施設から買い取った奴隷は、皆、淫乱だった。エリスはラズワードを見ながら、他の奴隷たちのことを思い浮かべる。
命令がない限り自分から求めてくるということはないが、彼らの瞳はいつも情欲に塗れている。たくさんいる奴隷の中から、今日の相手に、と選んでやれば嬉しそうに発情する。施設で毎日毎日快楽を与え続けられ、その刺激を体が忘れられなくなっているのだろう。
しかし、この奴隷はどうだ。ラズワード、彼の瞳は恐ろしく冷たい。
本当にこいつ、失敗作なんじゃないか。ハルのやつ、ガラクタつかまされたんじゃねえの。
エリスはしげしげとラズワードを見ながら、ため息をついた。
「なあ、おまえさー、ホントにヤれるの? ぼーっと突っ立ているだけの穴なら、もっと安くて上質な道具買ったほうがマシだわ」
「できますよ。エリス様が望むように、どんなことでもしてみせます」
「……口ではそう言っているけどよ、だって、お前つまんなそーに俺のこと見ているじゃん。いねえよ、こんな性奴隷。もっと欲しくて欲しくてたまんないって涙浮かべながらヨダレ垂らして股間濡らして主人の命令待つもんなんだぜ、普通」
エリスは真っ直ぐに立つラズワードの横に手をついて、相変わらずの無反応を観察する。そうして距離を詰めても、ラズワードは瞬きすらすることもなくエリスをその涼しい瞳で見つめている。
「……俺は、剣奴として作られました。性奉仕だけではなく、戦術も叩き込まれています。そうした剣奴がいちいち性欲に支配されていては戦いに支障が生じるでしょう。性欲は自らの意志で抑制できるようにしなければいけませんから」
「へぇ、だからいまはそうやってなんでもないような表情うかべてるんだ?」
「……そうですね。普段はそういうことは考えていませんし」
「じゃ、今はどうなの。俺とヤるんだぜ? 性奴隷らしくいやらしいこと、おまえできるの?」
ふん、と挑発するようにエリスは言った。それでもラズワードは機嫌を損ねることもなく、つめたい表情を浮かべたままである。しかし、その恐ろしく深い蒼い瞳でチラリとエリスをみつめたかと思うと、微かに微笑んだ。
「ええ……本当は、そういうこと……大好きですから」
「……!」
「……だから」
わずか。その瞳に熱が灯った。冷たいとばかり思っていた瞳が淫靡に濡れ始め、そんな目で見つめられてエリスは思わずどきりとしてしまった。
「え、――ちょっと、」
ラズワードがするりとその細い指をエリスの手に絡めて、自らの身体にいざなう。されるがまま、エリスの手はラズワードの身体を下から上へとなぞっていく。身体のラインをエリスの手が這うごとにラズワードの頬は赤らんでいって、先ほどの表情とはまるで別人のものであった。
「……っ」
「エリス様……」
手は、いつのまにかラズワードの頬に添えられていた。ラズワードはその手のひらにスリ、と子猫のように頬を擦り付けて、そしてエリスを見つめて、囁く。
「触って……エリス様、触ってください……」
「――……」
理性の砕ける音すら聞こえなかった。気づけばエリスはラズワードに口付けていた。
今までこんなにも劣情を駆られたことがあったか。それくらいに、そのキスには欲望だけを込めて深くラズワードを貪る。何度も何度も奴隷をひどく抱いてきて、こんなにも相手を欲しいと思ったのは初めてだ。
深く、深く。熱も何もかも溶けてしまうような、激しいキス。
「……あ、……はぁ……」
