3

「これからハル様に案内させていただく奴隷はファイルには載っていないもので……直接見ていただくことになります」

「はあ……」



 扉の奥は、恐ろしく広い空間が広がっていた。そして、おびただしい数の奴隷。鉄格子がびっしりと並び、その中に奴隷と思われる人たちが蠢いている。ノワールはそんな奴隷たちを気にもとめずに前に進んでいくが、ハルはそうもいかない。初めて見る奴隷市場というものに、あっけにとられていた。

 これだけの数がいるのに、シンと静まり返った奴隷市場。誰ひとり、口を開かない。ここにいる全ての奴隷が、調教済だという証明だろう。ハルは吐き気をこらえるのに精一杯であった。



「ハル様は、奴隷を買ったことはありますか?」

「……いや」

「そうですか。初めてなんですね。でも、今回のは少々変わった奴隷なので驚かれると思いますよ」

「……変わった……?」

「ええ」



 奥へ奥へ、進んでいく。曲がり角を曲がり、階段を上り、ひとつ大きな扉の前にたどり着く。ノワールはその扉の鍵を開けながら、振り返った。



「意思を持っています」

「……意志? 普通の奴隷は、もっていないんでしたっけ?」

「ええ。普通、私たちは奴隷の自我を徹底的に破壊するように努めるのですが……今回は趣旨を変えてみました。あなたのものになるのです、それではいけないと思いまして」

「はあ、意思をもった奴隷ですか……」

「安心してください。反抗するということはないと思います」



 ギ、と大きな音を立てて扉が開かれる。そこにはまた、鉄格子が並んでいる。ハルはその光景に辟易したが、ふと、ノワールの言葉にひっかかりを感じて尋ねた。



「……俺のものになるって……俺が奴隷を買いに来るってこと知っていたってことですか……?」

「ええ、あなたが近々奴隷を買いにこちらへいらっしゃるだろうということは、我々のあいだで話題にあがっていました。レッドフォードにはご贔屓にあずかっていますから、ハル様にも満足した商品を届けなければいけないと、あなたに合う奴隷を作りました」

「作るって……」

「ソレ用の調教をしたということです」



 ノワールが立ち止まる。彼の発した言葉に些か不快感を覚えていたハルは、その心情を読まれたのかと思って、ドキリとした。しかしどうやらそれは杞憂だったらしい。



「こちらです。今回紹介する奴隷、Z198476、ラズワードでございます」



 ノワールはひとつの鉄格子の扉を開ける。この部屋の牢は、他の牢とは少し雰囲気が違っていた。一つの牢に一人の奴隷。簡素ながらもベッドがある。一つの牢にぎっちりと何人も詰め込まれていた他の牢とは、明らかに違う。

 どうやらラズワードと呼ばれた奴隷はそのベッドの中で眠っているようで、ハルからは顔が見えない。ノワールは牢の中へ入っていくと、膨らんだ布団をめくり、でてきた肩をトントンと軽く叩く。



「起きて。ハル様がお見えになったよ」



 ノワールの体が調度ハルの死角となり、やはりラズワードの顔はよく見えなかった。しかし、ノワールの声に眠りから覚めたのだということは、もぞ、と布団が動いたことによって確認出来る。



「……」

「ハル様、どうぞ、こちらへ」



 彼が布団から起き上がったところで、ハルは牢の中へ呼ばれた。一瞬戸惑ったが、ハルはそれに従うことにした。



「……!」



 近づいて、始めて彼の顔を見ることができた。

 透き通るような白い肌。さらさらとした茶髪の髪。スラリとした体。
 
 男相手に美しいだと思ったのは始めてだった。気づけばハルはぽかんと口を開けてしまっていた。



「どうでしょう? ハル様」

「え……あ、ああ……」



 ノワールに声をかけられて、ハルはハッとする。思わず見とれてしまっていたが、大事なのは容姿ではないのだと、思い出す。



「あの……随分と綺麗だと思いますけど……俺、少し戦えるような……奴隷がいいって思っていまして……いや、ここにいる……奴隷にそれを求めるべきではないてっていうのは知っているんですけど……」

「ええ、その点についてはご心配なく。まずはこれをご覧になってください」



 ハルの言葉に驚くというわけでもなく、ノワールは淡々と言う。ノワールはラズワードの顎をクイ、と持ち、ハルに顔が見えるように上を向かせた。



「魔族の瞳の色の濃さは、魔力の強さにほぼ比例すると言われています。どうでしょう、彼の瞳の色は。なかなか見られない色だとは思いませんか?」

「……え、この色……」

「すごいでしょう? 水の天使は水色の瞳を持つと言われていますが、彼の場合、魔力が強すぎて色が黒に近い青なんです」



 ノワールにまるで人形のように扱われている彼に違和感を持つ前に、ハルは素直にその瞳の色に感嘆してしまう。それほどに、彼の瞳の色は珍しいものであった。




「それから、彼はこう見えて戦闘の心得もしっかり持っています。水魔術のすべて、武器の扱い……そこらへんのハンターよりもずっと腕がたつと思いますよ」

「……元からそうだったんですか? ここで調……教えてもらったんではなくて?」

「彼はここに来る前はバガボンドに入っていました。元々戦うということには慣れていたようです。……とはいっても、それでは足りませんからね。ここで調教しましたよ。私が戦闘術については全部手ほどきしました」

