知る

 この魔女たちは、淺羽の仲間。それならば、こうして自分が魔術を使っていることは、淺羽にも連絡がいっているだろう。ああ、まずい……そう思いながらも波折は自分がしたことを後悔はしていなかった。本気で裁判官になりたがっていて、そしてきっと未来に自分を救ってくれる沙良をここで退学させるわけにはいかない。完全に「ご主人様」の命令違反だな、と思いつつ波折は走る。


「なんか……魔女が増えてきて……」

「……うん」


 おそらく、波折が魔術を使ったことが淺羽に連絡がいったことで、ターゲットが沙良と波折に絞られたのだ。多くの人を殺害することで沙良の怒りを煽ることには成功したものの、魔術を使って魔女を殺すということを止めてしまった。だから次にやってくるのは、沙良が魔術を使わざるを得ない状況に追い込むこと。波折一人では対応しきれないくらいの敵に襲わせる。沙良が攻撃魔術を使うところまでを、淺羽は確認したいのだろう。


「……先輩、大丈夫ですか」

「大丈夫だから、沙良は絶対に魔術使うなよ」

「でも、一人で先輩が使っていたら大変……」

「だから……!」


 ハッと波折が振り向く。そしてぽかんとする沙良の手を引いて、そのまま引き倒した。自分は倒れた沙良に覆いかぶさるようにして、そして迫ってきた魔力弾からバリアーで身を守る。


「忘れてるみたいだけど、俺は沙良よりも魔術使えるから。沙良が思っているよりも俺は全然余裕がある! おまえは後輩らしくおとなしく俺に守られてろ、馬鹿!」


 怒ったように言う波折を見上げ、沙良は呆気にとられて黙りこむ。いつも可愛い可愛いとばかり思っていたからたしかに忘れていたが、波折はJSで一番の魔術の成績を持つ人物。ここまで心配する必要はないのかもしれない。大人しくなった沙良をみて波折は安心したようにため息をついて、そして沙良を引き起こす。周囲を見渡せば魔女が数人集まってきている。誰も彼もが馬鹿げた仮装をしていて気味が悪い。


「……先輩」

「大丈夫」


 今の状況で波折が使えるのは攻撃魔術以外のもの。防御、補助、治癒の3つ。そのうち相手に影響をおよぼすことができるのは補助の魔術だ。定義として、攻撃の魔術は破壊を目的として魔力を放つこと、そして補助の魔術は物質の変化を目的として魔力を扱うこと。補助の魔術で相手を怯ませるのに一番楽なのは、先ほどのように身につけているものの温度を一気にあげるということだ。ただ補助の魔術は対象を一つにしか定められないため大勢の相手をするには少し向いていない。その点攻撃魔術は大量の魔力を使って広範囲に向けて魔力を発射すれば大勢を相手にできるためこの状況には向いていた。


「沙良、もっと俺に近づいて」

「はい……」


 二人を囲う魔女たちが一斉に攻撃してきた。一度に使える魔術はひとつだけ。防御をしながら補助の魔術はつかえない。だから囲われるとなかなかこちらからは手を出せない。波折は自分たちの周囲にバリアーを張りながら、どうするべきか……と思考を巡らせる。


「――波折、あんまり俺達の邪魔をしないでくれないか」

「……っ」


 そのとき一人の魔女が波折に声をかけてくる。他の魔女は攻撃を続けたままだ、こちらは防御を続けるしかない。先ほどのように相手を怯ませて話しを止めることは、できない。


「おまえ、わかっているだろう。おまえのご主人様が何を求めているのか。今の俺達がおまえのご主人様の言うとおりに動いているってことくらい察しているはずなのに、なんで俺達の邪魔をする」

