▼ 狂気蔓延2
「椛……これは、」
「動いたら撃つように言われているので」
昼もすぎ、眩いほどの太陽が照るころ。ウィルは甲板まで連れだされて、縛られ座らされていた。隣には椛が立っていて銃を持っている。しばらくそうしていても何かされるというわけでもなく、ウィルはしびれをきらしはじめていた。
「……あのさ、椛ももしかして人魚の呪いってやつを受けているのか?」
「……船長さんからきいたんですか。そうですよ、僕も同じです」
「……で、その声が綺麗だからこの船にいるようになったのか」
「違いますけど」
「えっ……じゃあ、普通に海賊としてこの船に?」
「それも違います。貴方のせいですよ、僕がこの船にいることになったの」
「俺の……?」
椛の言葉にウィルが驚いていると、なにやら辺りが騒がしくなってきた。何事かとウィルが周囲を見渡すと……なんと、ウィルの部下たちが海賊に連れられてやってきたのだ。
「マックイーン中佐……!」
現れたのは、ウェンライトをはじめとした海兵5人。皆ウィルの無事を確認するなりホッとしていたが、これから何をされるのかという恐怖に苛まれているようだ。鎖で繋がれ引っ張られるようにしてウィルの前までやってくると、転がされる。
「ちゃんと、今日のために生かしておいたんだ」
「……オーランド」
オーランドがウィルの後ろから肩を叩いてくる。振り向いてその表情をみたウィルは、ゾクッと背筋に寒気がはしったのを感じた。どこか……正気を失ったような眼差し。
「これから、なにを」
「言っただろ? 人魚の呪いに蝕まれた者は、悦と悲劇を得ることによって声がさらに美しくなる」
「……え?」
「ウィル……おまえにとっての悲劇は……これで間違いないな」
口角が勝手に上がった。オーランドの言葉とこの状況から導きだした答えが、冗談だと信じたかった。
「おい……馬鹿なことはやめろ……」
「ウィル……もっと美しい声を聞かせてくれよ」
「待て……『悦』さえあれば十分じゃないか、いいだろ、俺はもう抵抗しない、だから……!」
「うわ、何をするんだ!」
「――!?」
小さな悲鳴が聞こえウィルが振り向くと、転がされた海兵たちが、海賊に酒をかけられていた。全身を濡らすほどの大量の酒をかけられ――そして、側に立っていた男がポケットからマッチ箱を取り出した。
「や、め――」
火の着いたマッチが、海兵たちのもとへ、投げられる。アルコールで濡れた彼らを、炎はあっという間に包み込んだ。
「……ウィル、さん……! ウィルさん!」
炎のなかから、自分を呼ぶ声が聞こえる。黒く、炭と化してゆく彼らが、本当に自分の部下だと信じたくない。
「助けて……熱い、熱い――!!」
ウィルは制止の声をあげながら立ち上がろうとしたが、椛とオーランドに押さえつけられてそれは叶わない。やがて断末魔の叫びが耳を貫く。人のものとは思えない凄惨なその声に、ウィルは悲しさよりも恐ろしさを覚えた。勝手にこぼれてくる涙が、死にゆく彼らが自分の部下なのだと心が認めている証拠だった。
声も途絶え、炎に水がかけられる。姿をみせた死体は、どろどろに溶けた皮膚のせいで誰が誰だかわからない状態となっていた。
「……あ」
あまりの衝撃に、死んだ彼らとの思い出が、ウィルの頭から吹っ飛んだ。しかし――突然、嘔吐感がこみあげてきて、ウィルはその場で胃液を吐いてしまう。自分の名前をずっと呼んでいた、ほんのすこし前まで一緒に過ごしてきた仲間が火に呑まれて死んだ、自分はそれを見ていることしかできなかった――様々な想いが一気にこみ上げてきて、ウィルは咳き込みながら涙を流す。
なんで……なんでこんなことに。まさか、部下を捕らえていた理由は、『人魚の呪い』の『悲劇によって声を美しくすることができる』を実行するため? たったそれだけの理由で……こんな残酷なことを、オーランドは……
「おまえ……なんで、……なんで!」
ウィルは泣きながら叫ぶ。拘束されていなければ掴みかかっていたところだ。
なぜ、オーランドはこんなふうになってしまったのか。残忍な行為をいともたやすく働いてしまう。「嘆きを得るため」と彼は言っていたが、それはおそらく人魚の呪いのこと。しかし、元々普通に生きていた彼が、それだけのために大量虐殺をできるようになるのか。
