(時間軸2年前/アルトがミンク族のスーロンについて知っている前提です)



 
「──……アルト!」

 突然はっきりと耳元で響いた自分の名前に、反射的に瞼が持ち上がった。

「……、……?」

 直ぐには状況が掴めず、少し混乱する。
 息は乱れていないが鼓動が速く、真上にベポの顔があり、目が合うと下向き加減になっていた耳が動いた。意識の浮上と共にゆっくり五感も冴えてきてベポに抱え込まれているのだと気付く。
 不自然に右腕が横へ伸びている感覚に顔を傾けると、袖が捲られ、椅子に腰掛けたローが手首を握っていた。その背後に在る本棚で此処が船長室である事も判る。

「……やっぱり魘されてただけだな。脈は落ち着いた」

 手を離したローの言葉に、その両脇から顔を覗かせていたペンギンとシャチが大きく息を吐く。

「焦ったァ〜……! アルトお前、唸ってたぜ。ベポが気付いて此処に運んできたんだ」
「怖い夢でも見たか? 船長が一応能力で診てくれたが、何処か気になる所ないか?」
「……ううん、大丈夫…」

 眠って起きたら何やら大事になっていた。
 今夜は満月なのでベポを独りにしないよう窓が無い部屋で一緒に寝ていたのだが、夢見は自分でコントロール出来ないとは言え、要らぬ心配をかけてしまった。
 俺を抱き抱えている腕に触れて「ごめんね」と伝えると首を横に振ってくれる。丸い耳が更に幾らか持ち上がった。

「ちょっと、嫌な夢見ちゃった。唸ってたとは思わなかったけど……」
「どんなの見ちまったんだ?」
「昔の事」

 ローとペンギンが、磨いたばかりの甲板に洗剤を落とした犯人を見るような眼差しでシャチを見る。

「いやいやいや今の予想すんのムリでしょオ!? えっ、あーアレだ、もうこの際話してスッキリするか!?」
「お前の頭髪をスッキリさせてやろうか」
「イヤァアアア日焼けしたら帽子被ってたとこだけ色違っちゃうーーー!!」
「心配するの其処? 別に話すのは良いけど……失敗談みたいなものだから」

 鋏片手ににじり寄るペンギンと壁際に張り付くシャチが揃って振り向いた。この二人日頃からよく動きが揃うの地味に凄いなと思いつつ、ベポのふかふかとした毛を手慰みに撫でさせて貰う。

「え……オッケーなのか?」
「? うん。多分、自分のミスが元になった出来事だから未だに覚えてるんだろうし……皆だって今まで色々トラブルとか苦労とかあっただろ。話聞いて、まあそういう事もあるよなーって言って貰えたら気にしなくなるかも」
「……お前がそう思うんなら、耳を貸す分には構わねェが」

 ローの言葉で二人が戻ってきた。ペンギンは何故か鋏を手放さない。

 俺が夢に見たのはハンターライセンスを獲得して間もない頃の、ちょっとした失敗の記憶だ。
 もう三年ほど前の事なので細部は異なるだろうが、ほぼ当時の再現で、おまけに夢の中では俺の意識も十七歳のものだった。魘されてしまったというのも頷けはする。

 唇を開きかけ────ある事に気が付いて止まる。
 この話、地名も植物も動物も元の世界のものなので、固有名詞を口に出せない。かなりざっくりとした内容になるが、あくまで夢の中身を語るのであれば所々を誤魔化したり端折っても突っ込まれはしないだろう。

「俺、その時仕事の途中で血まみれになっちゃったんだけど」

 俺以外の全員が真顔になった。スイッチを切られたようにいきなり表情が抜けて怖い。そして今のは俺の表現が紛らわしかった。

「あ、俺の血じゃないよ」

 ペンギンとシャチがライチを食べていたらうっかり種も齧ったみたいな顔をした。

 ライセンスが無いと入れない保護区指定の自然公園で、密猟者に怪我をさせられた体毛が紅く艷めくイタチ科の獣の手当てを見学した際、麻酔を打つ前に全長二メートルの獣が暴れて血が辺りに飛び散った。見学に誘ってくれた先輩ハンターは「汚れても良い服装で来い」と言ってくれてはいたが、これは想定外だったようで誰も予備の着替えなどはなく、一人が一旦街へ服を買いに抜けた。
 その間に肉食、吸血といった生態を備えた動植物が居るエリアは避け、果物や木の実の採取に移った。

