パンクハザードの地において、天候に変化が表れる事はそう無い。
 頭上の空を一定の範囲だけ覆う分厚い重たげな雲に切れ目は入らず、外壁から地面へ向けて熱された蒸気を吐き出し続ける研究所の周囲以外の土地には雪が積もる一方だ。幸い足が容易く沈んでしまうような柔い雪ではない為、踏み固めつつ進めば転倒する事は少ない。

 身体を環境に慣らし、万が一を想定して雪原戦でも遅れを取らないよう動きをシュミレートしてアルトと組み手を繰り返しながら、この島を崩壊させるに至る最初の一歩を何時踏み出すかと機を窺う毎日。
 いざシーザーの誘拐を実行した際に反撃に遭おうとも此方が圧倒的不利にはならないように出来る範囲での細工を進める内、気付けば年越しの日が目前まで迫っていると知ったのは、アルトが持って来た新聞の日付を見てからだった。

「ロー、俺これ食べたい」

 パンクハザードを蹂躙する炎と氷の影響が島内に留まらず近場の海面にまで及んでいる所為で、辺り一帯の気温が灼熱と極寒で極端に二分されているこの海域には、ニュース・クーは飛来しない。故に貨物船を使って仕入れる新聞が手元に届くのが夕方になる時もしばしばある。
 もうすぐ十七時になろうかという頃に新聞片手に部屋へ帰って来たアルトは着替えもそこそこに俺が使う側のベッドまで歩み寄り、読んでいた本の上に四つ折り状態のそれを被せてきた。

「…"おしるこ"? 聞いた事ねェな」
「多分だけどワノ国の料理だと思う。今年の始め、鬼灯妓楼って泊まったの覚えてる? あそこで"ぜんざい"っていうの食べたんだけど、それも此処に書いてある原材料の小豆って豆を甘く煮た中に、白くてもちもちした練り物入ってたから、味はかなり近いんじゃないかなって。あれ美味しかったんだよな……ワノ国直伝の甘味だってアマネさん言ってたし…」
「食いてェのは分かったが、この"小豆"と"餅"っつうのが無けりゃどうしようもねェんじゃねェのか」

 二面の一角に、新年を祝う際に食される各国の伝統の品を写した写真が簡単な紹介と共に掲載されていた。
 外海との交流を拒む閉鎖的な国家として有名なワノ国の料理がどうして取り上げられたのか詳しいところは判る筈も無いが、人の口に戸は立てられないという事だろう。

 「小豆(AZUKI)を砂糖などで甘く煮込み、粒も残らぬ汁状に仕上げた中に餅(MOTI)を入れた料理」としか書かれていない文面は、レシピと呼ぶにはあまりに情報が足りない。
 本当に材料が小豆、砂糖、餅の三つだけで済むなら調達に関しては宛てさえあれば意外と簡単かもしれないが、"餅"とやらをどういった風に小豆汁の中へ混入するのか詳しい記載が無ければアルトとて調理失敗も有り得るのではないだろうか。ただ混ぜて終わるならこんな楽な料理もそう無いが。

「それが! この新聞の配布に併せて材料の需要高まるだろうからって、今週は近くの島の穀物屋は軒並み在庫揃えてるんだって! だから今日中に貨物船に運搬依頼すれば両方ゲット出来る可能性高いんだ!」
「誰から聞いたんだそんな事」
「シーザーを五分ぐらい適当に褒めてから調査以来したら何処かに電伝虫繋いで調べてくれた! あいつのパイプ馬鹿に出来ない」

 普段は縁の無い異国の甘味を手作りで再現するチャンスとあってか、アルトのテンションが此処最近で一番高い。若干埃が舞うのもお構い無しに手袋をした儘の両手で人のベッドをばふばふと音を立てて叩きながら力説してくる。
 パンクハザード上陸後は以前までのように自ら市場へ出向いて食材を吟味する事も叶わず、限られた食料で献立を考える日々の繰り返しなだけに、馴染みの無い料理に手を出す事がアルトには一種の娯楽と化しているのかもしれない。

 俺と違い外面をある程度繕えるアルトは、童顔気味の容姿と必要ならば敬語の使える物腰が相俟ってかシーザーからそこまでは警戒されていないらしく、奴をおだてると八割方は真に受けるのだとアルトから聞いてもいたが、多少の雑用をさせられるレベルまでこいつの世辞は上達したようだ。アルトが俺の命を受けて敵を蹴散らすだけの従順な思考停止型だとシーザーが誤解していれば尚良い。

 しかし今の話を聞く限り、材料の調達もシーザーを調子に乗らせて入荷を手配させればそれで済むように思える。態々俺に"おしるこ"が食べたいと言わずとも、アルトが偶に自分の為に好きな物を作る事を咎める気など毛程も無い。
 改めて視線を合わせて無言で話は終わりかと問うと、察したアルトの目付きが頼み事をする時のものに変わった。

「…で、ね? 餅も小豆もさ、幾つかの島を経由してこの辺の国に卸されてるから、搬送費用が少なからず値段に含まれてて……ちょっとリッチな買い物になっちゃうんだって。十キロ単位で纏め買いするなら店側も多少はまけてくれるだろうけど、シーザーもモネさんも興味無いみたいだから大口の注文は見込めないし、自分達だけで食べるんなら今回は金出してくれって…」
「…つまり?」
「……か、買って…欲しい…」
「…………」
「買って! お願い! ローも食べられる甘さの味にするから! 小豆の良さ分かって貰えるように敢えて粒の食感が程好く残る程度に煮込む練習するから! 餅の調理方法も一番合う奴見つけるから!」
「試作重ねる事前提じゃねェか」

 稀に我が儘を言ったかと思えば相変わらず食に関する事とは、アルトの興味が向く先は月日を経てもぶれる気配すら無い。だが珍しい食材を買い与えてやれば何処か遠慮の覗く顔で礼を述べていた頃に比べれば、こうして自分から何かを強請れるようになっただけある種の成長だろう。
 畳まれた新聞をアルトの頭へ乗せつつベッドを降り、枕元に在る現金が入った布袋を保管している木箱に手を伸ばした。



 
- ナノ -