「俺の……仲間だぞ、おまえは、なんでそんな平気な顔をして殺せるん――うっ」
怒りのあまり怒鳴り散らすウィルの口を塞いだのは――椛だった。ウィルの口に銃口を突っ込んで、じろりと見下ろしている。
「うるさい。少し黙ってください」
「……っ」
また、こいつ。何を考えているのかわからない椛に、ウィルは少し苦手意識を持っていた。こんなわけのわからない奴に、黙れと言われる筋合いはない。ウィルは勢い良く首を振って、銃口を吐き出す。
「おまえは首を突っ込むな! 関係ないだろ!」
「……関係ない?」
ウィルが言葉を吐いた瞬間、椛の瞳にチラリと怒りが灯った。椛はウィルの服の衿を掴むと、そのまま勢い良く引っ張り歩き出す。突然そんなことをされたものだからウィルは体勢を崩しそうになってしまったが、なんとか立ち上がって椛についてゆく。船員があまり群れていないところまで連れて行かれたところで椛はようやく振り向いた。
「……ウィル。ひとつ、言いたいことがあるんですけど」
「……なんだよ」
「……この世の中、知らなかったですむことばかりじゃないんですよ」
ぐ、と銃口を腹に突きつけられて、ウィルはたじろいだ。何から何まで、わからない。しかし何か言葉を言い返せば、引き金をひきかねない椛の表情に、ウィルは黙りこくるしかなかった。
「……人魚の呪いについて……この海賊たちが知らないこと、教えてあげましょうか」
じっとウィルを見つめる椛の視線は、怒りと、それから悲しみのような色を汲んでいた。なぜそんな目で見つめられているのか……ウィルにはどんなに考えたところで、わからない。
「ウィル……異様に自分がモテるって感じたことありません?」
「えっ?」
「正直に。からかいで言っているんじゃありません」
「……えっと……ない、……ことは、ない」
「でしょうね」
自惚れたくはないため肯定したくなかったが……事実である。皆が皆同性愛者というわけでもない海軍のなかで、ウィルはいつも熱い眼差しを周りから向けられていた。命の危機に晒される状況に置かれると、人はたとえ同姓であっても好意をいだいてしまうようになるとはいうが……あそこまで浮かれた雰囲気が基地のなかにいつも漂っているのは、おかしいと思っていた。しかしそれが……今、なんの関係があるというのか。ウィルは疑うように椛を見つめる。
「原因は、貴方の声です」
「声?」
「マーメイドの、声」
「……呪いのせいで美しくなるとかいう? ……でも、それだけで」
「呪いにかかった人の声は……人間を狂わせるといいます。その声を持つ人をなにがなんでも手に入れたいと思うようになり、人間が誰しも持つはずの倫理観を失い、たとえ他人を傷つけても、殺してでも……本人を傷つけてでも、独占したいと思うようになるんです」
「……は、」
何を言っているんだこいつは。反射的にウィルはそう思う。しかし、その言葉は、今までの出来事の理由を説明することができた。ウェンライトが無理やりウィルを抱いたこと、オーランドがウィルに『悲劇』を与えるために海兵を虐殺したこと。もしも、呪われたウィルの声に魅入られていたというならば――それらの行動にも、納得ができた。
「だから……呪いをうけた者は、なるべく声をださないようにって、注意しなければいけないんですよ。それなのに貴方は、記憶を失って自分が呪いにかかっているとわからなかったからって……」
「そんなこと、言われても……」
「……貴方のせいで、僕の町の人間が……全員殺されたんですよ」
「え……?」
糾弾するような眼差し。今まで会ったこともない彼が、なぜそんなことを言うのか。
「貴方……昔から船長さんとお知り合いみたいですけど、ずっとその声を聞かせていたんでしょう? 船長さんはずっとずっと貴方の声を忘れることができず――航海の途中で偶然知った人魚の呪い、それによってより貴方を魅力的にできるのだと、その想いにとらわれました」
「……」
