ヘンゼルを責めてはいない。
「……僕の身体……舐められる?」
「え――」
どろりと腐った果汁が零れ落ちるような、そんな眼差しで見つめられて、ヘンゼルは寒気を覚えた。椛が身体を起こせば、布団がずるりと滑り落ちる。
「できないの?」
「いや、まて……おかしいだろ、兄弟でそんなことやるの……」
「汚いオヤジに臭いペニス突っ込まれるよりは随分と健全だと思うけど」
「……そ、そういう問題じゃ……」
「ねえ、兄さん、できないの?」
「……ッ」
様子が変だ、ヘンゼルがそう思った瞬間に、椛は再び泣きだしてしまった。弱々しく泣いていたと思えばこうして妙に悟った風に迫ってきて、そしてまたわんと泣きだして。望んでもいないセックスを強要される毎日に、椛が精神を病み始めているのだと気付くのには難しいことではなかった。生きるためだと、家族とためだと無理やり自分を納得させている反面、身売りをしている自分に嫌悪感を抱いている。
「……ナギ、」
「……」
「……どうすればいい?」
「どう、って?」
「……どこを、舐めればいい」
ヘンゼルの言葉を聞いた椛は、一瞬びっくりしたように目を見開いたが、すぐにほっとしたように笑う。その細い指でカットソーの裾を掴むとゆっくりとめくり上げていき、白い肌をさらけだす。体中に散る鬱血痕にヘンゼルは思わず目を逸らしたくなったが、既のところでそれを耐える。
「――全部」
すうっと唇を歪めて笑った椛は、なるほど非常に妖艶だった。その蛇に絡まれたかのような色香にあてられそうになって、ヘンゼルは軽く首を振る。早く終わらせてしまおう、そう思って椛の胸元に唇を寄せると、とんとんと肩を叩かれて阻まれてしまった。
「兄さん」
「……なんだよ」
「兄さんは、セックスをするときにキスもしてくれないの?」
「……これはそういう奴じゃないだろ」
「……僕とはキスしたくない?」
「……」
ここで断ったらたぶん、また泣いてしまう。そのときヘンゼルが抱いたのは、嫌悪感よりも、面倒だという気持ちよりも、椛への憐れみであった。彼の性格がここまで歪んでしまっていたことに、どうして自分はもっと早く気づけなかったのか。
「……僕はね、兄さんのこと嫌いだよ」
「知ってる」
「でも、兄さんとのセックスには興味ある」
「……ちょっと何を言っているのか理解できねぇんだけど」
「兄さんはね、僕が今まで出会った男の人の中で、一番綺麗なんだよ。顔も……心も。こういうことにはあまり慣れていないでしょう? そういう兄さんが、乱れるところを……僕はみたいんだ」
「……ああ、」
いよいよ、こいつは頭がおかしい。そう思ったヘンゼルは敢えて何も言わなかった。ぐっと椛の顔を掴んで、乱暴に口付ける。弟とキスなんかしたくない。ついでに言ってしまえば、きっとこれを悟られたら椛は発狂してしまうだろうが、身体を売っている彼とのキスには些か抵抗があった。……やはり理解できない。あんな汚い、身売りの少年を抱くことにしか娯楽を見出せない男共に身体をひらくことができるなんて。
「ん、ふ……ぅ、んん……」
舌で唇をつつかれ、仕方なくその侵入をゆるしてやる。ここはこうしたほうがいいのだろう、半ば諦めの心でヘンゼルが舌を絡めてやれば、椛はくぐもったような甘い声を零した。ぎゅっ、とシャツの背面のシワを集めるようにしがみつかれ、それでもヘンゼルは何も感じない。……これも、客を喜ばせるために身につけた技なんだろうな、それくらいしか思えなかった。
「あ……、にい、さん……」
「なんだよ」
「や、……やめ、ないで……きす、きもちいい、から……」