「……ここの……奴隷は皆戦い方を教えてもらうんですか?」

「いいえ。ほとんどの奴隷は性奴として調教されます。彼は特別です。……言ったでしょう? 貴方用に、調教したと」



 奴隷だの調教だのという言葉を言いたくなくてハルは避けているというのに、ノワールはさらりとその言葉を言ってしまう。ハルは表情には出さなかったものの、ノワールに対して嫌悪感を抱き始めていた。元々の人間性を破壊して売り物に育て上げるなんてことを、平然とやってのけること。そしてそれを当然だと思っていること。話には聞いていたが、実際にこうしてノワールと話してみてハルは思う。

 この男は、外道だ、と。



「……いかがなさいますか?」

「……おまえはどう思うんだ」

「?」

「ラズワードに聞いているんです。ラズワード、おまえは俺に売られることを、どう思っているんだ」



 たぶん、このままノワールと話し続けても苛立ちだけが募っていくだけだろう。だから、というわけでもないが、ハルはラズワードへ話しかける。どうせほかの奴隷と同じように虚ろな眼差しを向けられるのだろうと、あまり期待していたわけではなかったが。
 
 しかし、その期待は大きく裏切られる。ラズワードは微かに首を動かし、その蒼い瞳でしっかりとハルをとらえたのだ。先ほど、見世物とされた瞳と同じとは思えない、座った目をしていた。



「……貴方のお役に立てるのであれば、喜ばしく思います」

「……」



 ただ、返ってきた言葉は、あまり嬉しくないものであった。ありがちな言葉すぎて、彼の意志を感じなかったからだ。しかし、落胆したハルに向かって、ラズワードは言葉を続ける。



「俺は、貴方のために作られたのです。貴方のモノになるために、俺は存在しています」

「……へ?」

「もしも貴方に拒絶されたのなら、俺は生きている意味がなくなります」



 え、何言ってんの。

 うっかり口にしそうになった言葉をハルは飲み込んだ。それほどに、彼の言葉はわけがわからなかった。

 もちろん、言っている意味はわかるが。自分の意志を持っているにしては、自己を捨てすぎていて。心を奴隷に堕とされたにしては、はっきりとした意志が込められている。自分の理解を超えた事に、ハルは言葉を発することができなくなってしまった。

 自分から質問したからには、彼の答えに対して何か言わなければいけない。しかし、ハルの頭は飽和状態になっていた。なにも言葉が浮かばない。

 そんな風にハルが迷っていると、ラズワードが立ち上がる。そして、ハルに近づき、立ち止まった。


 
「ハル様」

「……はい?」



 意思を持っている。ノワールが言った言葉を思い出すたしかに、これは普通の奴隷とは違う。はっきりとした、意思を持っている。

 強く深い蒼の瞳は、確かに人のもつものだ。虚ろな奴隷の瞳とは違って、吸い込まれそうになる。目が、離せない。



「俺を買っていただけませんか」



 その瞳を持つ彼から発せられるには、あまりにも違和感がある言葉。しかし、ハルの頭に浮かんだ言葉は一つ。その違和感に対する罵倒でも批判でも嫌悪でもなく。



「……わかった」



 ラズワードに引きずられるように、承諾の言葉を発することしかできなかった。




「……それでは、契約は成立ということで、よろしいですか?」



 ノワールがすい、とラズワードの脇に立った。ハルはノワールを完全に意識の外に追いやっていたため、びくりと反応してしまう。



「……はい、彼を……買い、ます」

「ありがとうございます」



 恭しくノワールは頭を下げる。ハルは彼のその仕草にすらもイラッとしてしまった。



(こいつ本当にラズワードのこと商品としか思っていないんだな)



 きっと、こんな奴に調教なんてされたから、ラズワードはおかしな考えを持つようになってしまったんだ。自ら奴隷にして欲しいなどと言うくらいに。自分の存在価値がわからなくなってしまうくらいに。

 次々と浮かぶ憤怒に近い感情。不快だ。余計な感情を抱くことは不快なはずなのに、とまらない。



「じゃあ、俺、こいつ買うんで。もういいでしょう。会計は外ですか?」



 これ以上ここにいたら、どうにかなってしまう。溢れる感情をどう処理したらよいのかわからない。焦りに近いものを感じたハルは、ラズワードの手を掴み、早足で牢を出ようとした。
 