「……し、知らない。関係ない。おまえたちが何をしようと、俺はこのテロに関わってなんか……」


 波折の反論する声が震える。この言葉に嘘はない。しかし、これから先この魔女はきっと――


「関係ない? それはないだろう! おまえは俺達の仲間なんだからな!」


――沙良に黙っていたことを、全て言ってくる。


「……え?」


 魔女の言葉を聞いた沙良は、案の定驚いていた。信じられないといった顔をして、波折を見つめる。


「……仲間?」

「……待って……沙良、このテロに俺は関わってない……」

「あの魔女、何を言ってるんですか……?」


 魔女はそんな沙良の表情をみて、笑い出した。焦っている波折の姿もまた彼にとっては美味しいものなのだろう。腹を抱えながら、愉しくて仕方ないというように大笑いする。


「波折、沙良くんになーんにも教えてなかったんだな! そりゃあびっくりするだろうな、大好きな先輩が自分の大っ嫌いな魔女だなんて!」

「まっ――」


 魔女たちは、淺羽から波折と沙良の関係まで聞いているのだろう。わざと沙良を煽るような言葉を選んで、叫んでいる。


「……先輩」

「……あの、沙良」

「……なんで、あの言葉を否定しないんですか」

「そ……れは」


 テロには関わっていない、が、魔女であることと彼らの仲間であることは事実。沙良に嘘をつきたくなかった波折は、ぐ、と口ごもってしまった。


「……あの魔女の言葉、もしかして本当なんですか」


 沙良の瞳をみて、波折は心臓を貫かれたような胸の痛みを覚えた。激しいショックを受けたような、悲しげな瞳。今にも眼球がころりと転げ落ちて深い闇を生んでしまいそうなほど、沙良は絶望したような目をしていた。あたりまえだ。大好きで大好きでたまらなかった人が魔女の仲間だったなんて。自分が最も忌み嫌う存在だったなんて知ったなら、そうなるに決まっている。


「先輩……何か、言って……」

「……あの、……俺は……この魔女たちと一緒に何かをしているわけじゃ、……」

「先輩が魔女なのかどうか……それをはっきり教えてください……」


 裏切ったのか。沙良はそういった表情をしている。

――ちがう、裏切ったんじゃない、騙していたわけじゃない、違う、違うんだ、俺は本当に沙良のこと……


「……魔女、……だよ。俺は、魔女。きっとこいつらよりもずっと非道な、魔女だ!」


――先輩何言ってんの。その言葉がぽろりと沙良の唇から転がった。いつの間にか魔女たちは攻撃を止めて、二人を眺めている。急激にしんとした空間で、沙良の絶望の眼差しを受けて、波折はよろりと後ずさった。


「ずっと昔から……俺は魔女だよ……だから、言っただろ……俺のことを好きになるなって……」

「……先輩」


 たん、と沙良が一歩踏み出した足音が響く。びく、と波折は震えて、沙良から目を逸らした。沙良はそんな波折の手を掴み、そしてすがりつくような声で問い詰める。


「……騙してました? 俺のこと……ずっと……」

「……ちがう……」

「俺が先輩のこと好きって言って、それで馬鹿だなって嘲笑っていたんですか……!」

「違う……!」

「どんな気持ちで俺と一緒にいたんですか! 俺は……俺は本気で波折先輩のことが好きだった……先輩は……先輩は俺のこと……」


 ぽろりと沙良の瞳から涙が落ちる。沙良は波折を責めているのではない。本気で悲しんでいるのだ。今の状況では、沙良は波折が自分を騙したと捉えるしかできないだろう。実際に自分が魔女であると波折が黙っていたということも事実。弁解もできない、謝っても何も起こらない……追い詰められ、波折まで泣きだしてしまう。


「沙良……俺は……」

「先輩は……どのくらい人を殺めてきたんですか」

「……っ」

「JSの生徒会長と名乗る裏で、みんなのことを裏切って、どれだけの人を傷つけたんですか……!」


 波折は、その場でがくんと崩れ落ちた。沙良が悲しんでいるのは、波折が魔女であることを黙っていたこと、そして魔女であるということそれ自体。好きな人が人を殺めていた、その事実を悲しんでいるのだ。

 幼いころから魔女として生きてきた波折にとって、その沙良の哀しみは――波折の存在の否定だ。

 これでいい。沙良にははっきりと魔女である自分を否定して欲しかったから、これでいい。なのに、いざその感情を向けられるとショックでたまらなかった。沙良に事実を黙っていたこと、彼が魔女を嫌いだと知りながらずっとそばにいたこと、全部悪いのは自分だとわかっていながらも沙良に糾弾されると辛くて仕方ない。泣いていいのは沙良だけ、自分は泣く資格なんてない。そうわかっているのにぼろぼろと涙は止まらない。


「――殺しちゃえばいいじゃないか、沙良くん」

「……え」


 二人を囲っていた魔女の一人が、言う。


「わかるだろう、波折がそのまま成長したらどうなるかなんて。JSでトップをとれる魔術の才能の持ち主だ。きっと裁判官として名を馳せる裏で魔女を従えるとんでもない悪人になっているよ」

「で、でも」

「きっと今の君なら止められる。なぜかって? 波折に抵抗の意思が無いからだ! 今ここで君が波折を殺さないと、今後波折を殺せる者は現れない。波折が心を許した君にしか、できないんだよ」