「……わかったよ、じゃあほら、口ひらけ、舌をだせ。俺がやりやすいようにしろ」
「ん……は、い……」
椛が潤んだ瞳でヘンゼルを見上げる。しかしすぐに恥ずかしそうに瞼を伏せてしまって、ヘンゼルに言われた通りに唇をそっと開き舌をのばした。滑稽なその行為に激しい羞恥を覚えているのか、椛は顔を紅くしてふるふると震えている。
「……」
そこまでして自分とキスをしたがっている椛にヘンゼルは些か違和感を覚える。だって、椛はヘンゼルを嫌いなはず。好きでもない相手とのキスに快楽など感じるはずもないのに、なぜ椛はヘンゼルとのキスを求めているのか。
頭の奥のほうで、舌を絡める水音が響く。そして自分の下でぴくぴくと揺れる椛の身体を感じて、ヘンゼルはますます動揺した。溢れる甘い声が耳を掠めると、毒に侵されたような心地になる。
「にい、さん……」
「そんなに俺とキスするのがいいのかよ」
「……だって……兄さんのキス……すごく、優しいの」
「……そりゃあ、」
そりゃあ、おまえを相手にガツガツとしたキスなんてしたくねぇし、というのは黙っておく。きっと、こうしたヘンゼルの遠慮がちなキスは、醜い欲望に染まった男共のキスに慣れた椛にとって新鮮なものだったのだろう。唇を離せば椛はとろんとした瞳でヘンゼルを見つめてくる。
「……兄さん、もっと……もっと、優しくして……僕の身体、優しく愛して」
「……椛、」
「……兄さんは、僕のことを嫌いだから……だから、すごく優しいの、知ってるよ。兄さんは僕の裸をみたところで興奮なんてしないから、だから……ただ、僕が気持よくなる、そのためだけに触れてくれる。他の男たちみたいに、自分のやりたいままに触れてきたりなんかしない」
「……おまえだって俺のこと嫌いだろ。俺にこんなことされて何がいいんだか」
「……相手なんて関係ないでしょう。身体の気持ちいいところに触れられれば気持ちいいって感じることのなにがいけないの」
「……やっぱり理解できねェわ。俺なら嫌いな奴に触られたら不快で仕方ない」
どうせここで言い合いすれば水掛け論になって延々としょうもないことを主張しあうだけ。ヘンゼルは言及を諦めて、さっさとこの慰めの行為を終わらせようとした。椛のカットソーの裾をたくしあげて、胸まで露出させる。そして掴んだカットソーの裾を、椛の口元を持ってきた。
「……噛んでろ」
「……、」
「声なんかぜってぇ出すんじゃねェぞ。アイツらに聞かれでもしたら大問題になる」
冷たい声でヘンゼルが言い放つと、椛は納得したように小さく頷き、カットソーを唇で加えた。そして、ヘンゼルに胸元に唇を近づけられると、椛はたぐまったカットソーの襟元に首を埋め、ぎゅっと目を閉じる。
「……っ、ふ」
胸元で小さく主張していた突起をヘンゼルが口に含むと、椛はびくりと身体をしならせた。ベッドの軋みが気になったヘンゼルは椛の身体を、暴れないように押さえつける。
「んっ、んっ、……ふ、っ……!」
口の中でころころと乳首を転がして、乳頭に唾液を絡ませる。椛はヘンゼルの頭を抱きしめるようにしながら仰け反って、必死に快楽に耐えていた。くぐもった声とつま先がシーツを掻く音が、ひたすらにヘンゼルを苛める。
「んん〜ッ……! ん、んっ……」
ああ、妙に艶かしい。自分の舐めたところがてらてらと光る真白な肌。くねるたびに畝る身体の陰影。痛々しく散る鬱血痕。肋骨の溝、臍、そろそろと舐めてゆけば揺れる身体。目に毒だ、淫売の弟への嫌悪感と相反して生まれゆく確かな興奮に、ヘンゼルはひどく鬱屈とする。
「……まだやるの」
「……まだ、全部、舐めてないでしょ……?」
「……ッチ」