「ただ、やっぱり呪いなんて不確かなものを、すぐには信じることができず……同じ呪いを受けている僕を使って実験したのです。同じ町に生きる人々を惨殺し、僕へ『悲劇』を与え……確かに僕の声が変化したことを感じ取ると、貴方を探すようになったんです。元々船長さんは、優しい方でしょう? あんなに音楽を愛する人もなかなかみません。でも、貴方が自分の呪いを自覚することもなく声を聞かせ続けたせいで狂気にとらわれ、人を殺すことに抵抗感すら覚えない……そんな風になってしまった」
「……え、ちょっと、まてよ」
准将からきいていた、港町の人々の惨殺事件。それは、人魚の呪いを確かめるためのものだった。――ウィルを、再び手に入れたときに声を美しくさせるために。
「だからウィル、呪いを受けた人は声をだしてはいけないのに。呪いを受けた者は呪い受けた者同士でしか愛しあうことは許されないんです。同じ呪いを持つ人には、狂気を引き出す声が通用しないから――」
「俺のせいで、オーランドが、」
「ちょっと、きいてます!?」
オーランドは変わってしまったのかと思っていた。ずっと彼を信じていた自分が、裏切られたのだと。でも……そうではなかった。オーランドが残忍な行いをするようになったのは……自分のせいだった。たくさんの村の人々の命が奪われたのも、部下が死んだのも。すべて――自分のせい。
「おい、いたいた、ウィル!」
後ろから話しかけてきたのは、オーランド。つい先程海兵を焼殺したとは思えない、カラッとした表情でいる。
「……オーランド、」
声が、震えた。
海軍という立場も、大切な部下も……オーランドに奪われたと思っていた。でも、違う。彼から全てを奪ったのは、自分。人間らしさを奪い、人生を奪い、……彼の全てを狂わせた。
「……オーランド……どうすればいい……?」
「ウィル?」
ふらふらとウィルはオーランドに近づいていき、彼の目の前でガクリと崩れ落ちた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「おい、どうした……」
「俺は……オーランドに、絶対に赦されないことを……」
「何言ってるんだよ、ウィル」
「もう、殺してくれ、……ごめん……オーランド……ごめんなさい」
どんな謝罪だって、足りない。何をしたって、赦されない。取り返しの付かないことを、してしまった。オーランドを壊してしまった。
赦されるなら、なんだってしたい……
「……何を、そんなにおまえは」
「俺は! おまえから全て奪って! だから……!」
「……よくわからないけどさ……ウィル。俺にそんなに罪悪感もってるんだ」
「……罪悪感なんて、そんな軽いものじゃあ……」
「もし……おまえが俺に何かをしたんだとして。それがどんなにひどいことでも……俺はおまえを許すよ。おまえが俺のものになったのなら」
「え……」
ゾワリと地を這う蛇のような。そんな声。本能的な恐怖を覚えたが……どこか心地好いその声に、ウィルは瞠目する。
「ウィル……なあ」
「……オーランド、」
「恋人なんてそんな浅い関係じゃない。おまえの全てを俺にくれよ。この世界のなかで、俺だけをみろ。俺のためなら人を殺して、世界を壊して……なんでもできるくらい。全部全部、おまえの全部を俺にくれ」
「……ウィル、」
二人の会話を聞いていた椛が、思わず声をあげる。危険だ、このままだと、二人が壊れる――そう思ったのだろう。しかし、ウィルは椛の声など聞こえなかったのか、俯いて、くつくつと笑い出す。さっきまで、部下の死を嘆き自分の罪に喘いでいた――それが嘘のように。
「オーランド……おまえだけを見ろって……? じゃあ……おまえも、俺だけをみてくれる? 俺を一番にしてくれる?」
「俺は初めからおまえのことしか、みていない」
「……はは――嬉しい。すごく、嬉しい。俺の世界……全部、おまえだけ……」
泣きながら笑ったウィルの表情に……椛は寒気を覚えた。正気の顔じゃない……
恐ろしくなって、椛はその場を離れてゆく。いつかの――幼いウィルの笑顔を思い出し、胸が締め付けられた。
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