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 車窓の奥で景色が流れてゆく。数えるほどしか乗ったことのないレッドフォード家が所有する車は、その空気を吸うだけでもどこか緊張してしまうような高級車だった。膝元に置いた資料に目を落とし、ラズワードは初めてとなるハルの従者としての仕事を失敗だけはしないようにと意識を高めていた。どことなく固いラズワードの様子をみて、ハルは笑って話しかける。



「ラズ、緊張しなくていいんだよ。今日は俺の傍についていてくれるだけでいいんだからさ」

「……ですが、俺がなにか失敗でもすれば、ハル様の名誉が……」

「失敗するようなこともないと思うけど。大丈夫、軽い気持ちでいこう」

「……はい」



 はあ、とラズワードは重い溜息をつく。ここまで緊張しているラズワードも珍しいとハルは物珍し気に彼を見つめていたが、それも自分のことを考えてのことだと思うと茶化すこともできなかった。手でも握ってあげようかなあ、なんてハルが思ったとき、ラズワードが自ら口を開く。



「……ハル様。俺、言っておかなければいけないことがあるんですけど」

「……ん、ああ……それは着いてからでいいよ」

「……あの、」



 ラズワードはぎゅっと唇を噛んで俯いた。その視線の先にあるのは、今朝ハルから渡された資料の束。イヴについての調査内容が記されたものである。

 昨夜ハルがやたらと疲れていたのは、イヴに殺害されたウィルフレッドの司法解剖その他調査が原因だった。ラズワードとの決闘の際に彼はイヴと何らかの関わりがあることが判明したため、翌日彼にイヴについての尋問をする予定であった。しかし、判断を誤りレイヴァース家へ彼をかえしてしまった。もしもレッドフォード家に拘束しておけばこのような事態を招くこともなかっただろうと、ハルはウィルフレッドの死因の究明を急ぐこととなったのだ。



「……俺、自分の剣の腕には自信があります。ハル様を守るための力は持っていると、そう思います。……でも」

「……」

「……もしも、イヴが貴方の命を狙ったならば、俺はアイツから貴方を守り抜くことができるか……不安で仕方ないのです」



 ハルがイヴの調査をしているのだと知ったとき、ラズワードは言わなくてはいけないと思った。自分がイヴと関わりを持っているということを。そして、一瞬だけ感じ取ってしまった、イヴの中にある得体の知れないモノのことも。本人の過剰な反応をみるところ、あれはイヴという男を形成する重要な要素なのだろう。あれが一体なんなのかラズワードにはわかりかねるが、ハルの調査の手がかりとなるのならばできる限りの情報提供はしなければいけないと、そう思っていた。

 そして、イヴについてはラズワード自身も知っておきたかった。あのとき、手も足もでなかったのだ。もしハルが命を狙われるような事態に陥ったりでもすれば、ハルを守ることなどできないだろう。少しでも情報を集めておきたいのだ。



「……俺は、こうして大きな魔力を持って生まれてきたのは、大切な人の幸せを守るためなのだと、そう思っています。だから、俺は貴方を守らなければいけない。……それが俺の生きる意味なんです」

「……ねえ、」

「はい?」

「……いや、なんでもないや」



 ふっとハルは笑って、そしてそっとラズワードの手を握ってやった。ラズワードははっとしたような表情をしていたが、やがて柔らかな笑みを浮かべる。

 そこからはハルは黙っていた。「ラズワードは自分の幸せはいらないの?」なぜかその言葉はでてこなかった。出会った時から彼に対して感じていた違和感を、今ここで問い詰める気分にはなれなかったから。そうだ、出会った頃も言っていた、『もしも貴方に拒絶されたのなら、俺は生きている意味がなくなります』。まるで自分自身のことなどどうでもいいと言わんばかりのこの言葉。その頃はただ単に調教された奴隷だから言っているのだと無理やり納得したものの、こうして自分の意思でハルと恋人になった今でも、同じようなことを言っている。



「ラズ」

「なんでしょう?」

「大切な人が自分の傍にいて、そして笑っていてくれることは、ラズにとって嬉しいこと?」

「……はい。ハル様、俺は今すごく、幸せですよ」

「……そっか」



 笑うラズワードをみて、少しほっとする。



「……俺もね、同じなんだよ」

「?」

「ラズが笑っていてくれたら、俺も幸せなの」



 そもそも、普通の人と幸せの定義がずれているのかもしれない。彼の幸せには、いつだってその大切な人の幸せが前提にある。それはあたりまえのようで、どこかおかしいような気がしたが、ハルにそれははっきりとはわからない。

 でも、自分が彼にできることはなんだろうとそう思うと、ハルは衝動的にラズワードの肩を引いて抱き寄せた。ラズワードはきょとんとした顔をしていたが、やがて目を閉じ、ゆっくりとハルの体に寄り掛かった。

 バックミラー越しに、運転手と目が合う。ハルは照れたように少しだけ笑うと、ラズワードにキスを落とした。
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