 波折がちらりと沙良を見上げる。涙に濡れたその瞳に、たしかに抵抗の意思は感じない。でも、ここで波折を殺すなんて。たしかにここで波折を殺さないと、これからさらに彼は悪を重ねるかもしれない。憎い魔女。目の前にいるのは、ずっとずっと恨んできた魔女だ。

――でもどうする。ここで魔術をつかえばJSは退学になって裁判官にはなれない。一時の感情に身を任せて夢を断つのか。憎い魔女を消したいんじゃないのか。

 でも……



「――こんな状況になってもまだ迷うんだ? なかなかしぶといじゃないか」

「えっ……」


 突然、朗々とした声が響きわたる。今までの魔女たちの仮面にくぐもった声とは違うクリアな声だ。ハッとして沙良が顔をあげれば……そこに、新たな登場人物。こんなところにいるわけのない、見知った顔が、二人。


「え……淺羽先生と、……鑓水先輩?」


 にやにやと笑う淺羽と、面白くなさそうな顔をしている鑓水。こんな、周囲の人々を惨殺した魔女の輪に堂々と入ってくることに違和感を覚えたし、何よりその口ぶりはまるで……


「……二人もまさか、魔女……」

「察しがいいね」


 淺羽は飄々とした調子で沙良と波折のもとに近づいてくる。波折が目を見開いて、そして震えだし、ずるずると後ずさってゆく。


「波折」

「は、い……」

「きいたよ、全部。魔術使ったんだって?」

「……ッ」


 その瞬間、波折はガバッと淺羽の前に出て、そして床に額をぶつける勢いで土下座をした。異常な光景に沙良が息を呑んでいると、波折が叫ぶ。


「申し訳ありませんご主人様……どうか……どうか許してください……」


――ご主人様……!?

 波折の言葉を聞いて沙良は驚きのあまり素っ頓狂な声をあげそうになった。動画にて波折を陵辱していたあの人物。それが、淺羽だとでもいうのか。沙良にとってはにわかに信じがたいことで、すぐに状況は飲み込めない。


「だめだなァ、波折。完璧な生徒会長が魔術なんて使っちゃだめだろう。それに波折が使わなきゃ神藤くんが使ってくれたかもしれないのに……」

「ご、ごめんなさい……ごめんなさい……」

「俺に逆らうとかどうしたの、波折。おまえは俺の一生隷属するはずなんだけど」

「ごめんなさい……」


 必死に謝る波折は恐怖のあまりガタガタと震えている。沙良はこんな波折を初めて見たため、動揺してしまった。しかしその波折の姿は、「淺羽が波折のご主人様である」ということにより真実味をもたせている。尊敬していた先生が、波折の「ご主人様」で、そして魔女の仲間だなんて。


「……鑓水先輩は、どうして淺羽先生と一緒に、」

「ああ、彼?」


 淺羽は波折の頭を掴みながら、笑う。沙良の問がなにやら面白かったのか、くつくつと肩を震わせた。


「彼も、俺達の仲間だからだ」

「……前から?」

「いやあ、最近。波折のことを知ったら一緒に来るって言ってくれた」

「なっ……」


 ばちり、と沙良と鑓水の目が合った。


「……鑓水先輩……脅されてたりします?」

「いや……」

「……じゃあなんで波折先輩が魔女だって知って、一緒にいるんですか?」

「……波折が一人で魔女として生きるの、辛いだろ。だから支えたいって思った」


 ぼそりと返された答えに、沙良は閉口した。そして、口元をひきつらせて、言う。


「……本気で言ってるんですか?」


 沙良がズカズカと歩いて行って、鑓水の胸ぐらをつかむ。お、と小さく反応をみせた淺羽は無視して、怒鳴りつけた。


「波折先輩が魔女ってことは……犯罪者ってことですよ……! これからどんどん人を殺していくんですよ! それを、鑓水先輩は助長するんですか! 波折先輩が手を汚していくのを、推し進めるっていうんですか!」

