堕ちる決断を5

 篠崎のマンションについて、彼の部屋まで歩いて行く。部屋に近付くたびに妙に心臓がドクドクと高鳴って、気分が悪かった。

 とある部屋の扉の前に立って、先頭を歩いていた波折が立ち止まる。ここ、と波折が扉を指差してきたため、鑓水はその部屋のドアチャイムを押してみた。

 一回、二回。しばらく押してから待ってみるが、中から反応はない。なんだか、ホッとしたような気がした。正直なところ、この部屋の中に何か恐ろしいものがあるような気がしたため、中を見たくなかったのだ。留守となったならもう帰るしかない。鑓水はわざとらしくため息をついて部屋の前から立ち去ろうとしたが……


「慧太。鍵、あいてる」

「……、」


 波折が部屋の扉を開けてしまった。どつやら鍵がかかっていなかったようで、あっさりと扉は開いてしまう。

 鍵のかかっていない部屋。いよいよ、危ない。そう思った。しかし、逃げられない。波折がじっと見つめてきていたし、そして後ろには淺羽が立っている。


「鍵がかかっていない? 変だね、入ってみようか」


 淺羽が鑓水の肩を叩いて入室を促してくる。鑓水は冷や汗を流しながら……ドアノブに手をかけて、扉を開けた。


「……え、」


 扉を開けた瞬間に、鑓水はその中の様々な異変に気がついた。まず、気分が悪くなるような異臭がする。そして、壁全体に薄く魔力の膜が張ってある。この魔力の膜によって、部屋に充満する異臭が近隣の住人に気付かれていないのだろう。明らかに、魔女がこの部屋に入り込んで――


「……」


 一つの予感を覚え、鑓水は振り返る。波折が無表情でこちらを見つめていて……察した。波折が、篠崎に何かをした、と。

 恐る恐る、中に入っていった。奥に行くほどにその臭いはキツくなってゆく。開け放たれた扉の先に、拷問の道具のようなものが置いてあって篠崎の趣味に寒気を覚えたが、今はそんなことを気にしている場合ではない。少しずつ、少しずつ進んでいって……そして、ちらりとベッドを見た時に鑓水は思わずその場を飛び退いて小さく悲鳴をあげた。


「……こ、れ……」


――ベッドに転がるのは、焼死体だった。シーツには血が飛び散っていて、そして焦げたJSの制服を身にまとっている、焼け爛れた人間と思われるものが横たわっている。


「うっ……」


 溶けた、顔が見えた。皮膚がどろどろになって、それでも人の顔の形はしていて。急激にこみ上げてくる吐き気をこらえようと、鑓水は勢い良く口を塞ぐ。腰が抜けそうになって、ふらふらとしたところで……後ろから、誰かに抱きしめられる。


「慧太」

「……っ、波折……」


 抱きしめてきたのは、波折。その声色は淡々としている。


「……一応、聞いておくけど。……これ、おまえがやったの」

「そうだけど? 銃で撃って、あと……俺の精液が付着していたから証拠隠滅のために燃やせって。ご主人様が」

「……ご主人様、」


 鑓水は、抱きしめられたまま、振り向く。部屋の入口に、淺羽が微笑んで立っている。


「……おまえが、波折の「ご主人様」か」


 この惨状をみて、顔色一つ変えない。波折をみて、全てをわかっているように、笑っている。彼が、「ご主人様」だ――鑓水がそう気付く。金の記章を付けた「あの人」も、淺羽、この男だ。


「おまえが、ずっと波折を支配していたのか、淺羽――」

「鑓水くん、」


 動画に映っていた、波折を調教していた人物。それが目の前にいる男だとわかると、腸が煮えくり返りそうになった。叫んだ瞬間――鑓水の視界は反転する。そして、何が起こったのかわからないままにベッドにふっとばされた。真横に篠崎の焼死体があって、慌てて顔をそらす。


「先生に、その口の聞き方はだめじゃないかなあ」

「なにが、先生だよ! 生徒に手をだしやがって! しかも裁判官でJSの講師までしているくせに、魔女を手引するようなマネをして! どの口が先生だなんてほざきやがる!」

「あはは、威勢がよくて結構。でももう少し、自分の置かれている立場を理解しようか、鑓水くん。わかるよね、利口な君なら」

「……っ」

 
 鑓水はぐ、と口を噤む。目の前にいるのは、篠崎を惨殺した男。同じようにされるということだって、充分に有り得るのだ。


「鑓水くん。幸福な君。波折に気に入られた君は、なんと選択肢が与えられている」

「……選択肢」

「死ぬか、俺達についてくるか、の選択肢だ」

「……は?」


 淺羽が、ぐいっと波折を引き寄せて後ろから胸をまさぐりだす。波折は「あっ……」と喘ぎだして身体をくねらせた。


「鑓水くん。俺の論文、みただろう」

「……魔術の源について、の論文か」

「そうだ。人の使う魔術は人の心の内に潜む欲望によって、その性質は左右される。俺はね、それを証明したいんだ。この理論はまだまだ仮説にすぎないからね。人間の感情を刺激して魔術を使わせるっていう実験を繰り返している」