「ああ、待ってください。送っていきますよ」

「……結構です」

「そうですか? では入口のところの販売員に会計をしていってくださいね」

「……はい、今日はありがとうございました」



 何かイヤミでも吐き捨てていこうかと思ったが、流石にそれは理性で押さえつけた。ひきつる口元をどうにか笑顔に変えて、ノワールを顧みる。



「……!」



 とその時、ハルは視界にはいったラズワードを見て、息を飲んだ。

 ラズワードが、何か言いたげにノワールのことを見ていたのだ。じっとみつめるわけでもなく、チラリと遠慮しがちに。その目に映る感情を、ハルは読み取ることができなかった。

 憎悪?いや違う。解放される喜び?いや違う。

 わからない。

 しかし、なぜかそんな彼を見ていると、チリ、と何かが焦げ付くような錯覚を覚える。



「ラズワード」

「……っ」



 ノワールが、彼の名を呼ぶ。そうすると、ラズワードがピクリと反応したのが、掴んだ手から伝わってくる。

 ラズワードは今度はしっかりとノワールを見た。その唇は震え、瞳は揺れている。ノワールの言葉を待っている。



「……ハル様に、精一杯尽くすんだよ」

「……はい……」



 ノワールの言葉に応えた声は、かすれていた。きゅ、と眉をひそめ、唇を噛んでいる。

 どういうことだ。これじゃあまるで……



「ハル様」

「え」



 呆気にとられていると、急にぐい、と体を引っ張られ、ハルはバランスを崩しそうになる。

 

「いきましょう」

「え、ちょっと……!」



 ハッと我に返れば、ラズワードがハルの手を引いているのだった。ラズワードはそのまま牢をでていこうとする。今一瞬見せた……悲しげな様子は嘘のように、その背に迷いはない。




「……ラズワード」

「はい、なんでしょう」

「おまえは、アイツをどう思っているんだ?」

「……あいつとは?」

「ノワールだよ、あの奴隷商」

「……なぜ?」

「……なぜって……」



 ハルとしては、周りの奴隷たちを意識から払拭するために適当な話題を選んだわけであって、なぜと聞かれてしまっても困ってしまう。あえて言うならば、真っ先に頭に浮かんだのが、ノワールのことだったから、というだけだ。彼は先程まで凄まじい不快感でハルの心を満たしていたのだから、仕方のないことでもある。



「だってラズワード、おまえはなんかアイツのことそんなに恨んでいるって感じでもなかったから……いや、それもアイツの調教のうちなのかもしれないけど」

「……そうみえましたか」

「ああ、よくわからないよ。あの外道のことなんて俺はどうしても受け入れる気にはならない。人を人と思わないで自分達の利益のためだけにえげつないことをやって……なんであんなヤツがこの世の頂点なんかに立っているんだ。そのせいで、何人の人が苦しんでいると思っている」

「……」



 自分でも驚く程に、ノワールへの罵詈雑言が口から流れてくる。こんなに苛立ちを感じたことはほとんどなかった。だから、この不快感を解消する術がわからなくて、こうして言葉として発してしまうのかもしれない。



「……ハル様」

「……何」

「……どうか、怒りをお収めください」



 そんなハルを、ラズワードが静かに制した。その表情は、さっきのノワールとの別れ際と同じだった。なぜかそれにまた、ハルは不快感を覚える。



「……おまえはどうして……あいつのことをそんな目でみたんだ……殺したいって思わないのか! 自分を虐げたヤツだぞ、この世の苦しみの元凶だぞ! ……じゃあいい、俺が殺してやる……いつか、あいつをこの手で殺してやる!」

「……ハル様……!」

「それでいいだろう! それでおまえも目が覚める! いい加減おまえがあの男に抱いている感情は幻想だって気づけ!」

「……違う!!」



 ラズワードが叫んだ。彼はずっと静かに丁寧な言葉を話していたものだから、ハルは驚いてしまった。それと同時に、自分が変に興奮してしまってとんでもないことを口にしていたことに気づく。



「俺は……あなたにノワール様を殺してほしくない……、だから怒るなっていったんです」

「……だから、なんで……どうしてそんなにあいつを庇うんだよ……そういう風に、刷り込まれたん」

「違うっていってんだろ!!」



 耳を劈くような声が響く。その怒声に、今度こそハルは黙り込んだ。こんなにも彼が感情を高ぶらせるとは考えてもいなかったので、びっくりしてしまったのかもしれない。予想しなかった展開に、ハルはただただ呆然としていた。

 流石にもう自分からノワールについて何かを言おうとは思わない。ハルはラズワードの様子を伺う。ラズワードは唇を噛み、拳に力を込め、何かを抑えているようだった。やがて、ゆっくりと息を吐き、ハルを見つめる。



「……俺が、あなたにノワール様を殺して欲しくないのは……」

「……ああ」



 ラズワードも落ち着いてきたようである。お互いが激昂したあとに残る、静かな空気。ハルはただラズワードの言葉を待つことしかできなかった。彼の呼吸すらも聞こえてきそうな静けさに、息が詰まりそうであった。




「あの人を殺すのは、俺だからです」

「……は?」


 

 ……殺す?ノワールに好意のようなものを持っていたとかじゃなくて?