ヘンゼルはゆっくりと、椛のボトムスを剥いでゆく。下着もなのか、と目で尋ねるように睨んでやれば、潤んだ瞳で見つめ返されたから、下着も一緒に一気に脱がせてやった。
「……ッ」
ぱく、ぱく、と呼吸をするように動く椛の脚の間の孔から、ヘンゼルは思わず目を逸らす。立ち上がった椛のものの先からは先走りがとろとろとあふれていて、しばらくすれば自らそれで孔を濡らすのだろう。あまりにも淫靡なその光景は、なんとなく見てはイケナイもののような気がして、それから逃げるようにヘンゼルは椛の太ももに唇を寄せた。細いのに柔らかく、すべすべとした太もも。脚を掴んで開いてやって、その間に体を滑り込ませて太ももの内側を唇で食む。痕はつけないように軽く吸い上げて、肉の感触を味わうようにゆっくりと。
「んっ……」
ぴく、と太ももが震える。は、と見上げれば、椛はいじらしくもヘンゼルに言われたとおりにカットソーを噛み続けているのが視界に入る。
「……にい、さん……」
ぐずぐずと濡れたその瞳と視線が交じる。同時に視界に入る、ぴくぴくと動く濡れた孔。
「……」
この排泄器官は、こんなにも艶かしいものだっただろうか。先走りに濡れててらてらと光を反射し、はくはくと物欲しげに動いている。男同士でセックスなんてなにがいいんだとばかり思っていたが、これをみるともしかしたら悪いものでもないのかと、そんなことを思ってしまう。
「……そこも、舐めろとか言うんじゃないだろうな」
「……やだ?」
「嫌に決まってんだろ」
「どうしても……? 兄さん、兄さんに、優しく触れられたい」
(ほんとなんなんだよコイツ……)
ぴくぴくと動くソコから目を逸し、ヘンゼルはため息をついた。
「……後ろ向いて。こっちにケツつきだして」
「……はい」
「……指で触るだけな」
涙でぐずぐずになった表情と、限界と言わんばかりにたちあがった椛のそれをみて、中途半端に放っておくのも悪いかと、しょうもない罪悪感が働いた。ヘンゼルはしぶしぶ承諾して、椛が体勢を変える様子をぼんやりと見つめていた。
椛がそろそろと起き上がって、ヘンゼルに臀部を向けて四つん這いになる。そして上半身を伏せて、臀部を突き上げるような格好をとった。僅か脚を開いていることもあってか、その孔はくっきりと姿をあらわしている。空気とヘンゼルの視線に撫でられて、孔はぴくぴくと細かく動いていた。
「はぁ……」
なんでこんなことになったんだっただけ、と現実から目を背けたくなりながらもヘンゼルは自らの人差し指を軽く舐める。そして、臀部の割れ目を指の先でなぞった。
「はぁぁ……ん、」
椛はため息のような声をあげる。何度か往復してやると、今度は孔の周囲をくるりと円を描くように撫でてやった。孔の動きは一層はやくなっていき、椛はぎゅっとシーツを掴んで快楽に耐えている。
「あぁ、あっ、やぁー……」
「いい?」
「いい、兄さん……きもち、いい……」
「あ、……っそ」
指先に、椛の先走りがまとわりつく。ぬるぬるとしたそれを孔に塗りたくるようにして、しつこくそこを弄ってやった。
「はぁ……あぁあ……」
指の腹で孔の入り口を塞ぐようにしてぐりぐりと触ると、椛がたまらないと言うように首をふる。その髪をぱさぱさと揺らしながら頬を枕に押し付けて、つま先でシーツを引っ掻いた。かさかさとシーツの擦れる音が妙に生々しくヘンゼルを責め立てる。
「やあぁん……だめ、だめぇ……」
「……いつもこの奥にぶっといの挿れられている癖に」
「あっ……」
ヘンゼルが罵倒にも似た言葉を吐いた瞬間、椛の孔がきゅうっと締まった。なんとなくその理由を察したヘンゼルは呆れ顔でぐいぐいと指を動かしてやる。
