7

 戦闘訓練を行う部屋まで移動する。そこは牢と違って、扉を閉めてしまえば誰からも覗くことはできない場所だ。

 だからこそ、ノワールは仮面とローブを外せるのかもしれない。彼は扉を閉めるなり、それらを外した。

 

「……っ」



 仮面が外された瞬間、ラズワードはノワールから目を背けた。昨日の痴態を思い出して恥ずかしくなったのだ。流石に一夜も開ければ熱も引いていく。今更のように、自分の浅ましい姿を全て見た、そしてそんな風に導いた彼に嫌悪感を抱いた。

 ノワールはローブの下は他の調教師と同じ黒いスーツを着ている。彼はローブに続いてその上着を脱ぎ、白いシャツ一枚になる。そして、黒いネクタイを外し、首元を緩めた。はだけた首元から、くっきりとした鎖骨が覗いている。



「……どうした?」

「――っ、い、いや……」



 いつの間にかノワールのことを見つめていたことに気づき、ラズワードは血の気が引いたのを感じた。何を思って今自分は彼を見ていたのだろう。そんなことを考えて。



「……ラズワード」

「……っ」

「まず、戦いの前は敵の観察から始めろと言ったと思うけど……どこを見ているんだ。どうした、ちゃんと俺を見ろ」



 ラズワードはそう言われて、なんとかその瞳にノワールを映す。その顔、その瞳。彼の素顔が、昨夜の記憶を呼び起こす。細い指、耳障りの良い声、冷たい瞳。自分を犯したその全て。それが、今再び目の前にある。



「……」



 体が熱くなってゆく。これ以上見ていられなくなって、ラズワードはまた目を逸らしてしまった。



「……ラズワード」

「……」

「おまえ、まだ昨日の熱が抜けていないのか」

「――ち、違うっ……!」



 思わず大声で叫んでしまう。本人に見抜かれてしまって、あまりの恥ずかしさにラズワードはノワールを睨みつけた。



「……う」



 目が合って、ラズワードはびくりと体を揺らした。



「……ふうん、そうか」

「……だから、違うって言って……」

「まあ、仕方ないな。昨夜の君の乱れ方は今までで一番だったからな」

「――っ」



 淡々と昨日の痴態のことを言われ、ラズワードはカッと頭に血が昇ったのを自分でも感じた。ノワールはふ、と笑い、さらにラズワードに追い討ちをかけてくる。



「そんなに俺の前での自慰はよかったか? その俺を目の前にして……また、我慢できなくなったんだろう?」

「うるさい、だまれ……違うって言ってんだろ……!」

「は、どうだか」



 ノワールがラズワードに歩み寄ってくる。ラズワードはなぜか逃げることもできずに、それを傍観していた。気付けば彼はもう目の前に来ていて、その瞳に見つめられて腰が抜けそうになってしまう。



「嘘はつかないでもらおうか。剣奴としてそんなんでは困るんだ。もしも、君が未だに昨日のことを引きずっているのなら、それなりの対処をしなければいけない」

「……だから、違うって……」

「……俺に嘘をつけると思うなよ」



 が、と手を掴まれて、ラズワードは思わず声をあげてしまった。逃げようにも体の力が抜けてそれはかなわない。

 するりとノワールの手が、服の中へ滑り込んでくる。すう、と背筋を撫でられ、思わずラズワードはため息を漏らしてしまった。掴まれていない方の手でノワールのことを突き飛ばそうと思えばできるのに、なぜかその手はノワールのシャツを掴むだけである。




「……それで? 『違う』んだったかな?」

「あ、……そう、だよ! お前なんかがどうしようと、俺は……う、ぁ」

「……そう。素直に答えたらご褒美あげようと思ったんだけど」

「……は、あ?」



 がくがくと震える脚でなんとか体を支える。背を撫でられ、さらに彼のシャツから漂う仄かに昨日と同じ香りが鼻腔をつけば、理性は限界まで達しそうになってしまう。



「……昨日は自分の指でやらせてしまったね」

「……っ」

「素直に言ったら、今日は俺がやってあげるよ」

「――死ねっ!!」



 最後の言葉にくらりと目眩を感じた瞬間、ラズワードはノワールを突き飛ばした。そうしなければ、頷いてしまいそうになったからだ。



「俺のことを馬鹿にしやがって……! お前、絶対いつか殺してやる……!!」

「はは……そりゃあ楽しみだ」



 くすくすとノワールが笑ったのになぜか違和感を覚えたが、そんなことに構っている暇はない。口ではこういったが、本当は体が熱くて熱くてたまらないのだ。
ノワールが言ったように、もしも彼にあんなことをされたら……と考えると、後孔が疼いている。