 ラズワードの口からでた言葉をハルはすぐに理解できずに、フリーズしてしまった。てっきり彼はノワールを殺されるのが嫌で、その口からでてくるのはノワールの賛美の言葉だとばかり思っていたから、ハルはわけがわからなくなった。

 どう考えても、あの表情は殺意から生まれるものなんかではない。むしろあれは、親しい人……いや、愛しい人との別れを悲しむ時の表情だ。

 あまりにも、食い違っている。彼は愛情と殺意がわからなくなってしまう程におかしくなったのか?いや、それにしては、彼の表情は凛としていて意思をはっきりと持っている。



「……なあ、ラズワード」

「……ハル様、申し訳ございません。とんでもない暴言を……」

「いや、そうじゃなくて」



 いや、これは聞いてもいいものなのか?そもそも、聞いてどうする?

 モヤモヤをスッキリさせたいという知的好奇心のようなものでラズワードに問い詰めようとしてしまったが、ハルはその意味を思案する。

 ハルはめんどくさがりだ。

 人とは常に一定の距離をとり。余計な感情を抱かないように、あまり考え事をしない。

 それなのに。

 おかしい。今日の自分は、どこかおかしい。ハルは、この今日という日の自分を振り返り、いつもとはあまりに違う自分に恐れを感じた。

 ノワールという男に怒りを覚え。その彼に意味深な眼差しを向けるラズワードを見て焦燥感に駆られ。そしてノワールに自分には理解できない感情を抱くラズワードについて追求しようとする。

 やめろ、こんなくだらないことを考えるんじゃない。こんなの、俺じゃない。



「……ハル様?」

「……!」



 小さな声が聞こえ、ハと我に返れば心配そうにラズワードが見つめていた。その、深く吸い込まれそうな瞳で。



「……あの、本当にすみませんでした……わけわからなくなって、あんな言葉を……」

「いや、いいよ……」



 そうだ、こいつだ。彼を見てからおかしくなったんだ。

 ノワールにあんなに怒りを覚えたのも、いや、確かに初めから彼には多少の不快感は感じていたが、彼がラズワードを侮辱するような扱いをしたことが引き金となっている。全部、この感情をかき乱したのは、こいつだ。

 いけない。



――この瞳を見つめてはいけない



「……いこう」

「あ、……ハル様!」



 これ以上視界にラズワードを入れていたら、今度こそ狂ってしまう。自分が自分でなくなってしまうのではないか、そんな恐怖に駆られたハルは、ラズワードを抜き去り、歩を進めた。早足で歩き、後ろから焦ったように自分を追いかける音が聞こえてきてもそのスピードは緩めない。

 名のわからない感情が。凄まじい不快感が。胸の中に蠢く。疼き、叫び、藻掻き、心を犯してゆく。



――やめろ



――俺は……!!




 光が見えてきた。出口だ。

 意識が出口の光に向いたからだろうか。ほんの少しだけ、心が晴れたような気がした。

 立ち止まれば、追いついたラズワードが横に立つ。ハルはそれに気づいたが、極力彼を視界に入れないようにした。

 チリチリと、心が焦げてゆく。

 この感情の名を知らない。この焦燥が……不快だ。




「でよう」

「……はい」



 壊れていく。心が、自分が、世界が。
 
 なぜ、だろう。ずっと、楽に生きていくと決めたのに。作り上げてきた自分の世界が、ガラガラと音を立てて、壊れていく。

 それは怖くて、痛くて、苦しい。知っていた。だから嫌だったんだ。

 ああ、でもこれは知らなかった。色がある。世界には色がある。

 ひび割れて壊れた世界の後ろには、また新しい世界が広がっていた。ガランと音を立てて落ちてきた世界の破片は、白黒だ。そう、今までの世界に色はなかった。でも、どうだ。新しい世界は。色がついている。

 古い世界は全ては壊れてはいない。真ん中だけに穴があいて、そこから新しい世界がチラリと見えるだけだ。その穴から、見えるのだ。新しい世界が。始めての、色が。

 その色は。

 まるで、美しい空のような。

 青だった。


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