「……今のでおっさんにヤられている時のこと思い出したわけ?」
「あッ……ち、ちがう、の……」
「じゃあなんだよ」
「……、ほし……ほしく、なっちゃった……兄さん……」
椛が振り向いて、肩越しに見つめてくる。濡れた瞳がランプに照らされて、ゆらゆらと光と泳がせている。
――こうやって、いつも誘惑してるんだ
「――あぁッ!」
なにかが気に障ったヘンゼルは苛立ちに任せてそのまま指を中に押し進めた。つぷぷ、と小さな音をたてて指が沈んでゆく。
「おまえさぁ、俺のところ嫌いなんじゃないの? 俺とセックスしたいって? 頭おかしいの?」
「あっ、あっ……! だっ、て……にい、さん……やぁっ……!」
「おまえとヤッて俺になんのメリットがあるんだよ」
「っ……に、いさん……」
ヘンゼルが言葉を発するたびに肉壁はきゅうきゅうとヘンゼルの指を締め付けた。ほんの少し中で指を動かしてみれば、椛が身体をくねらせて甘い声をあげる。
「にいさん、だって……にいさん、やさしいの……」
「は? おまえに優しくしたおぼえないけど」
「あっ、んぁ……ううん、にいさん……いつも、僕のこと、気にかけてくれる……」
「はっ……今更なんだよ、そんなこといつも言っていないくせに。あと、別におまえに優しくしようとなんて思ってない。同じベッドで寝るのに言葉も交わさないのもアレだと思って、適当な言葉かけてるだけだから」
「だって……じゃあ、なんでこんなに優しく触るの……!」
こり、と中の小さな膨らみに指先が触れると、椛は甲高い声で啼いた。びくんっ、と身体が跳ねる。
「はぁ……何を勘違いしてんだかしらねぇけど……こういうことするのに抵抗あるからベタベタ触りたくないだけだよ」
「だったら……あっ、断って、よ……」
「そうするとおまえがまた落ち込むんだろめんどくせえな」
「……いやなのに、僕のためにしてくれてるんだから、にいさんは優しいんだよ」
「……」
ウザい。手のひら返したように、急になんだってんだ。
「あっ……! ひゃあぁっ……!」
椛の反応が良かったところを、強く押し込むように掻いた。さっさと終わらせよう、そんな気持ちでヘンゼルは手の動きをはやめる。
「やっ、あっ、い、いっちゃ……」
「イけよさっさと。はやく俺は終わりたい」
「あぁ、ん、に、にいさん……」
「なに」
「……きす、キスして……」
「……」
ほんとわけわかんねぇ。
ヘンゼルは眉をひそめ、椛を見下ろした。潤んだ瞳、朱に染まる頬。唇から発せられた望みは本物だと、その表情が示している。
「兄さん……はやく……」
「……はいはい」
ぐずぐずと泣きながら請われて、なんというか情を動かされて。まるで苛めているかのような心地に陥って、ヘンゼルはそれが嫌で、やれやれと椛に口付けた。
「んっ……んん……!」
椛が、嬉しそうに鼻から抜けるような声をだす。ヘンゼルの首に腕を回して、そっと抱きしめてきた。
「……」
ぎゅうっ、と指がなかで締め付けられる。びくびくとしなった身体、腕に込められた力。ようやく、椛がイったようだった。
「はぁ、……、っ、あ」
椛がヘンゼルのシャツを掴みながら荒く呼吸する。そのあまりにも苦しそうな様子に思わず抱きしめてやったものの、彼への疑惑が解けたわけではない。彼が突然態度を変えてきた理由は、いくらヘンゼルが思案したところでわかるわけもなかったのだ。
「……おまえさぁ……何考えてるの? 俺のことなんだと思っているわけ?」
「……兄さん……兄さんも、僕と、一緒だなって……そう思うんだ」
「はい?」
