彼の前のあの子
「や、神藤君。昨日どうだった?」
「え?」
特別授業が終わるときに、淺羽が沙良に話しかけてきた。突然の問に沙良がきょとんとしていると、淺羽は苦笑しながら沙良の肩をたたく。
「波折との仲だよ。ちょっとは仲直りできたかなーって」
「波折先輩……!?」
淺羽の口からでた名前に、沙良はガタッと椅子を鳴らして動揺してしまう。もはや波折の名前には過剰反応するようになってしまったようだ。この特別授業の間も、ずっと波折のことばかり考えていた。四六時中波折のことばかり考えていたから、誰かがその名前を発するとドキリとしてしまうのだ。
「む、む、無理ですよ……俺、あの人と仲良く慣れる気がしません!」
「えー? そんな、残念だなあ」
焦ったように沙良が言えば、淺羽はわざとらしく眉を八の字にまげた。昨日の波折のことを思い出して血の気が引いて、そんな自分の動揺を悟られないようにふくれつらをする沙良に、淺羽は苦笑いだ。
「波折さ、人を突っぱねちゃうところもあるけど、本当はさみしがりやだと思うよ?」
「ないない! ただ単にあの人性格悪いから! 自分以外の人のことを見下しているんですよ」
「うーん、悪い子じゃないと思うんだけどなあ……仲良くして欲しいなあ」
「……淺羽先生って波折先輩と仲いいんですか? 「波折」って呼んでるし」
「ん? 仲がいいっていうか……ほら、あの子成績トップだからよく話す機会あるというか」
「淺羽先生には、素直なんですか?」
なんとなく、沙良は問う。最近波折の話をする淺羽をみていて少し疑問に思っていたのだ。しかし波折の外面の良さはお墨付きだ。答えなんてわかっていた。
「素直だよ。すごく」
だから、この淺羽の答えがありえないことなんて思わなかったし、彼の前で波折がにこにことしている姿を想像することもできた。淺羽の前では本性を隠しているのかと、苛立ったくらいだった。