息が苦しくなって解放してやれば、ラズワードはくたりとエリスに体を預けてくる。はあはあと肩で息をして、目を閉じキスの余韻に浸っているかのように。脳みそまで蕩けてしまったのかと思わせるほどに頬を紅潮させ、体のすべてをエリスに捧げているように。
「は……すげぇなおまえ……こうなっちゃうの? ハルにもみせてやれよ、流石にあいつだって今のおまえ見たらやる気だすと思うぜ?」
「……でも……ハル様は俺にそんなこと求めていないみたいですから……できません……」
「だってさ、おまえだってやっぱり主人に抱かれたほうがいいんだろ? ……それとも、こうして主人のことを想うながら違う男に抱かれたほうが興奮する?」
エリスは自分に抱きついているラズワードを引き剥がすと、壁に押し付ける。そして顎を持ち上げ挑発的に笑ってやる。
先ほど見せたハルへの忠誠心。それを煽って、情欲と理性に苦しむ顔をみたいと思ったのだ。きっと耐えようとすれば耐えようとするほどに、彼の熱は上昇する。ハルの前で涼しい顔でずっと熱を押さえ込んできて、今こうなっているのだから。……エリスはそう思った。
しかし、ラズワードの表情はエリスの思ったものとは違うものへ変化する。辛そうに涙でも浮かべてくれるものだと期待した。しかし、そうではなかった。
ラズワードは、ハ、と情欲と彼の本来持ち合わせている冷たさが混ざったような笑みを浮かべたのだ。
「……少し……エリス様のおっしゃっている意味がわかりませんね……なぜ、ハル様を想いながら貴方に抱かれることによって興奮を覚えるのでしょうか? それは愛人と秘密を共有しているときのような快楽でしょう?」
「そう言っているんだろうが。お前の本当の愛するべき男はハル、さしずめ俺は間男ってところだろ?」
「……何か、エリス様は俺に誤解を抱いていますね」
エリスの言葉をくだらないとでも言うかのようにラズワードは笑う。その欲に濡れた瞳でエリスを見つめ、顔に添えられたエリスの手に、自らの手を重ねる。ゆっくりとした仕草でエリスの手をどかすと、また、ラズワードは微笑みを浮かべる。
「……そうです、確かに俺はハル様にすべてを捧げる……そう誓っている。それこそ身も心もすべて。……でもそれだけです。忠誠心は愛とも情欲とも違う。貴方に抱かれることに背徳感を覚えるわけがない。ましてやハル様は俺が貴方に抱かれることを許可したのでしょう。何を迷えと言うんですか?」
「……お前さ、思わないの? いくらあいつにそういう感情ないとしたって、今お前は俺に全部許しているんだぞ? 後ろめたいとか全く感じないわけ?」
「……別に。俺がハル様にすべて捧げるということだって、ノワール様に命じられたことです、俺の意思じゃありません」
「……っ」
恐ろしく冷たい声だった。血の気が引いたのを感じたくらいだ。それなのに、彼の瞳は熱を求めている。
その矛盾するものが織り成すのは……更なる色香。
エリスがまずいと思ったときにはもう手遅れであった。本能に歯止めが効かない。背筋の凍るような不気味な情欲。今まで感じたことのないそれが、ひどく理性を煽る。
「……エリス様。どうなさいましたか?」
「……いや……」
「……それなら、続きを……。今の俺は貴方のものです。はやく、貴方の欲望を全部、この体に……」
ラズワードがエリスのリボンタイの端を唇で噛む。
そして、スル、とそれを解いていく。
「……ま、まて……」
ここで止めなければ……このままこいつを抱いたら……俺が、こいつに囚われる……!
