跳ねるように巨体が浮く。床から一メートル弱離れた鰐を、向かい側から拡がってきた蒼いサークルが包んだかと思うと、柵諸とも鰐は首の半ばを一瞬で切断された。
 脚をばたつかせる体躯と頭部に別れて転がり、ややあって急に静かになる。落下の際に強くぶつけでもしたのか瞳を閉じている頭の陰から、ローが顔を覗かせた。

「ごめん、助かった…。そいつだけ痺れ粉の効き弱かったみたいで」
「この身体だ、無理もねェ。コイツから接合するか…」

 物騒な物音を聞いて加勢してくれたのだろうローに近い扉から、囚人達が目を丸くして此方を見ている。斜めに分断された檻の残骸を指して仲間と囁き合う姿もあるが、あからさまに畏怖の眼差しが向けられる事は無い。島の主が能力者なのである程度の非現実的な光景にも慣れているのだろうか。

 鰐の尻尾を掴んで囚人が集合する部屋へ引きずってゆくローを見送りながら、改めて背後の動物達を見遣る。

 一部の肉食獣は別の檻に纏めて収容しているが、それを含め過度な興奮状態に陥っている個体はもう居なかった。怯えが前面に来たのかもしれないが幾らかほっとする。
 どちらかと言えば動物には好かれやすい方だとは思うのだが、それは所謂ペットとして飼育される種類の哺乳類に対する実感なので、俺の雰囲気やオーラに牛やらキリンやら羊までもが気を弛めてくれるかは解らないのだ。

 しかし殴ったのか蹴り上げたのかまでは見えなかったが、あの鰐を宙に浮かせる程の一撃を見舞った先刻のローを思い返して感嘆する。
 武装色の覇気は鍛える事が可能だとローから聞いてはいたものの、実際に成果を目の当たりにすれば下手な強化系能力者より余程強いのではと思えた。比較しようもないが。

 今の騒ぎで妙に大人しくなった動物達を視界に映さないようにしつつ、脱走されては困る為唯一の出入口である扉を閉める。
 ガチャ、と手元で音が鳴った直後に、ほんの数メートル離れた背後からキーの高い声が唐突に聴こえた。

「ほう、これだけの動物の動きを鈍らせるとはやるじゃねェか。麻酔か? 弛緩剤か? 薬品の匂いはしねェなァ…」

 胸の内側がぎくりと強張る思いをしながら振り返る。換気口から入って来たのか、ほぼ靄状のシーザーが輪郭を歪ませながら人の形を取り戻している最中だった。

 少し歩みが鈍い程度の動物を見て状態を正しく把握する観察眼は大したものではあるが、俺の能力を事細かに知られる事は避けたい。シーザーが操るガスを使った能力も本人の身体のように視認出来る物ばかりとは限らないのだし、何かあった時に不意討ちを狙えるのはお互い様である均衡を崩せば此方が不利になる。

「んン? 判断能力が鈍麻した様子もねェな…」

 シーザーやモネは勿論、囚人達にも念能力を発動する場面は目撃されたくなかったので、動物を順に痺れさせている間は「円」を最大直径の二十メートルまで展開していた。
 途中で新たな生命反応は感知しなかったし、幾らロギアと言えどシーザーは人間だ。暗殺者やプロハンターのように気配と存在感を殺す技術を使いこなせるとは思えない上、本当に興味深そうにする様子からも、今しがた侵入して来たのだろうと判断する。

 囚人と動物の接合手術が完了するまではこの部屋に俺とロー以外の立ち入りを禁ずると事前にローが伝えた筈なのだが、そう言ってみたところで「この島のボスはオレだ」で終わりそうだ。
 こんな辺境地を隠れ家にして劇薬の製造に励むが故の警戒心なのか、でなくば単に自慢したいのか、シーザーはこの台詞を度々口にする。

「オイ、コイツ等に使った薬を見せてみろ」
「すみません、もう使い切っちゃったんですよ。量を誤るといけないから独断で使うな、ともローから言い付けられているので、一回ローに訊いてみて貰えますか? シーザーさんの有能な研究のサンプルになると知ったらローも譲渡を検討するかもしれませんし」
「シュ、シュロロロ…何だアルト、お前は分かってるじゃねェか! そう、このシーザー様の研究と開発の一翼を担うなんざ実に誉れ高い、」
「何でテメェが此処に居る」
「ア"ア"ア"ア"!?」

 一本調子に適当な嘘でおだてたらハンコック並みに偉ぶり始めたシーザーの眼前へ、横から磨かれた刀身が現れる。面白い程怯えた表情で後退したシーザーには当然ながらハンコックのような優雅さも気品も威厳もない。勝手に比較対象にして彼女に悪い事をした。

 元より健康的ではない顔色を更に幾分か悪くさせたシーザーが睨む先で、長刀を掲げたローの眼差しも穏やかでない。
 性格からして反りの合わなさそうな事は予想がついていたが、ローはもう少し冷静に関わると思っていただけに意外だ。スモーカーやキッドと対峙していた時の方が落ち着いていた気さえする。

「この部屋に入るな、と言った筈だ」
「オイオイ、オレは大事な客人の安否を気遣っただけだ。さっき物騒な音がしてたじゃねェか」
「なら扉を開けて覗けば済んだろう、ロギアのお前は獣に喉笛喰い千切られる心配なんざ不要だからな」
「怪我をしねェからと言って、茶ひげにくっつけたみてェな馬鹿デカい鰐に襲われて平然としてられる訳じゃねェぞ? ついビビっちまって、その拍子に無意識に身体を毒ガスに変えでもしちまったら相手の獣に害が出る。そうならねェ策を取ったまでだ」

 空気が悪い。俺の固有能力を出来る限り秘匿しておきたい意向はローも同じなので釘を刺そうとしてくれているのだろうが、シーザーが態とらしい顔と仕種で言い返すのだ。
 下手に噛み付いて滞在中の待遇が降格すれば困るのはローと俺だし、折角施設内部の大半を自由に歩き回る条件を取り付けた現状を変えられたら俄然動きにくくなる。

 これ以上の言い合いに益など無いと判断してか、一つ溜め息を吐いたローが視線を俺へ流した。何があったと問いたげな目の色に心持ち困った顔を作ってみせる。

「此処の動物達に使った"薬"、サンプルに欲しいんだって」
「…無理だ」
「お前、医者だろう? 予備の一つぐらい、」
「まさかこんな大量に使う機会が来ると思わなかったんでな。オマケに我が儘言う奴が二人居るんで、後日また投与する必要性が生じた。予備も含めストックはゼロだ」
「……ならしょうがねェな」

 ほぼ即答で断ったローにシーザーが食い下がるが、囚人の下半身の交換はローから言い出した事ではないのでシーザーも個人の我は通しにくいのか、更に重ねられた返事を聞いて渋面を浮かべつつも諦めた。
 キャスター付きの檻に入れられて隙間から首を伸ばしているキリンの元へ向かうローを追い、左右から二人で柵を掴むと引っ張り始める。シーザーの横を通り過ぎてから無言でローへ苦笑いを向けると、小さな頷きが返ってきた。こんなに気の抜けない無料ホテルはこれきりだと思いたい。
 



( prev / next )

back


- ナノ -