「うるせえ! あいつは、もう後戻りできない……それなら俺はあいつのそばにいることしかできないんだよ!」

「好きな人が犯罪に手を染めるのを手助けすることの何が愛だよ! 止めろよ命がけで!」

「止めるにはあいつを殺すしかねえだろうが! 俺にはそれができないって言ってんだよ!」

「――ッ」


 殺すしか、ない。法律で許可されている範囲を超えて魔術を使った時点で、その人間は魔女になる。だから波折が魔女になったのなら、もう魔女であるという事実を変えることはできない。それにもうすでに人を殺しているらしい波折は、まともな人間には戻れない。加えて――淺羽という存在。先ほどの必死の謝罪をみた時に痛感した、波折は「ご主人様」に逆らうことは絶対にできない。「命令違反」で魔術を使ったらしいが、あれは淺羽の目がなかったからだろう。波折が彼の支配の下から完全に逃れることは、おそらく不可能だ。だから……本当に波折を止めたいのなら殺すという方法しかない。

 でも、だからと言って殺すのか。

 俺を裏切って、みんなを裏切った魔女のために、俺の未来を潰すのか。


「……おまえが、殺せ」

「……たしかに波折先輩は魔女ですけど……でもここで俺が殺して、俺も魔女になってどうすんですか」

「それがなんだよ……魔女になったからなんだよ、好きならそれくらいいいじゃねえか」

「好きって……俺のことずっと騙していた波折先輩を……俺のことを弄んで、そしてどうせ裏で笑っていたんでしょ、あの人。その人のために魔女になんかなってやるもんか」


 吐き捨てきるように言った瞬間、視界がぶれた。チカ、と頭の中が真っ白になる。何が怒ったのかもわからないまま沙良は床に倒れこんで、しばらくして襲ってきた頬の痛みに、鑓水に殴られたのだと理解した。


「騙した……!? おまえのことを笑ってた!? おまえ本気で言ってんのか! 波折はおまえのこと、好きだったぞ、ちゃんと想ってた!」

「どこに、その根拠が」

「みただろ! こいつが! 淺羽が波折のこと奴隷みたいにして逆らえなくしてんだよ! 昔から、波折のことを支配して、波折を魔女に仕立て上げた! それでも波折はその中でおまえのことを想ってた、自分が魔女であるっていう事実と葛藤しながらな!」

「は……?」


 沙良は鑓水の言葉によろよろと顔をあげ、淺羽を見つめる。波折の「ご主人様」。そういえば以前波折は「ご主人様」に感情を奪われたといったことを言っていた。幼い頃からずっと奴隷のように扱われて、いつの間にか魔女にされていて……それで、高校生になった。

 騙していたわけではない……? 初めの頃やたらと好意を拒絶していたのは、こうなることを恐れたからだったのか。魔女である自分が普通の人間である人と関わらないために、ああしていたのか。それでも、波折は……


「……波折先輩……聞いていい?」

「うん……」

「……俺のこと、どう思ってた?」


 波折は沙良問いに、顔を歪ませる。かたかたと震えて、口に手を当てながら泣いて、そして申し訳なさそうに、絞り出すように言った。


「……すきだった」


 時が止まったような錯覚を覚える。崩れ落ちるように体を丸めて、沙良の視線から逃げるようにしてつぶやかれたその言葉は、あんまりにも沙良には哀しく聞こえた。彼があんなに苦しそうに「すき」と言ったのは、沙良が魔女を激しく否定しているからだ。波折のことを糾弾したからだ。そして、淺羽に見つめられていたから。それでもその言葉を言ってくれた波折に、沙良の胸に後悔が水のように流れこむ。掻き毟られるほどに胸が痛む。なんて酷いことを、彼に言ってしまったんだろう、と。


