彼の不思議
「……」
二人で昼食をとりはじめてから、数分。何を話せばいいのかわからず、沙良は黙りこくっていた。思った通りだ。
仲の悪い二人が一緒にごはんを食べたところで、会話などすることができない。特別仲のよくない人と交わすようなふわふわとした内容の会話をする時期も、自分たちはもう過ぎている。
しかしだからといって、このまま黙っているのはよくない。本の話をするか? でも、本の話をすると自分は熱く語りすぎてしまう可能性がある。あまり仲良くない状態でそれをしてしまったら、引かれないだろうか。
今回誘ったのは、自分だ。沙良は頭のなかを高速で回転させて、なんとか話題をしぼりだす。
「な、波折先輩のお弁当おいしそうですね!」
「……」
(うわー、なんつーしょぼい会話だ……)
自分でもこれはないと思った。唐突にそんなことを言われた波折は、怪訝な顔つきで沙良をみつめている。
「……ありがとう」
「えっと、誰がつくってるんですか?」
「自分で」
「すごいですね、俺自分でなんてつくれないし」
「……一人暮らししているし、必然的に」
「えっ、一人暮らしなんですか」
機械的な会話のなかに、新たな情報。波折が一人暮らしというのは少々意外だった。この学校には寮が設置されているが、波折と初めて出逢ったときに彼は登校の途中であったから、寮ぐらしというわけではないだろう。高校生で一人暮らしは大変そうだなあ、と、沙良は何の変哲もない感想をいだく。
「一人暮らしって寂しくないですか?」
「……べつに、寂しくはないよ。一人は慣れているし」
「え?」
つんとした顔で「一人は慣れている」なんて言った波折に、ざわりと心が揺れたのを沙良は感じた。「家族はいないんですか」なんて野暮なことをきくわけにもいかず、ただその言葉の意味を勝手に考察することしかできない。
そういえば、淺羽が波折のことを「さみしがりや」だと言っていた。本当にそうなのだろうか。この、すました表情のなかに、「さみしい」という気持ちは存在するのだろうか。
「……」
すでに沙良からは逸らされた、伏し目がちの瞳には、何が映っているのか。自分に近づいたものを突っぱねる、彼の真意はいったい何なのか。
そもそもなぜ、今彼は自分と一緒にごはんを食べてくれているのだろう。いつもなら「嫌だ」と言ったのに。
……時々波折は、突っぱねてこないことがある。今日、一緒にごはんを食べてくれた以外にも、――手首の怪我を心配して絆創膏を渡した時に彼は嬉しそうな表情をみせた。
……さみしがりや。人を突っぱねているくせに、本当は寂しいのだろうか。ふとした瞬間に、寂しいという気持ちが顔をのぞかせるのだろうか。
「わっかんねー」
「え?」
「俺、波折先輩のことがわからなくなってきた」
一定以上近付くと拒絶する。でもなぜか時々その拒絶の壁が消える。そして……最大の謎・チョコレート。謎だらけの波折という人物が、沙良はわからなくなってしまった。
どうせこれからも、自分を拒絶するのだろう。あのチョコレート事件は波折のなかではなかったことになっているのだろう。こっちがどれだけ意識したところで、波折は沙良の一切を拒絶する。ほんの一瞬、壁を取り払うことができたと思っても、それは錯覚のようなもので、またすぐに拒絶される。
波折のことはむかつくし、意味がわからないし。でも、よくよく考えれば自分はずっと波折のことばかり考えていて。波折の本質を知りたいというこの気持ちは、はたして「嫌い」という感情なのだろうか。
「……」
沙良はちらりと波折をみつめる。すっと真っ直ぐな白い首筋。さらっとした髪。つんとした顔。校則通りに着こなされた制服。理想の生徒会長像を身にまとう彼は、チョコレートを食べるとド淫乱になってしまって。
……俺は、生徒会長の秘密を他の人よりもひとつだけ多く、知っている。
沙良のなかにうかぶのは、「嫌い」というには違和感のある、不思議な優越感。
「はあ……」
風が吹く。下の方から、ぱらぱらと紙がめくれる音がする。ああそうだ、もう一つ波折について知っていること……彼は本が好き。
「……自分のことまでわからなくなってきたわ、会長」
「……いみわかんない」
「……腹立つ」
昼休み終了5分前のチャイムの音が、青い空にうつろに響く。