カフェを出て、二人は駅に向かって歩いていた。一週間後のコンサートのチケットを渡す、という名目で会っていたので、目的は果たされていた。
しかし、駅が近づくにつれて梨瑚の歩みの速度が落ちてゆく。店に寄り道したり、立ち止まって話し出したり、なかなか駅に向かおうとはしない。そんな彼女の様子を見て、神藤は少しためらったように……彼女の手を取った。
「梨瑚さん、今日は……これから予定あるの?」
「えっ……な、ないけど」
「そう。俺も今日は丸一日空いてるんだ」
「……、……! じゃっ……、じゃあ、どこかに行こう! ほら、せっかく久々に会えたんだし!」
梨瑚は一目瞭然なくらいに顔を赤くして、作ったような笑顔を神藤に向けた。神藤は目を細めて、触れた彼女の指を、ゆっくりと親指で撫でてやる。梨瑚はびくっと震えたが、そのまま大人しく神藤に手を預け、可哀想なくらいに頬を染めた。
「どこにいく? 映画でもいく? それとも、他のお店に行ってみる?」
「……、」
「どこか、行きたいところあるの?」
梨瑚は俯きながら、唇をぎゅっと噛んでいた。神藤は彼女と距離を詰めると、触れていただけの手の指を、絡める。
「……、沙良くん。あ、あのね。私、別に沙良くんの彼女になりたいとか、大きなことは考えていないの。で、でも……私……」
「うん」
「……、は、……はじめての人は、……沙良くんがいいの……」
――ああ。
神藤は心臓がざわりと震えるのを感じる。梨瑚のことは……あまり、穢したくないと思っていた。彼女は神藤にとっての美しい思い出の一部だからだ。だから、再開した瞬間から感じた、彼女からの好意だって気付かないふりをして今日を終わらせようと考えていた。しかし、今……彼女に、明らかに誘われている。純粋な恋心で、誘われている。この誘いだって、跳ねのけようと思えばいくらでもできる。けれど。
「梨瑚さん」
「うっ……、あ、……、はい」
神藤はそっと梨瑚を抱き寄せて、頭を撫でてやった。ぐ、と彼女が息を呑んだのを感じる。
「もしかして、俺のためにはじめてをとっておいてくれたの?」
「そ、そういうわけじゃないんだけど、……ううん、……わからない。……ただ、沙良くんより好きになれる人が、いままでいなかったから……。ご、ごめんね、ちっちゃい頃の初恋拗らせて、私、気持ち悪いよね」
「ううん、嬉しいよ」
「……ほんと?」
美しい思い出なんて、ずっと大切にしていても意味がない。神藤は梨瑚の耳元にキスを落として、瞼の裏に閉じ込めた幼い彼女の記憶を拭い去る。
母を喪ったときから、神藤にとっての「思い出」は復讐の糧になった。思い出が美しければ美しいほどに、それを壊した魔女が許せない。
初恋の彼女へ抱く、ノスタルジーのような感傷も。母への愛情と共に復讐の炎へくべてしまえばいい。今の神藤に、純粋な心など、必要ないのだから。
「いこう、梨瑚さん」