甘えたがり
「……ッ」
はっと現実の世界に引きずり戻される。今のは、……わかっていたことだが、夢だ。昨日の事件の興奮は、ちゃっかり頭に残っていたらしい。自分と波折が魔女に侮辱されたような事件だというのに、正直すぎる自分の本能に沙良はため息をついた。
「……う、わ」
ふと胸元の温もりを感じて、沙良は小さな悲鳴をあげる。寝る前はこちらに背をむけていた波折が、正面をむいて寝ている。
「な、な、……」
自分の首元に、すうすうと波折の寝息がかかる。時折「ん……」と小さく身動いで、猫のようにくっついてくる波折に、がらがらと沙良の理性が壊れてゆく。
そっと、波折の背に腕をまわす。そして、波折が起きないように、ゆっくり、ゆっくりと抱きしめた。
(あ、あー、やっちゃった、やっちゃった、ちくしょうすっごく可愛い……)
「……さら?」
「げっ、起きた」
しかし、沙良の努力も虚しく、波折は目を覚ましてしまったようだ。現実と夢の境界線が曖昧、そんな風にとろんとした目で沙良を見上げてくる。妙に緊張してしまって体勢を変えることもできず沙良が固まっていると、波折がふにゃ、と笑った。
「!?!?」
「さら」
ぎゅ、と波折が抱きついてくる。あまりの驚きに、沙良は完全に硬直した。甘えるような波折の仕草に頭の中が沸騰しそうになる。
「な、なお、波折せんぱ、」
「さら」
「う、う……」
可愛い。可愛すぎる。
沙良は耐え切れず、波折を抱く腕に力を込めた。波折の髪の毛から、ふわりといい匂いがする。とてつもない幸福感に胸がいっぱいになってくる。
「んっ……」
「可愛い、波折先輩、可愛い……」
このままちゅーしたら怒られるかな。なんて思って。やっぱりだめだって一人で頭を振って。そんな甘い葛藤を沙良がしているとき。
どたどたと扉の外から音がする。そして、ノックもなく扉が開いてしまった。
「お兄ちゃーん! いつまで寝てるの! お昼! お昼食べよ!」
「……」
入って来たのは沙良の妹の夕紀だ。友人の家から帰ってきたところだろう。沙良の事情など全く知らない彼女はにこにことしながら沙良のベッドまで近づいてきて、覗きこむ。
「あれ……お兄ちゃん」
布団のなかに潜り込んでいる波折は、夕紀からは頭のてっぺんくらいしか見えていない。しかし沙良が誰かと一緒に寝ている、ということははっきりとわかったのだろう、夕紀はぎょっとしたような顔をして口に手をあてる。
「か、彼女……!?」
「ちがう!」
とんでもない誤解を投げられた沙良は思わず大声を出してしまう。そうすれば、大人しく沙良にくっついていた波折がみじろいで、もそりと起き上がった。眠そうに瞼をこすり……あわあわとする沙良を見下ろし、そして驚いた顔をしている夕紀をみて――波折ははっと瞠目する。完全に睡魔から解放されたらしい。
「おとこの人……」
夕紀は勘違いに気付いたようだ。沙良と一緒に寝ていたのが女の人じゃなくてほっとしたような、でも「なんで?」と不思議そうな……複雑な顔を浮かべている。
「……沙良の妹さん?」
「は、はい……! えっと……お兄ちゃんの……お友達?」
「……先輩」
波折はぐいっと沙良を押しのけて、夕紀に爽やかに微笑みかける。そして顔を真っ赤にする夕紀の頭をぽんぽんと撫でて、優しい口調で話しかけた。
「お名前は?」
「ゆ、ゆ、夕紀です……!」
「夕紀ちゃん。俺は波折だよ。よろしく」
「よ、よろしくお願いします!」
完全に覚醒した波折は、先程までの甘えたな態度は一切とろうとしなかった。あれはどうやら寝ぼけていたようだ。ちら、と沙良をみつめたときの波折の目は、昨日と同じく突き放すような、沙良への拒絶をあらわすもの。
(く、くそ……)
夕紀には自分への態度とはまるで違う波折をみつめ、なんだかおもしろくなくて、沙良は内心舌打ちをしたのだった。