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ちょうど白柳が今日の俺の最後の客だったので、一緒にヤツの家に行くことになった。白柳はあからさまにめんどくさそうな顔をしていて、まあここまで嫌がられると堕とし甲斐があると楽しくなってくる。そもそもは俺のことを侮辱したこいつが悪いのだから、気なんて使うつもりはない。
白柳の住んでいるマンションは、一人暮らしをするには少し広いマンション。やっぱり
医者だから金を持っているのだろうか。普通の稼ぎの人ならば家賃だけで苦しい生活を強いられそうな、そんな部屋だった。
時間も時間なので、俺たちはシャワーだけを浴びてすぐに寝ることになった。ここまでに、白柳という男の人となりがなんとなくわかってきたような気がする。口が悪く、他人への態度も褒められたものではない。しかし根はいいようで、会話の合間合間に相手を気遣うような言葉を挟んでくる。言ってしまえば――俺が一番扱いやすいタイプだ。表と裏の顔が違う奴ほど、隠している本性に付け込んでしまえば心を奪いとることができる。この男はタチが悪いことに賢い方だからそう簡単にはいかないかもしれないが、まあそう時間はかからないだろう。
大丈夫だ、報復はできる。俺はこの男を堕とせる。
「ほら」
「?」
スウェットを借りて、寝る準備を整えている俺に、白柳がマグカップを差し出してくる。今の今まで白柳への報復について考え込んでいた俺は、突然のことに虚を突かれてしまう。笑顔も忘れてそれを受け取れば、白柳はさっと俺に背を向けて洗面所へ向かって行ってしまった。
マグカップに注がれていたのは、白湯だった。ここでお茶とかココアとかそういったものじゃなくて白湯を渡してくるあたり、妙にこの男らしいと納得してしまう。散々俺のことを疎んでおきながらこういうことをしてくるから、俺に付け込まれようとしているんだよ、と俺は心の中で毒づいた。
「おまえ寝つき悪いだろ」
「うわっ」
馬鹿なこの男を陥れることを滔滔と考えながら白湯を飲んでいたものだから、突然声をかけられて俺は飛び上がりそうになった。振り返れば白柳が相変わらずの目つきの悪さで俺を見ている。
「体温は低いし、血色悪いし。体あっためたほうがよく眠れるぞ」
「……」
……この男、何を考えているんだ。
俺がおまえのことを陥れようとしていることは気付いているだろう。それなのに、なんでこういうことをやってくる。馬鹿なのか、本当はやっぱり馬鹿なのか。
「白柳さん、やっぱりそういうのわかるんですか 俺、実はなかなか眠れなくて悩んでいたんです。これで今日はゆっくり眠れますかね……!」
「おまえの場合、それだけじゃ寝れないんじゃないか」
「え、じゃああとどうすればいいですか?」
白柳は空になった俺のマグカップを掴み、流しへ持っていく。そして、ベッドを整え始めた。
俺はそんな白柳を見ながら、自分でも気持ち悪いと感じる調子で白柳と会話を続けようと試みる。別に楽しくはないし、こうしたところで白柳が俺に好感を抱くとも思えないが、俺の邪心を少しでも悟られないようにするためだ。
反吐がでるような笑顔を浮かべて、振り向いた白柳を見つめれば……白柳はハッと嗤って言った。
「その可愛くねえ笑い方やめればいいんじゃないか」
「……、ええ〜? やだなあ、白柳さん。にこにこしてないと楽しくないじゃないですかぁ」
「そうかい。まあいいや。おら、もう寝ろ」
……やっぱり、気に食わない。俺の中身に気付いているんじゃないか。それなのに、俺なんかよりも上手だと言いたげに俺に優しくしてくるこの男が腹立たしい。
白柳が枕替わりにと投げてきたクッションを抱えて、俺はベッドにもぐりこむ。白柳は俺に背を向けて思い切り隅に寄っていた。セミダブルのベッドは二人で寝てもさほど狭くはなく、十分ゆったりと眠れるくらいだ。
「白柳さん、……くっついていい?」
「だめ」
「……お願い。体、あっためたいから」
「ベッドの下の引き出しに湯たんぽあるからそれ使え」
「……おねがい」
せっかくの大きなベッドなのだから、体などくっつける必要はない。しかし、俺はこの男に付け入りたい。甘えて甘えて、可愛いって思わせなくてはいけない。たとえ今の段階で俺の心中を気付かれていようが、甘え続けていればこの男を堕とせるはずだ。
適当に俺の頼みをあしらう白柳の背中に、俺は抱き着いた。案の定、白柳は俺を振りほどこうとはしない。抱きしめ返したりなんていう優しいことはしてこないが、俺を拒絶もしなかった。
「……白柳さん」
「……」
「寝てるの?」
「寝てます」
「……ほんとだ、寝てるね」
ブレッザマリーナでは白柳はムスクの匂いがすると思っていたが、シャワーを浴びたあとだと自然な男の人の匂いがした。あれは香水の匂いだったか。俺はこっちの匂いのほうがいいと思うけど。
白柳に抱き着いているからか、白湯の効果があったのか、いつもよりも体が温かい。すうっと瞼が下りてくるような、心地よい眠気が降ってくる。
目を閉じた。冷たくて怖いはずの夜なのに、俺の胸の中はなぜか穏やかだった。
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