「――そういうわけだよ、神藤くん」

「……ッ!」


 立ちすくむ沙良に、淺羽が笑いかける。そして、泣き咽ぶ波折の頭を掴みあげた。


「俺はこの子をずーっと昔から調教していた。人間としてなんて扱ってないさ。どう、俺のこと、憎いでしょ」

「……波折先輩は……自分がやっていること、どう思って、」

「無駄に優しいからね。波折は人を殺すことは悪いことだってちゃんと認識している。悲しいって思っているさ。でも、俺がやれと言えば波折は人を殺す。悪辣な魔女だよ」


 波折は人を殺したくもないのに、殺している。それを悟ると、沙良の胸は怒りにあふれる。


「ね、そういうわけだからさ、ちゃんと波折のこと救ってあげなよ。ほら、目の前に全ての元凶がいるから。やることはわかるだろう」


 自分の胸を親指でとんとんと叩く淺羽の言いたいことはわかる。魔術を使ってみろと言っているのだ。


「……ッ」


 人の人生を狂わせて愉しむ本物の悪人。波折を支配し苦しめている男。こいつを殺す、魔術をつかえば殺せる――


「まて、神藤……!」


 心の中にぐちゃりと衝動が湧いたとき、鑓水が叫ぶ。ビクリと沙良が振り返れば、鑓水が真っ直ぐに波折を指さし、言う。


「殺すのは淺羽じゃない、波折のほうだ。あいつは、おまえに殺されることを願っているんだ、あいつを止められるのはおまえだけだ!」

「……え、」

「さっきも言っただろ! もうあいつはこのまま魔女として生きるしかない、でもそれをあいつは望まない! 殺してやれ、お前の手で!」

「う、」


 憎しみのままに淺羽を殺すか、波折を救うために波折を殺すか。どちらにせよ、魔術をつかえばJSは退学、そして魔女になってしまう。鑓水が選んだのは自分が魔女に堕ちて波折と共に生きること。でも、沙良はそれは無理だとその選択肢はすぐに切り捨てた。魔女として波折を支えるということは、波折を茨道に進んでいくのと後押しするということだ。一緒に進んでいくことは彼の苦痛を緩和を可能とするかもしれないが、根本的に苦痛から解放することにはならない。むしろ最終的には更なる苦痛を与えることになるだろう。鑓水はどうしても自らの手で波折を殺すことが出来ずに、一緒に生きることを選んだ。それは彼の強さであり、弱さだった。

 沙良が選べるのは、ここで魔術を使うことだけ。もし使わないでいれば――おそらく、淺羽に殺される。


「沙良……だめ……」


 悩んで、悩んで、どうしようもなくなっているとき。波折の震える叫びが耳に入ってきた。波折は淺羽に髪の毛を掴まれながら、必死に叫んでいる。


「沙良は魔女になるな……ここで堕ちるな、魔術は絶対に使うな!」


 また、淺羽の命令に反することを。そして、ほんとうは魔女として生きていくという運命から逃げたくて死にたいと思っているのに、波折は沙良に魔術を使うなと言った。なぜか。考えればすぐにわかることだ。

 波折が、沙良のことを想っているからだ。沙良が魔術を使って未来を絶たれることを拒んでいるのだ。


「でも……波折先輩……」


 しかし波折のことは救いたい。

 波折を救うか未来を断つか――


「え――」


 ぐるぐると、いろんな想いが頭の中を巡って目の前が真っ暗になって。そうしていると、ぱし、と小さな音が聞こえてきた。そして続いて聞こえてきたのが、周りの魔女たちが動揺する声。何があったのか――沙良が意識を覚醒したときにみたのは、驚くべき光景だった。


「波折、」

「……ッ」


 波折が淺羽の手を払って、立ち上がったのだ。そして、慌てて波折をつかもうとした淺羽の手を振りきって、沙良のもとへ走ってくる。そのまま驚くままに固まっている沙良の腕をつかみ、魔女たちの間をくぐり抜けてその場から逃げ出した。


「波折が俺に直接逆らった……!?」


 淺羽は虚を突かれたのか即座に反応できず、あっさりと波折と沙良を取り逃がしてしまう。あのように手を振り払われたことが、あまりにも淺羽にとっては衝撃だったようだ。


「ひゅー、誤算だったなあ、「ご主人様」」


 うろたえる淺羽に、鑓水が笑い声混じりの声をかける。


「俺から……離れるつもりか、波折……」

「……!」


 ぼそりとつぶやいた浅羽に、鑓水の揶揄は届いていないようだ。呆然としたその様子に、鑓水は首を傾げる。鑓水は訝しげに淺羽の表情を眺め、ぎょ、とした。

 淺羽のの顔は、絶望と悲しみをたたえたゾワリとする、そんな表情を浮かべていた。血の気が引き青く染まり、今にも死にそうなほど。波折が離れていくことがそんなにショックだったのかと鑓水は少しばかり驚いてしまう。道具だなんだと言いながら、こういう状況に置かれてようやく自分の心を理解したらしい。淺羽も波折のことを本当に愛していたのだ。愚かだな、と思いながらも鑓水はそれは口にしなかった。自分も波折への気持ちに気付くのが遅れた一人。人間離れした思考を持ってしまったせいで人間らしい感情を忘れかけていた……そんなところで妙に共通点を持ってしまったようだ。鑓水はため息をつきながら、ふらふらと波折を追い始める浅羽の背中を追う。


「ったく、波折は……」


 関わった人を無意識にどこまでも自分のもとへ引きずり込んでしまう。なかなかに波折も恐ろしい奴だ。自分もも淺羽も、そして沙良も結局は同類なのかと思って、鑓水は苦笑いをしてしまった。


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