「ロー、そこちょっと、駄目、痛い」
「痛ェからやってるんだろ」
「いやそれにしたって、ぅ、痛っ」

 思わず反射的に膝を曲げて逃げようとすれば、足首を掴まれて脚を真っ直ぐ伸ばされる。もれなく正面から咎める眼光も飛ばされるこのやり取りを三回繰り返した頃、漸くローの手から与えられる痛みが和らいできた。

「……あ、何か……段々楽になって、きた? 痛いけど気持ちいいかも……」
「大分ほぐれたからな」
「お医者さんってこんな事まで巧いんだなあ……」
「医者かどうかは関係ねェ。個人技能だ」

 真顔でそんな事を言ってのけるローの手腕に脱帽である。

 ハイヒール歩行の練習で酷使した脚をロー直々にマッサージして貰う事およそ三十分、下から上へと揉まれる度に鈍痛を訴えていたふくらはぎは次第にマッサージの刺激に慣れ、ローが言うように凝った筋肉が柔らかくなった影響か心地好さすら感じるようになってきた。

 疲労回復効果のある"有限の密(セルフチャージ・パナシーア)"を発動する場合、前回の回復に要した時間の十倍の時間が経過していなければ技が使えない。その制約が舞踏会本番で文字通り俺の足を引っ張らないようにする為に、パーティー前夜である今は念の助けを借りず最後の練習に励んだが、なかなかに疲れた。

 爪先、土踏まず、踵、ふくらはぎがまんべんなく疲弊してしまい、じんじんと疼くような痛みと倦怠感が風呂に入れど払拭されない。
 その嫌な疲労具合に唸る俺を見たローが「脚を貸せ」と言った時は何かと思ったが、手近な椅子を引き寄せて向かい合わせに腰かけたローがやおら俺の脚を掴んだ時には察しがついた。

 俺がヒールをカツカツ鳴らしている横でローも基礎訓練はしていた為申し訳なさから断ろうとし、口から何か音を出す前に一睨みされて結局甘えてしまったが。

「……にしても、すごいシュールな光景だな…」
「何がだ。ただのマッサージだろ」
「うん、ローのやってる事は。俺の脚がシュール」

 現在ベッドシーツに伸びている俺の下半身の、膝まで捲り上げたボトムの下から覗く脚は伸縮性に優れたごく薄い生地で作られている肌着──所謂タイツに覆われている。マリアンヌに頼んで調達して貰った物で、薄い黒一色だ。
 元々俺は男にしては体毛がかなり薄い方ではあるし、念には念をと脛やら腕やら剃ったものの、だからと言ってそれだけで女性の柔肌と変わらない見た目になれるという訳もなかったのでカモフラージュ用に購入した。

 着けている感覚に慣れる為、此処二日間はタイツを履いて練習に励んでいる。今や素肌の上に膜が張ったような独特の感触にも違和感を覚えなくなったが、タイツを履いた男の脚が丁寧にマッサージされている光景は何とも言えない。
 肌の滑りを良くする為の洗い流さないボディクリームやオイルがこの宿には常備されていなかったが故に致し方なくタイツ着用状態での施術となったのであって、決してお互いに妙な性癖があるなどという事ではないのだが、取り敢えず今オズワルド兄妹はこの部屋に来訪しないで欲しい。

「こんなもので良いだろ。後は自分でリンパ流しておけ」
「はーい。ありがとう」

 自由になった脚をぶらつかせてみると、重たいゼリーでも詰められているかのように感じていたふくらはぎの怠さが大分改善されているのが分かる。
運動後のストレッチやセルフケアが大切である事は承知しているが、人体に関する知識が最低限の俺と豊富なローとでは効果にも差が出るのだと改めて解る体感だ。

 下手に疲れを溜めてしまう事のないよう空き時間にマッサージを教えて貰えたら有難いので、今回の件が片付いたら相談してみたい。ローには教わる事ばかりだ。

「着替えたら寝ろ。今夜多少長めに寝ておかねェと明日もたねェぞ」
「うん、……あの……ロー、」

 室内に二台在るベッドの内、鬼哭を立てかけている方に深く腰を降ろしたローが耳朶へ指を伸ばしてピアスを外し始めた。
 就寝の準備でもあるその行為に、恐らくはローも多少なりとも疲れているだろう事は承知で声をかける。

 呼びかけに対して目線を此方に向けたローの片耳からピアスが取り外される。あんなにも小さな物だと言うのに、定位置から退くだけでローの印象を少し変えるのだから装飾品の影響力は不思議だ。

「明日、どういうやり方で隠し部屋の位置暴くの?」

 事を起こす前日になっても、ローから具体的な作戦内容は語られずにいた。実際現場に潜入してみなければ判らない事というのもあるだろうが、流石に目的を達成する為の手段が不明なまま臨むのは落ち着かない。
 口を閉ざしている本人だからかローも俺の懸念に察しがつかない訳ではないようで、灰色の双眸が何か思案や回想に及ぶ時の眇められ方をする。

「方法自体、当日の城内の状況次第で現状予定しているモンから変わる可能性もある。やたらに内部構造を調査しようとすれば警備連中に怪しまれるから特に資料は作ってねェし、脱出経路も明日その場で調べないとならねェ。実際出向いて中を見て回って、内容が固まってからお前にも伝える」
「……そっか…」

 そう説明されてしまえば頷く他ない。城が丸ごと建て換えられた事で元メイドのマリアンヌの持つ記憶は参考に出来ないし、前以て見取り図を手に入れる事は盗みでも働かない限り不可能だ。

 行き当たりばったりと言えばそうなのだが、ローとて熟慮した上での結論なのだろう。
 言われた通りに今夜はもう寝てしまおうと枕元へ置いておいた寝間着に手を伸ばすと、ローも反対側のピアスへ指先を触れさせた。

 



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