▼ 追憶・桜の花7
群青の手当をもってしても、人間である柊の傷の回復はそこまで早くはない。横になっていることしかできない柊を介抱するのが、最近の群青の日課となっていた。
「そろそろちゃんとした食事取れるくらいに回復しましたか」
「……これおまえがつくったのか」
「そうですけど」
柊は痛みのための発熱で食事をまともにとれない日々が続いていたが、体調も良くなってきたようである。群青が持ってきた焼き魚を添えた食事をみると、体を起こす。
「柊様の食欲が戻った時のためにちゃんと練習しておきましたよ。また小言を言われたらかなわないので」
「……まともな食事つくれるようになったな」
「……ちっ、やっぱ腹立つ」
柊が箸をとって、黙々と食事をはじめた。今回の食事は絶対に文句は言わせない。そう思って群青は、じっと柊の食べている姿を見つめていた。
「……あんまり食べているところ見ないでもらえるか」
「……美味しいですか」
「え、」
「味!」
以前「まずい」と言われたことを根にもっていた群青は、こんどこそは「美味しい」と言わせたいと、人間の食事のつくりかたを研究していた。だから、ちゃんと柊から感想をもらいたかったのである。迫るように群青が問えば、柊は視線を泳がせた。しかしそのまま見つめ続けてやると、観念したように、ぼそりと
「……まずくはない」
と言ったのである。その瞬間、群青は胸のなかがわっと湧いてくるような歓びで満たされた。思わず群青は立ち上がって拳をぐっと握りしめ「よっしゃ!」と叫ぶ。
「……うるさいなこの馬鹿は」
「あ? なんか言いました?」
「……べつに」
鬱陶しそうにしながらも、やはり柊は食事を全て平らげ、「ごちそうさま」と言ってくれた。食器の乗った盆を群青が下げようとしたときに、小さな声で「明日は鮭がいい」といってきたのは意外でびっくりした。なんだかじわじわと胸のなかが温かくなってくるような、そんな不思議な感覚にとらわれる。
柊のことは嫌い。無理やり式神にして、あげくひどい扱いをしてくるし。でも、構いたくなるのだ。彼のなかの不安定な部分を知ったときから、なぜか放っておけないと、そう思った。悪態をついてくる柊の言動に耐えて、甲斐甲斐しく世話をしてやれば、以前のように乱暴に触れることを拒否してくることもなくなった。彼の中で群青が「つかえない道具」から「つかえる道具」としての位置づけが変わったからなのかもしれないが、他の妖怪にむける攻撃的な視線も向けてこなくなった。
「あー、じゃあご飯も食べ終わったし、包帯かえますよ」
「……」
包帯を変えるのも、一日一回は必ずやっている。実は群青は、この作業がなかなかに好きだった。――柊の表情が変わるのを見ることができるからだ。
「脱いでください、柊様」
「……、」
何度かこの作業をしてきたが、最近は自分で着物を脱ぐようになってきた。……というよりも群青が柊が自分で脱ぐように仕掛けた。相変わらず自分から着物を脱ごうとしない彼を脱がせる時、わざとあちこち肌に触れるようにして脱がせてやったら「もう自分で脱ぐ」と怒ったのである。
群青は抱く相手の着物を脱がすのは好きだが、柊に限っては自分で脱いで欲しいと思っていた。柊は人に肌をみせたことがない。だからみせたくない。そんな彼が羞恥に震えながら自ら着物を脱ぐところをみているのは、気分がいい。こうして「自分の意志で脱ぐ」という行為を、きっと彼は自分の前でしかしないだろう。……その優越感がたまらなかった。
着物を脱ぎ終わった柊は、両手を口にあててはあとため息をついている。目を閉じ、顔を赤らめている。これから群青にされることを考えて、緊張しているのだ。傷口を舐める、という治療を群青は続行しており、その度に柊はこのような反応をみせる。柊がこれからされることをわかっていながらも抵抗しない、自分だけが彼に触れることが許されている――なんて愉しい時間だろう。
包帯を解き、ひんやりとした空気に肌がさらされると、柊がぴくりと肩をゆらす。そんな華奢な肩を掴んでやると、柊は吐息を漏らした。
(肩に触っただけで全身真っ赤だもんなー……これ抱いたらどうなるのかな……いや俺は何を考えて……)
そこらへんの生娘よりもうぶな反応をみせる柊をみていると、もっと彼の恥ずかしがっている表情をみたいと思ってしまう。胸をいやらしくいじくってやったり、耳に舌をねじ込んだり、そういうことをしてやりたい。でもそんなことをすれば確実に柊は激しい拒絶をみせてくるだろう。恥ずかしくて嫌、どころか精神的外傷となって二度と人から触られたくないと思うようになってしまうかもしれない、彼は人に触れられたことがないのだから。そんなことをするわけにはいかないため、群青は欲望をぐっとこらえながらいつも治療をするのだった。
