「しょっぱい」

 白身魚のカルパッチョを咀嚼したアルトの眉間へ浅い皺が生まれる。料理の味つけには国柄が表れるから、とこいつが外食の際に食事に不満を漏らす事は少ないのだが、珍しく表情を歪めた。

 次に人参、パプリカ、アスパラが混ぜ込まれた彩り鮮やかな挽き肉のパテへフォークの先を沈め、一口大に切ったそれを口へと運んだアルトが、やはり全く美味しそうには見えない顔で皿と銀食器を手に小首を傾げる。

「……しょっぱい。魚は仕上げの塩が多いんだろうけどオリーブオイルとハーブもあったからまだマシ。でもこっちは下味つけ過ぎだな…。別に不味いとまでは思わないんだけどさ……」
「少ねェ費用で済ませたいんだろ。味の濃い食いモンばかり並べて、水割りのドリンクを何杯も飲ませときゃ大概の奴は腹が膨れる」

 王宮で開かれるパーティーと言えどそんなものなのか、と視線で尋ねるアルトには肩を竦めてみせる。
 何処の立食パーティーもこうであるなどとは偏見が過ぎるので思わないが、今回の舞踏会は参加料金が一人あたり二千ベリーと破格値だ。もしも好感度を上げるべく参加費を抑えているとしたら、何処かで節約しなければならない。

 特に今夜の会は飲み食いよりも社交とダンスがメインに据えられており、参加人数も制限しないとなれば、提供する飲食物に金をかけたくないと主催側が考えても致し方ないと思える。
 だがあまりに粗末な物を出しては参加者の落胆を誘い、下手をすれば国内で最も裕福である筈の新王の懐が寂しいのでは、と民衆に邪推されかねない。

 酔わないようにとただのアイスティーを飲むアルトがグラスの縁に付着した己のルージュを微妙そうな眼差しで見つめるのを横目に、ホール内全体を一瞥する。
 開催宣言から既に一時間が経過し、踊り疲れて移動してきた組が壁際の椅子で談笑する姿もちらほら増え始めた。現段階での参加者の数が入場規制の域に達したか玄関が閉ざされ、取っ手の前に開閉係のボーイが控えている。
 年若いその青年が、不意に視線をずらして敬礼した。

 目線を辿れば、紺色の軍服に身を包んだ中年の男がダンスホールに繋がる通路から歩いてくる。
 淀みなく進む脚は室内を斜めに渡り、隠し部屋の入り口だろう絵画に連なるあの大階段の前で止まると直立の姿勢をとった。酔った人間も次第に増える時間帯に万が一の事態を起こさせない為のようだ。

 軍服の胸元に勲章らしき飾りを認め、皿に乗せたパテの片付けに億劫そうなアルトへ顔を向ける。

「少し離れる。お偉方みてェなのや酔っぱらいが近くに来たら念の為距離は取れよ」
「ん、勿論」

 こうした大々的な催しには来賓が付き物だ。その中に不埒な輩が居ないとも限らず、またアルトを一人にさせれば目をつけられる可能性も全くのゼロではない。
 身内だからという俺の贔屓目ではなしに、アルトは参加者の女達と比べても悪くない容姿に仕立てられている。非現実的な場においては大抵の人間は浮かれやすい。

 敷かれた絨毯は床の面積全てを覆ってはおらず、壁の数メートル手前までしかない。蝋燭の灯りをぼんやりと映す程磨かれた石造りの床に足を踏み出せば途端に硬い足音が生まれ、此方にちらりと目を遣った軍人は俺の歩みが自分へ向いていると気付くと、僅かながら相手を探る目付きになった。

「良い絵だ。彼の雄々しさがきちんと描かれている」
「……同感にございます」
「ダリウスに違いないか」

 まさか警備隊が名札を着けている訳もない為本当に言葉通りの確認となったが、俺よりも若干背の低い男は幾らか此方側へ身体の正面を向け直し、踵を揃えてから頷きつつも訝しげに瞬きをした。

「何処かで貴殿にお会いしましたでしょうか。大変失礼ながら、記憶になく……」
「新王から名を聞いた。先代の頃より警備隊長を務めて信頼に足る男だと。……新王にはドエレーナ王国で"世話になった"が、確かその時に故郷の話になった」

 顔立ちや肌の色が自国民と些か異なる俺の口から出た台詞に、ダリウスは瞠目したかと思うと何とも複雑そうな色を瞳に滲ませた。名前を挙げたドエレーナ王国は良い噂を聞かないからだろう。
 公務に勤しむ男の名前も職歴もその気になれば直ぐに集まる情報だが、ダリウスにはこの嘘が通用してくれたらしい。警備隊長が客へいきなり頭を下げては流石に不審だからか頭を傾ける程度ではあるものの一礼を寄越す姿に、自分の口角が上がりそうになるのを堪える。

「態々お声がけ頂きまして、汗顔の至りにございます」
「そう堅くなるな、新王の信頼篤い男を間近に見たかっただけだ。今後何かあれば此方が頼る事もあるだろう、……ああ、そうだ。新王が生誕された日が知りたいんだが」

 今後、のくだりでダリウスが眉尻の片方を動かしたが、言及される前に話題を変える。
 何という事もない様相の質問にやや面食らった雰囲気ながら何故そんな事を問うのかと不躾に尋ねてくるでもなく、一拍の間を挟んでダリウスは口を開いた。

「一月の八日になります」
「それなら祝いの品を贈るにも間に合うな。礼を言う」

 会話の終わりを悟ってか、俺が踵を返すとほぼ同時に今一度軽く頭を下げる男の姿を横目で捉えつつテーブルの方へ戻る。

 此方からダリウスへ話しかけた理由としては、裏を疑わせるような不自然さはなかった筈だ。
 そろそろ動くか、と思考を働かせる傍ら、濃紺のドレスを探して周囲を見回す。

 そうして料理に占められたテーブルの横、一枚の風景画の前で口元へ扇子を宛がうアルトとその眼前に佇む優男を見つけて、何をやっているのかと溜め息が漏れた。

 



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