「……内に潜む欲望を引き出して、そしてそれがそいつの使う魔術に影響するのかどうか……そういうことをみているのか」

「そのとおり、物分かりがいいね!」


 にこ、と淺羽が笑う。実験、なんて言ってもやっていることは魔女の増殖だ。犯罪行為をしているという自覚を持っているのかと疑いたくなるようなその笑顔に、鑓水は嫌悪感を覚える。


「……おまえの行動の結果、魔女が増える。それで、これから被害がでるかもしれない。今までの軽犯罪なんてもんじゃ済まない、死者がでるような犯罪を犯す魔女がでてくるかもしれない」

「そうだね。でも、それでも俺は魔術の真実を知りたいんだ。死者がでるかどうか、そんなことは関係ない。俺が知りたいのは、俺の仮説が正解かどうか、それだけ」

「ふざけんな、おまえの実験のためにこれから人が死ぬなんて――」

「一緒にこないなら、死ねばいいだけだよ。そこの肉塊のように。もっとも、ソレは俺達についてくることができるほどの素質もないくせに俺達のことを知ってしまった莫迦だから死んだだけだけど」


 淺羽が懐から銃を取り出して、鑓水に向ける。

 なんで? どうしてこんなことになった。誰が人殺しの仲間なんかになってたまるか。よっぽど首を横に振ろうかと思った。しかし――それを、波折が止める。


「――慧太。慧太……一緒にくるよね、慧太」

「……っ」


 まさか、波折は――


「慧太は……俺とずっと、一緒にいてくれるよね」


――俺が波折の仲間になると確信していたから、この事実を気付かせようとしていたのか。

 波折が少しずつヒントを与え、そしてこの殺人現場へいくことを止めなかったわけ。それに気付いた鑓水は、淺羽の誘いを断れなくなってしまった。

 そうだ、沙良に波折は何もヒントを与えずこの事実を教えようとしなかった。それは、沙良は淺羽の誘いを拒絶するからだ。そして、沙良は淺羽に殺される羽目になるだろう。沙良のことも大切に思っている波折が、それを許すはずがない。


「そうだ、言い方を変えよう。波折は君が堕ちてくれるのを、信じている。そして波折は、君のことを大分好いている。きっと波折はおまえと添い遂げたいと願っているだろう。君が選ぶのは、波折ただ一人を愛し世界を敵に回すか、波折を裏切り世界の味方となりここで死ぬか、の二択だ」


 俺は、波折を拒絶しない。波折はそれを信じていた。そしてここへ連れてきた。


「……敵に回すのは、世界だけ?」

「ああ、そうだね。ちなみに世界っていうのは……君の今まで持っていたもの全てが含まれるよ。たとえば友人、家族、居場所。それから倫理観。表向きには今までの自分を保っているかもしれないけれど、裏ではそれらを全て裏切ることになる」

「……小さなもんさ、波折と一緒にいられるなら」


 淺羽の腕のなかで、波折の瞳が、見開かれる。


「友人、家族、居場所? そんなもん全部いらない。波折よりも大きなものなのか。倫理観? そんなもの今からだって変えてやるよ。人を殺すことが、波折のためになるんだろう。それならいいさ」

「……慧太」

「――いいよ、おまえらの仲間になってやる。堕ちてやるよ、悪党に。世界を敵に回しても、俺は波折を愛し続けると誓ってやる」


 とん、と世界がひっくり返った。波折が、淺羽の腕から抜けだして抱きついてきたのだ。


「……慧太。慧太、慧太……」

「波折……」


 波折がすんすんと泣いて、縋り付いてくる。鑓水の言葉が、ほんとうに嬉しかったのだろう。あんまりにも愛らしくて、鑓水はぎゅっとその細い身体を抱きしめた。


「波折は……本当に完璧な人間だからね。どんな人間の心も惹き寄せる、魔性の子。俺の最高傑作。波折を欲しいと思った人間は、その欲望をむき出しにするだろう。欲望をむき出しにした人間は、その本質を顕にするだろう。そして俺の仮説の証人になる。鑓水くん、君もそんな、波折に惹き寄せられ証人となった人物の、一人。波折のことを批判せずに全てを受け入れることを選んだ、防御魔術に特化した子」


 死体の転がる、血に汚れたシーツの上。そこで二人は、キスをしていた。まるでただ、純粋に愛しあう恋人同士のように。

 狂気なんてそこにはなくて。ただ二人は、二人だけの世界へ堕ちた歓びをかみしめている、それだけだった。





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