「まあ、本当に違うんなら、いいんだけどね」

「だから違うって――あっ……」

「戦闘に支障がでなければいいんだけど……ああ、これじゃあいけないね」



 いきなりシャツの上から乳首をつねられて、ラズワードはがくりとその場に崩れ落ちた。ドクドクと鼓動がうるさい。体中に熱が回って何も考えられない。

 とん、と軽く蹴られてラズワードは抵抗もできなく体を横たわらせる。仰向けにされ、上を見上げれば、ノワールに見下ろされているのをぼんやりと確認出来た。



「もし、これが実践だったらどうなる? こうして快楽を拒めない体になった君が、こんなふうにされてしまったら……そこにあるのは死だけだ」

「……っこれは……あ、はぁ、おまえ、が……!!」

「戦闘のときは性欲を抑えろと言わなかったか?」

「そんな、でき……ん、あぁ……あ……」



 胸元を踏まれ、ジャリ、と捻られれば、そのシャツの下で乳首が刺激される。ノワールはそれをわかってやっているのか、ぐりぐりとその動きをやめることはない。ビクビクと体が何度も痙攣し、もう理性など壊れてしまいそうになった。



「……まあ、これは剣奴になった者にとっての一番の壁。そう簡単にはできないだろうね」

「……は、あ……ん、あ……」

「でもね。ラズワード。君はこういうところでも剣奴として最高の才能を持っているんだよ」

「……え……」



 キラリと何かが光る。それはものすごい勢いで落ちてきた。



「……っ」



 それの正体を確認した瞬間、ハ、と視界が良好になる。熱でぼやけていた世界は、一瞬で明解になった。



「君の戦闘訓練を数日続けて、俺は感じていた」



 落ちてきた物体を、眼球に突き刺さる瞬間に、ラズワードは受け止めた――ナイフを。



「――っ!!」



 激しくぶつかった刃は、僅かな火花を散らす。ラズワードがナイフを受け取った瞬間、ノワールが剣を抜いて斬りかかってきたのだ。ラズワードは胸元を踏みつけられながら、それをなんとか受け止めた。

 今まで肉欲に溺れかかってその熱にうなされていたのが、嘘のように。その肉欲という興奮が、すべてこの『瞬間』の高揚感に変換されたように。ラズワードの意識は全てナイフの刃に向かっていた。




「君の中に巣食うもの……獣のような性」



 ラズワードは自分の体を押さえつけるノワールの足を、ナイフで切りつけた。意識はしていなかったが、バガボンドにいた頃のように人体破壊の魔術を使いながら。

 それは直撃こそしなかったものの、ノワールの脚にほんの僅かかすった。見たところわざと当たったようにも見えたが、そのほんの僅かな切り傷がこの魔術の前では大ダメージに繋がる。

 思ったとおり、ノワールの脚は破裂した。おそらく彼も魔術をつかってその範囲を狭めたのであろう。全身を破壊するつもりで放った魔術は、彼の右足の膝から下だけを破壊したのに過ぎなかった。

 しかしその真下にいたラズワードは、まともにその血をかぶることになる。シャツはもちろん、顔も、何もかも血で濡れた。



「君は異常に好戦的だね、気付いていたかい? 相手を切り刻むときの感触も、自らの体が傷付く瞬間も、君にとっては興奮材料だ。戦闘を開始してから時間が経つごとに君の攻撃の精密度も威力も増していく」



 生臭い臭い。シャツに染み込みまとわりつく、べっとりとした血。



「君の魂が、血を求めているんだろう。……それが、君の本能だよ」

「……なにを、言っているのかわからない」



 血を嗅ぎつけた獣のように、息があがってくる。それは紛れもなく、興奮からくるものであった。唇についた血を舐め取れば、その鉄のような味が口の中いっぱいに広がる。



「……本能とはそういうものだ。自分ではあまり気づけない」

「知るか……そんなのどうでもいい」



 立ち上がり、ノワールを睨みつける。眼前の獲物は、不敵に笑うばかり。

 血の味は、すぐに薄まっていく。好物を目の前にした犬のように、口の中に唾液が満たされていく。

――足りない

――こんな量じゃ、足りない



「君のその本能は剣奴としてはとても便利なものになるよ。もしも性的快楽に負けてしまいそうになったら武器を握れ。ただしまともな戦い方ができるとは思えないが、死ぬよりはマシだろう」

「黙れ、ノワール……」

「うん?」

「本能……しったことか……俺が求めているのは血でも戦いでもない……。お前だよ! ノワール! 薄汚い手を使って人を虐げて!! 俺のことを玩具みたいに弄びやがって!! お前の血じゃなければ満足なんかできない……!! 許さない……お前はこの手で殺さないと気がすまない!!」

「……」



 沸々と、昨夜の熱など足りなすぎるような熱い熱が体の奥底からこみ上げてくる。全身がドクドクと脈を打っている。極度の興奮状態が、殺意を煽る。



「……殺してやる……ノワール……!! 絶対に、殺してやる!!」

「……ふ、……それでいい。ラズワード」



 彼が笑った瞬間、ラズワードは駆け出した。教えてもらった魔術も全て忘れて、このナイフでノワールを切り刻みたいと、そう思った。

 その笑顔の意味など、どうでもよかった。
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