衝動
裁判官でもなくJSの生徒でもない人間が魔術を使いこなせる、というのはあまりきいたことがない。だから、今回こうして襲ってきている魔女は、おそらく「ご主人様」の仲間だろう……波折はそう考えていた。彼らは淺羽の魔力隠蔽術を使って魔術を訓練している。そこらの魔女よりもずっと腕がたつのだ。
今、自分がいるこの駅がターゲットになっているのは偶然か、それとも狙ってきているのか……それは定かで無い。ただ、淺羽は沙良に興味を持っていたから彼が魔女たちにここを襲うように指示したのかもしれない。そうした可能性を考えると、何が何でも沙良を魔女に合わせてはいけない……そう波折は思った。
「すぐ……裁判官来ますかね」
「来るとは思うけど……どうだろう。駅の中に入ってこれるかな」
「出口に張ってあるっていうバリアーですか?」
「うん……バリアーの強度がどの程度かわからない。普通の魔女のはるようなバリアーなら裁判官がすぐ破れるだろうけど……今回のはどうだろう」
一等裁判官の淺羽の率いる魔女集団。そう簡単に裁判官たちが助けにくることができるとは思えない。
駅ビルの中を進んでいく。先に行った人々は、もうすでに違う階に行ったのだろうか。上の階よりは地下の方が広いが、犯人はどちらに向かってくるだろう。追い詰めやすい上の階か。
二人は考えた末に地下に向かっていくことにした、が、そのとき奥のほうから悲鳴が聞こえる。また誰かが殺された、そして駅ビルの中にもすでに犯人がいる――焦った二人に、必死に走る男の姿が見えた。一緒にいた人が殺されたのだろうか、その体には返り血をあびている。そしてなんとその彼は沙良と波折に向かって走ってきたのだ。
「――助けてくれ、魔女が……!」
「ちょっ……」
馬鹿こっちにくるな!、とはさすがに言えない。二人も一緒にエスカレーターに向かって走って行く。走ってくる彼との距離は約5メートル。そしてそのさらに後方に妙な仮装をした人間が追いかけてきていた。ハロウィンの時期なんかによく売り出される安っぽい魔女の格好。ゴムでできたお伽話にでてくるような魔女の仮面に、三角帽とローブ。
「……」
それをみて、「決まりだ」と波折は確信する。今回の犯人は、淺羽の仲間。「魔女」の威厳をしらしめようとしている彼らの犯行だ。わざとああした格好をして「魔女」を演じている。
じゃあ自分は安全か。淺羽の下につく自分なら……波折はそんな可能性も考えたが、それはない、と思った。淺羽は沙良を刺激するためならなんでもするだろう。だから、そのために死なない程度に自分が痛めつけられる可能性も大いにある。それに自分が安全かどうか、よりもまずは沙良と魔女を引きあわせてはならない。――そう思って、波折は必死に走った。
「――あ」
後ろを走っていた男が、小さな声をあげる。一瞬二人が振り返れば――男の胸に太い氷柱が突き刺さっていた。口から吹き出る真っ赤な血をみて、沙良はぎょっとしたのか足がすくんで転んでしまう。
「沙良……立って!」
男の死に様は、見るに耐えないほどに凄惨なものだ。倒れる直前、瞳がうつろになり白目をむいて、そしてバタリと勢い良く床に伏してからはビクビクと痙攣しながら色々な液体を吐いて息絶える。そんな人の死に方をフィクション以外でみたことのない沙良はあまりの衝撃に気分が悪くなってしまった。しかし、だからといってここで立ち止まっていたら魔女にすぐにでも追いつかれる。波折は沙良の手を引いて、エスカレーターを降りるように促した。
「な、なんで……先輩、そんなに平気なの……」
「……っ、直視、してないから。立って、沙良。はやく……!」
「……」
あんなにもグロテスクなシーンをみた波折が全く顔色も変えないことを、沙良は不審に思ったようだ。波折はしまったと言い訳をしながら、冷や汗をかく。波折は自らの手でああいった殺し方をしたことが幾度と無くあるから、耐性がついてたのだ。それを沙良に悟られるわけにはいかない。
波折に肩を借りて沙良はなんとか立ち上がる。見れば魔女はどんどん近づいてきていた。沙良はもつれる足で、なんとかエスカレーターを駆け下りてゆく。
「……うっ、」
エスカレーターを降りて地下につくと、そこは上の階よりも酷い状況だった。ぱっと見渡しただけでも死体がいくつか転がっている。そのどれもが酷い殺され方をしていて、とてもじゃないが直視できるものではない。
「……上から、くる」
「仕方ないからこのまま地下にいこう」
この状況だと先ほどまでいた階よりも地下のほうが魔女が多いのかもしれない。しかしもうすでにエスカレーターを魔女は降りてきていて戻れそうにもない。危険であるとわかっていても、このまま進んでいくしかなかった。
「……沙良、しっかり……」
「――おまえ、波折か」
「……ッ!?」
辛そうにしている沙良を支えようとしている波折に、上から降りてきた魔女が声をかけてくる。波折はぎょっとして振り返り……そして、沙良の手を掴んですぐさま走りだした。
