気配

「あっ、おはようございます」


 生徒会室に入った瞬間、沙良は心臓が飛び出しそうになってしまった。生徒会室に、波折がきていたのだ。動揺を悟られないように挨拶をすれば、彼はにこやかに返してくれる。昨日、自分はあれだけ波折のことを考えていたのに、波折は全く気にしていないようで、少し癪に障った。拒絶をみせたのはあの一瞬だけで、これから近づこうとしなければきっと彼は、こんな笑顔をこれからも向けてくれるだろう。……でもそれはなんとなく、面白くない。


「こんな朝早くきて……なにしていたんですか?」

「ああ……ペンをここに忘れて来ちゃって」

「意外と波折先輩でもドジ踏んじゃうんですね」

「そんなに意外かな」


 沙良はさりげない会話を交わしながら、自分の席へ向かってゆく。副会長である沙良の席は、生徒会長の席に近い。自分の席について、波折との距離が縮まったところで……沙良は、波折の体のあるものに、気付く。


「あれ……波折先輩、それなんですか」

「それ?」

「これ。昨日はなかったですよね」


 沙良はちょいちょいと自分の手首を指し示す。

――波折の手首についている、赤黒い痕。波折が手をのばしたときにカーディガンの裾から、一瞬見えたのだ。


「――ッ」


 沙良が気になって指摘すると……波折はハッとしたように、手首を隠す。表情を確かめるように沙良をみつめ、そして、視線を泳がせながら言った。


「あ、ああ……えっと、昨日強くぶつけちゃって」

「え、大丈夫ですか? 痛そう」

「あ、ちょっ、」


 結構はっきりと、その痣はついている。沙良は心配になって、波折の手を掴んでその痣をまじまじと見つめた。波折は沙良の手をはらうように、もう片方の手で軽く抵抗してくる。しかし、その手をみて……沙良は、訝しげに眉をひそめた。


「あれ、そっちの手も同じような痣……どっちもぶつけたんですか?」

「――っ」


 波折の、息を呑むような声が聞こえた。それと同時に、思い切り手を振り払われる。


(あ、しまった)


 あまり近付くな、と。鑓水の言葉をいまさらのように思い出す。痛そうな痣だったため無意識に彼に近づいて、彼の手を掴んで……ということをやってしまったが、今、思い切り自分は彼に近づいてしまった。


「……あ、ごめん。く、くすぐったかったから」

「いえ……すみません、無理やり」


 波折は、あからさまに嫌そうな顔をしていた。上辺の付き合いを保つため、の笑顔は浮かべているが、その目が笑っていない。


(なーんだよ、俺は心配してやってんだぞ、そんな顔する必要なくねえ?)


 波折がいったいなぜ人と深く関わることを避けているのかは知らないが……正直、腹がたった。悪気なんて全くないし、そこまで無理に距離を詰めようとしたわけでもないのに。沙良は苛々としてしまって、忘れ物のノートを少し乱暴に掴む。


「……じゃあ、波折先輩。また放課後」


 授業の始まる時間も近い。沙良はさっと波折に挨拶をすると、足早に教室から飛び出していった。

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