「好きな木の実が成ってるの見つけて、採ろうと近付いたら……あー…勝手な事するな、って怒らせちゃって」

 甘い果汁がたっぷり詰まっていて噛むと口の中で弾ける、味はザクロに近くて見た目は葡萄のような果物があるのだが、俺が近付いた樹にはそれを好む鳥が巣を作っていた。名前や外見を説明して「そんな鳥聞いた事が無いどの島だ」と深掘りされても困る為、その辺は省く。
 あれは事前に樹をよく観察し、幹に近い位置の葉が不揃いに噛みちぎられている外見から、新鮮な葉が巣作りに利用されている事を察していれば防げた事態だった。単に俺の観察力と注意不足である。

「騒がれて仲間呼ばれて」
「……呼ばれて?」

 大音量で鳴いて敵を威嚇する習性、且つ群れで生活する鳥だった所為で、他の巣からも仲間が飛んできてしまった。

「囲まれそうになったから逃げようとしたんだけど、地面の穴に落とされちゃって」

 彼等にそこまでの知能は無かった筈だが、結果的に羽を広げて襲いかかってきた一匹が目くらましの役割を果たし、横から頭を目掛けてきた別の個体の体当たりをまともに喰らって、地中で生活する兎が作った穴に足を滑らせて落ちた。

 シャチが無言でしゃがみこんだようで視界から消えた。立っているのが疲れたのだろうか。

「まあ幸いそんな深い穴じゃなかったから、壁に窪み作って登れば良いやって思ったんだけど」

 その兎は総じて警戒心が強いながら仲間に対しては穏やかな気質で、鳥類に襲われないよう三メートル前後の穴を掘る習性があるだけで、俺が巣穴に入ってしまったからと言って襲われる心配はなかった。
 兎達は脚力が凄いので登る時は壁をジグザグに蹴って上がるし、足の裏の肉球と関節の柔らかさが衝撃を和らげるので飛び降りても平気、という種類だった。思い返すと個性的な種だ。

「蛇入ってきてさ。あ、ヤベ、俺血まみれじゃんって思って」

 ペンギンが消えた。俺は船長室に来ても結構寛いでしまうので、いつもきちんと線引きをするように立ち続ける二人は偉いなと改めて思う。

 それにしても、兎の天敵の蛇が降ってきた時に俺が上げた絶叫は過去一、二を争う声量だったのではないだろうか。
 結果的に大声を出した事で先輩ハンターが異変に気付いて探しに来てくれたのだが、両生類と爬虫類が苦手なのに狭い縦穴で逃げ場が無くて、蛇と目は合うし向こうは血の匂いに反応して距離を詰めてくるしで最悪だった。半泣きだった気もする。

「"いざって時"の為にナイフは持ってたんだけど、こんなとこで使いたくないなって鞘から抜けなくて」

 自然公園で採取した飲食用の動植物は、規定の重さまでなら持ち帰る事が出来た。
 けれども中には熟れ具合などによって運搬が不安になる物もあるだろうと、その場で食べる為に小型のナイフも何種類か持ち込んだが、蛇を切るのは嫌悪感が先立った。念を覚えていなくて精神的にもひよっ子だったのだ。

「結局血の染み込んだ上着を蛇に被せて、その隙にどうにか脱出……」
「分かった、もういい。寝ろ」
「え? あ、うん。今のでもう話終わりだし、脱出した後オチは特に無い」
「あって堪るか」

 大きくて長い溜め息を吐き出したローは、曲げた指の関節で自分の眉間をぐりぐりと揉んでいる。
 そういえば就寝中の俺をベポが運んでくれたのだから、今は深夜か夜明け前の筈だ。三人は用事があって起きていたのだろうし、途中で割り込んで悪い事をしてしまった。

「心配かけてごめん、皆ありがとう。ロー、それにペンギンさんとシャチも、疲れてるなら回復するから手……」
「お前が今すぐたっぷりぐっすり安眠しろやァ! アロマ焚いてローソクの火揺らして適度な暗さで子守唄奏でるぞコラァ!!」
「何にキレてんの!?」
「ちょっと、ホットミルク淹れてくるな。蜂蜜、たっぷりに、しような」
「えっ、ペンギンさん……え、何、なんか……顔のパーツ、口しか動いてな……?」
「アルト〜〜〜……!」
「あああちょっとベポ力強っ、待、ごめん埋もれるギブ」
「…………」
「何で!? 何で鬼哭抜いてんのロー!? シューッて言った、今絶対刀抜くシューッて音した」
「手入れだ」
「今!?」



▼ ▼ ▼

この後皆でベポの居た部屋に戻って、アルトを真ん中にしてぎゅうぎゅうになって寝た(ローも付き合ってくれた)
2022.01.08

 
back

- ナノ -