「──ローさん! ローさんはいらっしゃいますか!?」

 在室の確認はその声かけのみで充分だろうに、併せて扉が拳で叩かれる。

 基本的にはシーザーの統制下で動いている囚人達が此方の部屋に態々訪れる時というのは、大概の用向きが何かしらの頼み事だ。
 やれ"マスター"の実験を手伝えだの、脚を負傷したが手当ての仕方が分からないだの、正直煩わしいものばかり持ち込まれる。俺は人間相手の外科医であって獣医ではないのだ、その辺りの対処はシーザーが担えば良いものを。

 昼食の下ごしらえでトマトとアスパラガスを洗っている最中のアルトが振り向くも、片手を挙げて制す。座っている椅子から腰を上げて扉に歩み寄り、互いに半身が見えるであろう程度の隙間を作る形で引き開けると、見張り番と思わしき一人が立っていた。

「あっ、良かった居た! 緊急事態でして…! 北西の河口から、軍艦が接近してるんです! しかも海軍中将スモーカー率いるGファイブ部隊だと確認が取れてまして…奴等どうしてか、大砲で流氷を撃ち砕いてまで進んできちまってて!」
「……で? まさか"七武海"に軍艦ぶった斬れだとか言い付けに来たんじゃねェだろうな」
「い、いえいえそんな! ただその、"マスター"が本来この島には誰も居ちゃいけねェって…。オレ等も元は海賊です、表にゃ顔を出せねェ! だからローさんにGファイブの連中を追い払って貰えねェかと…」
「保身が過ぎやしねェか。白猟屋の思惑なんざ知らねェが、毒ガスも流氷も突破してくる以上は何かがこの島に在る、若しくは居ると向こうは確信してる筈だ。客人を矢面に立たせるとは、大したご主人様だな…」

 そこまで言って唇を閉ざすと、防護服姿の男はマスクの中で押し黙った。幾らシーザーの決定とは言え、自分達が目の前の問題の始末を部外者に近い立ち位置の俺へ丸投げしている自覚ぐらいはあるらしい。

 だが、居留守を決め込んで強行に踏み入られても参る。生活感は隠せやしないし、俺とアルトとシーザーを除く住人の誰もが獣足を持ち得ている異様な光景をスモーカーに見られたくもない。半獣人を生み出す所業も俺の能力が在れば不可能ではない事に気付かれ、変にシーザーとの繋がりを疑われても面倒だ。

 取り敢えずは請けてやるしかないのだろう。いずれにせよ海軍本部へ俺とアルトのパンクハザード上陸、及び滞在は報告される事になる。
 果たしてどの真実を明かしつつ何処まで嘘を混ぜるのか、スモーカーの言い分次第では頭を悩ませる羽目になりそうだ。

「シーザーに伝えろ。出るだけ出てやる」
「…っあ、ありがとうございます!! よろしくお願いします!」

 せめてもの不服の意思表示として露骨に溜め息を吐きながら告げると、一瞬肩をびくつかせた男は深々と腰を折ってから脱兎の如く廊下を駆けて行った。

 ドアを開けた儘でコートハンガーへ歩み寄り、コートに袖を通してファスナーを裾から首まで一息に引き上げる。
 室内中央の机に立てかけた鬼哭とその柄尻へ引っかけていた帽子を手に取ったところで、濡れた手をタオルで拭きながら傍へと来たアルトに視線を流すと、弱ったような苦笑が寄越された。

「海軍中将が来るんじゃ困ったね」
「来ちまったものはしょうがねェ…。先に行く。お前は念の為、海楼石の錠をあの隠し収納庫から一つ持ち出して合流しろ」
「分かった」

 小さく頷いたアルトが自分の木刀を腰元へ提げる様子を横目に部屋を出る。

 廊下を通り、階段を降りて一階に行き着くと、吐息が白く染まる程ではないにしろ身の回りを覆う空気が多少冷たくなった。
 正面入り口の扉は大きさも厚さも研究所内随一を誇るが故に、吹雪が孕む辛辣なまでの寒さを屋内まで持ち込みはしないが、冷やされた無機物が放つ仄かな冷気だけはどうしようもない。

 ────ビー!

 玄関へ最も近い位置に降りられる一際幅の広い階段を下る最中、ブザー音が鳴った。

 てっきり扉の向こうから打撃や殴打の物音が乱雑に響いているか、でなければスモーカーが自身の能力を活かして僅かな隙間から侵入を果たしている可能性すら視野に入れていただけに、粗暴の文字を固めて出来たと揶揄される組織にしては律儀な行為を意外に思う。

 ビー、ビー、と何度も鳴らされる呼び出しの機械音に、扉横の開閉スイッチを踏む事で応える。
 鉄と床が擦れる重たげで硬い音と共に、扉が真ん中から左右に開く。未だ幾ばくも景色が露にならない内に、見覚えのある強面と視線がかち合った。

 研究所の中を必要以上に見せるつもりはないので早々にスイッチから足を離し、人二人分ほどの空間しか開けず、扉の片方に半身を凭れさせる。

「俺の別荘に…何の用だ、白猟屋……」

 やたらに警戒度を上げさせてもより面倒な展開を引き寄せかねない為、臨戦の体勢は取るに取れない。
 鬼哭を離さず、しかし腕は組み、小さな嘘を一つ吐く。

 その辺の海賊よりも余程強烈な眼力を備えたスモーカーが元より眉間に居座っている皺の数を増やす後ろで、武装した数十人の海兵達が揃って目を剥いたかと思うと、海軍本部で見かけた女大佐を除いた全員が階段の下どころか数メートル離れた位置まで後退った。

『ぎゃああああ!!』
「トラファルガー・ロ〜!」
「"七武海"が何故こんな所にィ〜! 帰ろうぜスモーカーさんっ! コイツとは関わり合いになりたくねェ!」
「コイツは"七武海"になる為に海賊の心臓を百個本部に届けた狂気の男だ! 気味が悪ィ!」

 外気へ溶かす呼気にそっと笑みを混ぜる。幾ら今は一応の協力関係に近い間柄とは言え、海賊を前にして即座に退避を進言するとはとんだ海兵も居たものだ。流石に呆れる。

「此処は政府関係者も全て『立入禁止』の島だ…ロー」

 関わりたくない旨には同感なので本当に回れ右をしてくれるのなら願ったりだが、スモーカーがそんな小物極まる男であったなら現在の地位には就いていない。当のスモーカーは部下の悲鳴にも懇願にも耳を貸さず、葉巻を咥えた口から唸るような低音を響かせた。

「じゃあ……! お前等も、だな」

 殆ど意味を持たないやり取りだ。そんな事はどちらも承知した上でこの場に居る。まさか今の咎めで俺が親に叱られた子供のようにばつの悪そうな顔をするなどとふざけた想像をした訳でもあるまいに、存外手順を踏む男らしい。

「チッ…糞餓鬼が。オイ、たしぎ。電伝虫を再生しろ」
「はい」

 呼びかけに対して一歩だけ此方に距離を詰めた女海兵が上着のポケットを漁り、一匹の電伝虫を取り出す。
 ただしそれは通話用のありふれたものではなく、女の掌にすっぽり収まる体躯の小ささと全身を染める黒が特徴の、盗聴に長けた黒電伝虫だった。

 



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