――名前を知っている。そうだろう、あの魔女は淺羽の仲間だ。あのままあの魔女たちと、そして淺羽と繋がっていることを仄めかすようなことを彼が言ったりでもすれば……沙良に、全てがバレる。
「……あの魔女……なんで先輩の名前を、」
「……っ、JSの生徒会長だからじゃないか、」
あの魔女が何を考えているのかわからない。沙良や自分に危害をくわえられるわけにはいかない。そしてこれ以上の情報を沙良に知られるわけにはいかない。波折は必死に走って、魔女から逃げる。
「……」
道中に転がる死体。飛び散る血と肉片はあまりにもむごたらしい。しかし沙良は感覚が麻痺してしまったのかそれらを見ても体調を悪くすることはなかった。むしろすれ違う死体を度々凝視しては波折に引っ張られる、そういった風に変化していく。
「あいつらの目的は、なんなんですか」
「……さあ」
「こんなことして、あいつらは何が楽しいんです」
沙良の声色がこわばっていく。ハッとして波折が沙良の表情を伺えば、沙良の顔からは恐怖が消えて怒りの色が浮かんでいた。
まずい、と波折は思う。確実に魔女たちの行為に沙良の心は刺激されて、淺羽の思惑通りになってきている。このまま沙良の理性が飛んだりでもして魔術を使ってしまえば沙良の未来が奪われる。そうさせるわけにはいかない。何が何でも魔女を振り切らなくては――
「あっ……!」
そのとき、波折の脚に鋭い痛みが走る。左足首に魔術を当てられたらしい。突然のことだったため波折は耐え切ることができずに、そのまま転んでしまう。
「波折先輩……!」
沙良が立ち止まり、振り返る。重症というほどでもないが、波折の足からは血がどくどくと出ていてなかなかに痛々しい。
沙良が倒れた波折を支えようとしゃがみ込むが、そうしている間にも魔女が追いついてきてしまった。仮面をかぶった魔女は表情こそはわからないが、笑っているということだけはわかる。笑い声がその仮面の下から、零れてきていた。
「いっ……!」
魔女が波折の傷ついた足を踏みつける。波折は思わず呻いて、沙良にしがみついた。波折の額からは汗がでてきていて、その表情も苦しそうだ。
「……」
波折を見下ろす沙良の顔つきが変わってゆく。静かな激情を湛えたような、そんな顔つきに。
「……魔女は、やっぱり、死ねよ。波折先輩のことまでこんな、」
「……っ、沙良……!」
沙良が魔術を使ってしまう。もしここで沙良が攻撃魔術でも使ったりすれば、退学だ。それはいけないと、波折は勢い良く沙良の手を掴んでそれを制止する。
「魔術は、使うな……! だめだ!」
「だって、こいつ!」
魔女がわざとらしく笑いながら波折の足を踏みつける力を強めていく。傷口から血が溢れ出てきて、この状況から逃げ出すことはおそらく無理だろう。「魔術を使うな」と言われても使わなければ波折は更に傷つくし、それに目の前に憎たらしい魔女がいるし。沙良がどうするべきかと葛藤していれば波折が叫ぶ。
「俺を置いて、逃げろ!」
「は……? 波折先輩を置いて逃げるわけないだろ!」
「いいから……! 俺は大丈夫……」
「いいわけあるか!」」
沙良が波折の手を振り払う。そして、魔女に向き直った。じっと魔女を見つめるその目つきを見て――波折は悟る。もうだめだ、言葉で沙良を止めることはできない、と。
「――沙良!」
そのとき魔女の仮面が突然煙をあげる。そして――魔女は叫び声をあげだした。
「あっ……熱ッ……な、……!」
魔女は慌てて仮面を外し、床に投げ出す。現れた顔を覆う皮膚が、僅か火傷を負っている。仮面の温度が急激にあがったらしい。沙良は何が起こったのかわからず呆然としていたが、そんな沙良の手を引いてまた波折が走りだす。いつの間にか波折は脚の怪我を治し立ち上がったようだ。
「……え、先輩、魔術使った……?」
「沙良が使おうとするからだろ、馬鹿!」
「えっ、」
「沙良は裁判官になりたいんだろ、ここで魔術使って退学になったらどうするんだよ!」
「ちょっ……」
――波折が魔術を使った。
驚きのあまり、沙良の口からは言葉が出てこない。波折が使ったのは、おそらく補助の魔術と治癒魔術。攻撃魔術ではないから退学にはならないものの、まさかあの波折が魔術を使うだなんて思わなくてびっくりしてしまったのだ。
「せん、ぱい……あの魔術使うと、ペナルティが……」
「沙良が魔術使ったらどうせ何も考えないで攻撃魔術使って退学になるだろ、それよりマシ」
「でも……!」
「完璧でいなくてはいけない」といつも言っていた波折が、ペナルティを受けることに甘んじた――沙良が退学に追い込まれるのを、防ぐために。
「……すみません、先輩……」
「……別に沙良が謝ることじゃないから」
沙良は気を落としたように語尾をすぼめていく。あのとき、本当に自分は気がおかしくなりそうだった。あの魔女はたくさんの人を殺して、そして波折のことまでも傷つけて。波折が止めてくれなかったら、あのまま魔女をこの手で殺していた。裁判官になる道を、絶たれた。思い出して、沙良は自分の理性の弱さに悔しさを覚える。波折にまで迷惑をかけて、本当に自分は馬鹿だ、そう思った。