「あっ、……ん、」
相変わらず、背を舐めてやると艶かしい声をあげる。人から触られたことのない体は随分と敏感で……それでいて怖がりだ。感じているように甘い声をあげながらも柊は、体を強ばらせて、群青に触れられることに恐怖を抱いている。
(なんだかなあ……)
あんまり、自分が愛撫しているときに怖がられるのはいい気分がしない。耳を撫で付ける柊の甘い声にどきどきとしつつも、無性に苛々してしまう。もう少し、心を許してくれてもいいのに。妖怪が嫌いなのもわかっているから、俺のことは嫌いでいい――怖がらないで欲しい。
「あっ!?」
気づけば、群青は柊の手を掴んでいた。口元を塞いでいたそれを引っぺがして、ぎゅ、と手のひら同士を合わせるようにして握りしめてやる。
「掴んで」
「……え?」
「俺の手、掴んで我慢しててください。強く握って」
群青の言葉に、柊はひどく驚いたようだった。でも、手を振り払ったりはしなかった。
「ん、……ん、っ……!」
再び傷を舐めてやると、唇から声がこぼれ出す。ぐ、と俯いて声を我慢しているようだが、こらえきれていない。
愛撫の再開とともに、柊は群青の手を握りしめてきた。何かに縋り付いて快楽を耐えたいのだろう。しばらくそうしているうちに、お互いの手のひらが同じ体温になってゆく。まるでそこが融け合ったように、触れ合うことへの違和感が消えていった。
「……熱い、」
「え?」
「おまえの、体、熱い……!」
「……熱いって……当たり前でしょう。生きている人に触れられたら、熱いですよ。きっと貴方は今まで知らなかったでしょうけど……人に触れられるっていうのはこういうことなんです」
「……、」
は、と息を呑むような声が聞こえた。何か変なことを言ってしまっただろうか……そう思ったが、柊は特に何も言ってこない。そして、心なしか柊のこわばっていた体から力が抜けているような気がする。
「は……、ぅ……ん、ん……」
少しだけ、柊の声が上擦った。くらくらする。この声を自分が奏でている……まるで柊が自分にすがりついてきているようで、ぐっと強く抱きしめてやりたい衝動に駆られるが、それはしてはいけない。彼を怖がらせるな。
「……柊様、」
「……ん、」
「……終わりです、あとは包帯を巻きますからね」
なんとか手を出さずに傷を舐め終わる。群青は安堵のため息をつきながら、新しい包帯を柊の体に巻き始めた。わずかに汗ばんだうなじを見ているとまた胸騒ぎがするため、手元に全神経を集中させる。
「……なあ」
「はい」
「……人って……みんな、あんなに暖かいものなのか」
「まあ血が通っていますからね。体温はしっかりありますよ」
「……依頼人と握手、くらいならしたことはある。……でもあんなに、暖かくはなかった」
「さあ……俺が柊様の手を強く握りすぎたからかもしれないですね」
「なんでそんなに強く握った」
「そりゃあ……触られるの嫌って貴方がいうから、ちょっと安心させてあげたいかなー、と。嫌でしたか?」
「……」
よし、巻き終わった、と群青は顔をあげる。今の問答は、包帯に集中していたため何も考えずに機械的にしていた。……だから、柊が首を振ったのが、一体何故なのか一瞬わからなかった。しかし、一瞬考えて――「手を握られることが嫌じゃなかった」の意味だと気付き、群青は思わず「えっ」と口にしてしまう。
急に心臓がばくばくとなりはじめる。
嫌じゃない、俺に触られることが嫌じゃない……!?
「……えっ、あの、……あ、明日からもしますか、……手、握ります、か……?」
「……」
こく、と柊が頷く。
「――ッ」
群青は頭のなかで「わー!!」と叫んでいた。がばっと立ち上がると、「じゃあ、また明日!」と言い捨てて部屋を勢い良くでていった。ぴしゃりと襖をしめて、ずるずると座り込むと、頭を抱えて塞ぎこむ。
(え、なにあれなにあれ、……え、ちょっと、……え、可愛い、……は? ふざけんな、可愛くなんかねーし、あいつのことまじ嫌いだし)
「……やっば、顔熱い……」
顔から湯気がでてきそうだ。胸がきりきりと痛む。しばらくここで涼んでいてもいいかな……そう思った時、部屋のなかに食器を忘れてきたことに気づき、群青は絶望に打ちひしがれたのだった。
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