アリスドラッグ | ナノ


▼ 真実の目2


 二人は普段椛と群青が通学路として使っている道を中心に、探索を進めた。ぼんやりと意識が散漫した様子だった群青も、紅に引かれているうちに、椛を探すことに必死になり始めた。途中、紅が持っていた傘を群青がとりあげて、代わりに持ち始めた。そして紅が濡れないように自分の半身を濡らしながら彼女を傘にいれる。



「ふふ、ありがと」

「……紅、なにか変なものはみえたか」

「……いいえ。本当に私の真実の目で探せるの? 私の目は探知機じゃないのよ」

「たぶん……椛はあの人と同じ消え方をしたんだと思う。勘だけど。あの世に……妖怪の世界に連れて行かれた。連れて行かれたばかりなら、この世とあの世の狭間に歪みが生じているはずだ。おまえならそれを見つけることができると思う」

「……なるほど。……あ、あそこ……」



 ふと、紅が立ち止まる。そこは、朱坂神社の鳥居の前だった。



「ここ……ここよ、群青! 丑三つ時じゃないのに、あの世への入り口が開いている。誰かが通ったんだわ」

「じゃあ……きっと、……ん?」



 自分の予想があたった――と椛の身を案じると同時にすぐに見つかってよかったと安心した群青が見つけたのは、鳥居のすぐ下に落ちていた、数枚の桜の花弁だった。もちろん、今は桜の季節ではない。周囲に生えている木々も、青々と葉を纏っている。……となれば、あの世の入り口がひらいたときに、あちらの世界から舞い込んできたのだろうか。



「あの世に……桜なんて咲いているとは思えねえけどな……」

「……そう?」

「……桜は、世界一美しい花だって、あの人が言っていた。俺もそう思う。それが……妖怪の住む世界にあるとは思いたくない」



 群青は傘を紅に渡すと、しゃがみこみ、花弁を一枚手にとる。黙ってそれを見つめてる群青を、紅は静かに見下ろしていた。群青の金髪が濡れて、雫が涙のように頬を伝う。



「……群青」



 紅は、そっと傘を地面に置いた。そして、後ろから群青を抱きしめる。



「……貴方の心は、あの時で止まっているのね」

「……っ」



 ぎゅ、と紅の華奢な体の感触が、群青の背中に伝わった。冷たい雨のなか、彼女の温もりが体を包み込む。暖かなそれに、群青は唇を噛んで、目を閉じる。



「……紅、立て。離せ。……おまえの綺麗な着物が、汚れる」

「……うん」



 群青が紅の腕を解いて立ち上がると、紅もゆっくりと立ち上がる。紅の袴の裾が泥で汚れてしまっているのに気付くと、群青はハンカチーフを取り出してそれを軽くはらってやる。



「……群青、早く椛様を助けにいきましょう。そして……椛様と向き合って。貴方も椛様も、このままだとずっと苦しいまま」

「……紅、おまえはここに残れ」

「……は? 今なんて?」

「残れって言ってんだ。あの世へは俺一人でいく」

「な……」



 汚れをひと通り払い終わり立ち上がった群青に、紅は掴みかかった。怒りと屈辱が混じったようなその表情に、群青は全く動じない。



「なんで、……なんで私は行っちゃだめなの!? 私だって椛様をお助けしたいのに……!」

「おまえが女だからだよ」

「……ッ、ふざけないで! 女だからなに!? 私だって戦える、貴方の足手まといになんて絶対にならない! なりたくて女に生まれたんじゃない!」

「……女は、ずっと綺麗でいて欲しいって思っている、特におまえはな、紅! いいか、妖怪の世界っていうのはな、何よりも醜くて残酷で……おまえにそんなのは見てほしくないんだよ! おまえに穢れて欲しくないんだ!」

「……わけがわからない、そんなの男の勝手な考えよ。女だから汚れちゃいけないなんて決まりはない。私を馬鹿にしないで!」

「……そうだよ、俺の勝手な考えだ。でも……俺はおまえを守りたい。ずっとそのままでいて欲しい……わかってくれ、紅」



 群青の手が、紅の髪飾りに触れた。そのとき、紅は、「あ、」と小さく声をあげる。……群青の、心を読んでしまった。



「……お願いだから、紅。俺を一人でいかせてくれ」

「……群青」



 紅は群青の手に触れた。そして、その手のひらにほおずりをした。くしゃりと濡れた髪の毛が鬱陶しいと思ったが、それでもこうしていたいと、そう思う。



「……私を「女」にしたのは、貴方よ。笑って、恋をして、大好きな人を支えてあげる……それを、貴方が教えてくれた。……だから、責任をとって。私に涙を流させたら許さない。……絶対に、椛様を連れて戻ってきて。私に笑顔で「おかえり」を言わせて」

「……ああ」



 本当は送り出すのが怖い――恐怖にこみ上げてくる涙を隠すように、紅は俯いた。でも、群青の心を読んでしまって……もう、ついていくとは言えなかった。群青が自分から離れてゆく予感を感じて慌てて顔をあげれば、群青がもう、鳥居の前にいる。入り口がひらいているとき、妖怪であればそこを通過しただけであの世へいけてしまう。もう行ってしまう――焦った紅は、……あることを閃いた。



「待って、群青!」



 紅は、自らの髪飾りを外すと、そこに口付けをする。そしてそれを、群青に走り寄っていって渡した。



「これ、私の力をこめたから!」

「力……?」

「真実の目の力。もしもあっちの世界で、惑ったとき……これに口付けをすれば、一度だけ真実の目を使うことができる」

「……そっか、ありがとう」



 群青は、髪飾りをそっとポケットにしまいこんだ。そして切なげに微笑む紅の頭をぽんぽんと撫でてやる。



「……髪飾りつけてたほうが可愛いな」

「……まあね」

「認めるんだ? 何もつけなくても私は可愛いくらい言うと思ったよ」

「……うん、だって……」



 紅がそっと群青から離れる。そして乱れた髪をなおして、にっこりと笑ってみせた。



「貴方がくれた髪飾りだもん。つけていたほうが可愛いに決まってる。それ、絶対にかえしてね。帰ってくるのよ。私の宝物、もう一度私の髪につけてね」

「……おう、帰ってくる。待ってろよ、紅」



 そしてそのまま群青は鳥居をくぐってしまった。開いていたあの世の入り口が、群青を呑み込んでゆく。

 一人取り残された紅を、雨粒が叩く。ここのところ不安定だった群青を思い出し、不安で胸がいっぱいになる。紅は恐怖に震える心をなぐさめるように、胸元を手で抑え……そして、自分に言い聞かせるように呟いた。



「大丈夫……貴方は本当は強いから……きっと、戻ってくる」


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