エリスがなんとか絞り出した声も、届いているのかラズワードは上目遣いに笑っただけであった。今度は見せつけるようにシャツのボタンを外していく。
ラズワードを抱いてみようと思ったのは気まぐれだった。軽くその具合を確かめたら、すぐにハルに返すつもりだったのである。それなのに、このまま進めば本格的に彼を欲しいと思ってしまう。そんな予感がする。
流石にそれはだめだ。ラズワードはハルのもの。どんなにラズワードがハルに忠誠を誓っていようが、エリスがラズワードを欲するというのは、完全なるハルへの裏切りだ。
「……やめろ、ラズワード……!」
「……なぜ?」
エリスがなんとか叫べば、ラズワードは不思議そうにエリスを見上げる。
「……やっぱり、やめにしよう、……ハルに悪いだろ?」
「……元々そのつもりだったのでは?」
「……うるさい、気が変わったんだよ!」
激しく音を鳴らす心臓と、湧き上がる劣情。それになんとか逆らって、理性を奮い立たせ、エリスは叫ぶ。
ラズワードはそれを聞いて、ふう、と小さく息を吐いたかと思うとエリスから離れ壁に寄りかかる。その指にはエリスのリボンタイが絡めてあった。
「……そんなにおっしゃるのならやめましょうか?」
「ああ、そうしよう……どうしてもヤリたいってんなら奴隷かしてやる、それで解消しろ」
「はは……奴隷が奴隷で性欲を処理しろっていうのもおかしな話ですね」
くるくると指でリボンを弄ぶ。エリスはなぜかその動きに目が釘付けになっていた。
「……でも、エリス様」
「ああ?」
「……貴方がおっしゃたのですよ? 大切な人を裏切ることが……その背徳感が、快楽を覚えると。違うのですか? 今貴方の目の前には、その快楽がある……それをなぜ捨てることができるんです?」
「なんでって、理由はいっただろ、ハルに悪いからって……」
「……わからないですね」
声が冷たさを増してゆく。空気は重苦しくなっていき、エリスは呼吸をすることすらも、ラズワードの言動に左右されるようであった。
「そもそも、裏切りの意味がわからない。……それは信頼し合っている人の心を欺く行動のことです」
「そうだよ、そう言っているだろ」
「貴方はハル様と信頼関係にあるということですか? その根拠は?」
「はあ? 何年あいつと一緒に生活してると思っているんだよ……! 兄弟だぞ」
「兄弟だからといって信頼しあっているとは限らない。相手が自分を愛しているなんて、そんなことどうしてわかるのでしょうか。愛情なんてものはすべて幻想なんですよ……人に存在するのは欲望だけ、それに従っていれば人は心を満たすことができるでしょう?」
「な……おまえ何言っているんだよ……」
氷のような眼差し、その言葉。ラズワードはエリスのはだけた首元に手を伸ばす。するりと鎖骨を撫でられ、エリスは抵抗もできなかった。
「貴方が俺をどうしようと、ハル様への裏切りにはならないって言っているんです。貴方とハル様の関係なんて家族だと言うつながりそれだけ。そのほかに貴方たちを結ぶものはない。あると思っているのなら、全部妄想です」
「……おまえに何がわかるっていうんだよ、おまえのその言葉こそ妄想じゃないのか……!」
「事実です。俺は愛なんてもの、見たことがありませんから。……誰かの心にも、俺自身の心にも」
口から発した言葉は、すべて壊されていく。冷たく、重く、悲しい言葉に。エリスはあまりにもはっきりとそんな言葉を断言されて、なにも言い返せなくなってしまった。真実がわからなくなっていく。
「ねえ、エリス様。大丈夫です。貴方は裏切りなんてしません。貴方が俺をどうしようと、ハル様はショックもなにも受けませんよ。元々貴方のことなんて兄としか思っていない、血のつながりそれ以上の感情なんてないのですから」
「……いや……違、う……」
「そんなことより、本能に忠実に行動しましょう? 本能を裏切ることこそ……貴方を苦しめるんですよ」
ラズワードがエリスの鎖骨に唇を這わす。いつの間にかエリスの手は、ラズワードの背に回っていた。手が、勝手にラズワードの体を這っていく。ラズワードの唾液が体を伝っていくのを感じて、また、熱が蘇る。
鼓動がうるさい。ラズワードの言葉になにも言い返せない。だって、今、頭に浮かぶのはハルのことよりも、目の前にいるラズワードの体を貪りたいという欲だけなのだから。
欲しい。こいつが、欲しい。
「エリス様……さあ、俺を使って、貴方の本能を確かめて……」
そう、真実など――どうでもいい。
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