対面して以降初めてまともに向き合った両目が、値踏みするように細められる。
 俺はあまり初対面の相手の眼から感情を読み取るのは得意ではないが、シーザーに関しては好奇心や興味の部類を宿している事は雰囲気で解った。

「しかしまァ、お前の部下は随分と大人しいじゃねェか。てっきり吠えるか噛み付くかされるかと思ったが……巧く躾がされてるようだな」

 こうした、俺の"ケルベロス"という犬の頭が三又に生えた空想上の怪物を指す二つ名を引用したからかい文句にも大分慣れた。

 海軍から当の冠を被せられるよりも先にハートの中ではペンギンやシャチからふざけ半分でローに従う忠犬呼ばわりされる事はあったし、端から見て俺がローの番犬かの如く映るならそれはそれで良い。
 実際、海賊としての諸々を俺に仕込んだのはローだ。俺個人もローの事は"船長"だけでなく"主人"と認識している部分が在る。

「アルトだったか。噂じゃ実際にもローの"犬"だと聞いちゃいたが、この様子だと案外本当の、」

 妙に癇に障るにやついた顔で俺を見下ろすシーザーの言う"犬"のニュアンスが、先程までとは異なるように思えて首を傾げる。

 ハートに限らず普段は海上で暮らす事の多い海賊の船内における私生活など他人は知りようがないし、憶測や想像が広がるのは致し方ない。噂も一人歩きするものだ。
 けれども俺が実際にローの犬だ、という言葉の意味は解らない。項の刺青が首輪みたいだとでも思われたのだろうか。

 何が言いたいんだか。そんな内心の呟きをつい眉間の皺で代弁しそうになった所で、鋼の軌跡が弧を描いて隣を通過した。

「ぅおオッ!?」

 いつ抜刀したのか、鯉口と鍔を鳴らす音を生まずに鬼哭を抜いたローが、手首を回す所作で刃を横薙ぎに半回転させたらしかった。刀身が非常に長い鬼哭の切っ先が顔面すれすれを通り過ぎ、且つそれを目で追えていなかったシーザーが遅れて顔色を悪くする。

「っな、そ、てんめェ危ねェだろうが!? いきなり何しやがる!」
「ご覧の通り刃が長い刀なんでな、振るうにも場所が要る…。が、ロギア系のお前には何が当たろうとダメージなんざねェだろう」
「確かにそうだが、何だって急に抜いたか訊いてんだよ!」
「俺とその女の心臓を交換するんだろう? その為だ」

 淡々とした受け答えをする無表情のローと、今はモネに向いている刃先。それ等を見比べたシーザーは突然のローの行動に顔を歪めながらも取り敢えずは口を閉ざしたが、俺も別の理由で唇を開けなかった。

 何故だか知らないが、ローが明らかに苛立っているのだ。天気が悪いだとか予定通りに物資補給が出来ないといった時の雰囲気ではなく、ベポが白熊である事を他者に馬鹿にされた時のような、冷たさを内包した怒気が肌に伝わってくる。
 一体何がきっかけでローの機嫌が降下したのだろう。言い方はともかくシーザーの台詞の表面は一応俺を褒める物だったと思うけれども、ローが他人の心臓を抜き出す際に必ずしも使う必要は無い鬼哭を振るって態々脅かす位には、気に障ったらしい。

 傍目には表情や声の調子に顕著な違いが現れていないからか、ローの機嫌の変化にシーザーが気付いた様子は無い。
 幾らシーザーの言動が個人的にいけ好かなくとも流石に短気を起こしはしないだろうが、と立ち上がったローの背中を見上げると、同じくバーカウンターの席を立ったモネがロー越しに見えた。

「服は脱いだ方が良いのかしら?」
「その儘立ってるだけで良い。…動くなよ」

 ローが空いた手を下向きに宙へ翳すとサークルが出現する。対象者二人だけを包んだそれが肥大をやめたと同時、ローが僅かに腕を動かすと、モネが初めてはっきりと驚きの色を瞳に映した。ローの手中に見慣れた立方体が出現する。
 続けざまにローが若干下を向く。
 直後にその背中の左側、肩甲骨の辺りが真四角にせり出したかと思うと、半透明のキューブに包まれた心臓が少しの勢いを連れて飛び出した。

 このゼラチンを固めたような感触のクッション材、そこまで厚みがない割に耐久性はまあまあなのだが、だからと言ってローの心臓の落下を見送れやしない。両手を伸ばして受け止めると、肉塊が刹那膨らむように脈打つ感覚が掌に伝わってきた。
 名も知らない海賊の物は直視も難しかったのに、こればかりはローの心臓だというだけで幾分か嫌悪感が薄れるのだから俺も結構単純な性格かもしれない。

 海賊百人分の心臓を集めていた頃は収集も袋詰めもローに行って貰い、俺は心臓略奪の際は相手の無力化に専念していたので、こうしてまじまじと人間の臓器を見るのは初めてに近い。やはりと言うか、強烈な見た目ではある。
 ローの心臓を直に見る機会などこれきりであって欲しいと願いつつ傍らに佇むシーザーへ差し出せば、流石にシーザーもこの光景は初体験だったのか一瞬身を強張らせた。緩慢に広げた掌に心臓が乗ると、薄ら笑いを引っ込めて物珍しげに視線を注ぐ。

「これで文句はねェな?」
「……あァ、勿論だ。命を握る、っつー表現が在るが、まさにその実現だな。シュロロロ、貴重な体験だ」

 だがそんな反応も束の間、ローの一言を受けて紫の唇はまた歪む。例え用途が悪逆でも他に類を見ない品を一から造り上げられる人物は一般人と思考回路の構造が少々違うのか、シーザーは早くも剥き出しの内臓に耐性が出来たらしい。
 規則的な間隔で鼓動を鳴らす心臓を手にシーザーが座り直すと、ローも刀を収めて再度腰を落ち着かせた。素肌と刺青を晒す片手にもモネの心臓が座す。

「さて。矢継ぎ早で悪いがこの際だ、オレの部下の件も話を纏めておくか」

 



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