「僕が仕方なく体を売るのと同じ。兄さんも、好きで盗んだりしているわけじゃない」
椛がヘンゼルの手をとって、するりと指を重ねる。そして、ナイフや銃を使っているわりには綺麗なその指を、そっと頬にすり寄せた。
「……こんなに、優しく触れることができるんだもん」
「……あのですね、さっきも言いましたけど、」
「僕は兄さんが他の人を傷つけて生きていることが嫌で、兄さんのことが嫌いだったから……ちょっとからかってやろうって思って、誘ったんだ。……でも、こんなに優しくされてびっくりした。兄さんは僕に触りたくないからだって、そう言うでしょう。それでも……兄さんは優しい人。そうじゃなければ、あんなふうに人を触れない」
「……」
何を、分かった風に。そうは思ったが、その穏やかな表情に文句は口からでてこない。椛は安心しきったようにヘンゼルに身を任せ、背に腕を回してくる。
「……兄さんのやっていることに賛同したわけじゃないよ。僕は人を傷つけなくない。……でもちょっと、兄さんのことを誤解していたかなって」
「今まさに誤解してるだろ、俺は別におまえに優しくした覚えもないし、自分の行いが間違っていることくらいわかっている。俺がやっていることは避けようと思えば避けられること、ただ俺が自分が傷つくのが怖くてそれを選んでいるだけ」
「……じゃあ、聞いていい? 兄さんは、誰かを傷つける時、辛い?」
椛がヘンゼルを見上げて、聞いてくる。純粋な黒い瞳はきらきらとしていて、本当にこの少年が淫売をしているのかと疑いたくなるほど。
「……昔は……怖かった。でももう慣れた」
「……僕といっしょだね」
「は?」
「……汚い男に身体を触られるのがいやでいやで仕方なかったのにもう、この身体が淫乱になって……誰に触られてもよがるようになった僕と」
「……」
「……兄さん、僕たちは兄弟だ。……やっぱり、似ている。そして、離れることなんて、きっとできない」
違う、そう言えなかったのはなぜだろう。あまりにも椛が淡々として言ったからだろうか。似ているなんて、こじつけじゃないか。根本的な理念からして違うというのに。
「……ねろ!」
「……わ」
怖い、と思った。このまま椛の言葉を聞いていたら飲み込まれそうになったのだ。反射的にヘンゼルは椛を突き飛ばしていた。
ぼふ、とまぬけな音をたてて椛が布団の上にたたきつけられる。びっくりした顔で見つめられて、ヘンゼルはふいっと顔を逸らす。
「そうだよ俺達は兄弟だ、縁をきることなんてできやしない。だから、今までどおり距離をおくのがいいと思う、俺とおまえはどうしたって分かり合えないんだから」
「……兄さん、」
「もうこういうことはコレっきりだ、ヤりたいならいくらでも相手いるんだろ、俺にあたらないでくれ」
ヘンゼルは椛に背を向けて布団をかぶった。後ろから、小さく「兄さん」と呼ばれたような気がしたが、それは無視した。やがて、椛も諦めたように布団に入ってくる。
「……!」
後ろから、そっと抱きしめられる。どくりと鳴った心臓の音は聞かなかったことにした。目を閉じ、夢の世界にいけと自分に言い聞かせる。
「……、」
しずかな、寝息が聞こえてきた。人をここまで動揺させておいて勝手な、とイラッとしたが、その安心したような寝息にどこかほっとする。さっきは一人で泣いていたから。彼の中の苦しみとか、辛さとか、そういったものが少しでもなくなったのかと思うと、素直に嬉しい。
「……おやすみ、椛」
きゅ、とシャツを胸元で握られる。その手を、軽く撫でてやった。
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