「この海図、本当に合ってたんだね……」
「紙切れと命を引き換えても仕方ねェしな。窮地でこっちを謀ろうとする程の度胸はあの野郎には無かったんだろ」

 腕の良い情報屋の男が居る、との噂を聞いて先月立ち寄った島でその男から入手した海図は、ログの取れないパンクハザード島の位置が記されたものだった。
 当人の心臓をローの能力で抜き取った上で脅しをかけたとは言え、そもそも情報屋が偽物を掴まされている可能性もあったので全面的に信用する事は出来なかったが、元は海軍から不正に流出されたと言っていただけあって本物だったらしい。

 窓硝子越しに見える島は中央を境に空模様そのものが二分割されており、一方は絶え間なく雪が吹きすさぶ氷山地帯、片や活火山が頂上より黒煙を吐き出して文字通り燃え盛る土地と化している。海面も左右でそれぞれ燃えて、或いは凍てついていた。

「話は聞いてたけど、こんなんじゃ上陸以前に接近するにも大変そう…」
「……元大将同士の決闘から年数は経っちゃいるし、もう有毒ガスが空気中に混在してねェのは当時"青雉"と"赤犬"が証明済みだ。賭けだが"飛ぶ"。その辺に掴まっておけ」
「うん」

 手近な柱に片腕を絡ませるようにして掴まると、同じようにローも向かい側の柱を片手で掴みながら反対の掌を宙へ浮かせる。

 途端に翳された手の下で渦を巻き始めた空気の動きを見てその場に膝をついたと殆ど同時に、サークルが視界を横切って急速に肥大し、瞬きをひとつした後でガクン! と船全体が縦に大きく揺れた。

「………」
「…周りには特に人影はねェな。つってもその内来る可能性は高ェ、今の内に着替えるぞ」
「ん、」

 身体を起こして再び窓を覗くと、見渡す限り雪景色だった。空自体は曇っているので太陽光の反射こそないが、真っ白な地面はそれなりに眩しい。

 この雪そのものが位置交換の対象に選ばれたのか、俺達が乗る小型船は雪原の上ではなく中へ埋まる形でパンクハザードに到着していた。
 無数の大きな雪の粒が船体に当たってチリチリと鳴く音を聞きながら壁際のクローゼットへ歩み寄り、首元までしっかり覆うデザインの黒いロングコートを取り出す。裾にハートの海賊団のジョリーロジャーが刺繍されたそれをローに手渡すと、俺も自分の上着をハンガーから外した。

 寒冷地では特に首を冷やすなとローに言われているので俺のジャケットも冷えた風が入り込みにくいよう首周りまで生地はあるが、戦闘に際し脚技を多用する事を考慮して丈の長さは腰までだ。
 ベルトに連なる革製の吊り輪に木刀を通して提げると手袋も嵌め、天井に取り付けられた円形扉の取っ手を引く。

 その儘床を蹴って真上に跳ぶと出口の縁を両手で掴み、懸垂の要領で頭を外へ出した。直ぐ様横殴りの吹雪を顔に浴び、急な体感温度の変化に対して身体が反射的に身震いする。

「うわ、これキッツ…!」

 早くも薄く雪の衣を纏い始めた船の外壁に掌をつけ直し、天井を蹴りざま肘を伸ばして腰から上までを外気に晒す。
 勢いがついている内に片方の膝も出口の外側に乗せ、後ろに倒れてしまわないよう上半身を前傾させつつ完全に身体を外へ出し、振り向くと穴から覗いている鬼哭の鞘を掴んで先に引っ張り上げた。

 鬼哭を両手で抱え直しながら船体上部から飛び降りる。着地と同時に膝まで雪中に沈んだが、この極寒を孕んだ風と気温により雪は積もる傍から固まるらしく、脚を抜いて改めて立つと思ったより沈まない。
 其処に同じく外に出て扉を閉めたローが降りて来た。

「船、どうするの? 此処に放置したら半日待たずに埋もれそうだけど」
「それで良い。こんな環境下で食い物が自給自足出来る訳がねェ、必ず外部から船で食料を仕入れてる筈だ。その連中に見つかれば面倒くせェ事になる……廃材が雪被って転がってると思わせた方が自然だろ」

 勿体ないとは思えど、ローの意見を上回る良案を俺は持たないので、此処までの道中世話になった小型の船を見遣る。
 実際に潜れはしないがまるで潜水艦をその儘縮小したような、イルカの身体に似た曲線を描く金属板で天井を拵えた二人乗り用の船は、悪天候でも船内が風雨に晒されずに済んで大いに役立った。

「俺の能力で闇雲に移動を繰り返しても、シーザーの元に直ぐ辿り着けるかは分からねェ。こんな場所でも警備兵が居ねェって事はないだろう……試しに少し歩くか」
「基地から周辺見張ってて、ローのサークル目撃した可能性もあるしね」

 ローの口から挙がった標的の名に、何となしに記憶を呼び起こす。

 元々は政府に所属しパンクハザードで働いていた科学者だったが、四年前に致死性の高い有毒ガスを製造、開発した罪で逮捕。
 しかし監獄船からの脱走に成功し、それをきっかけに三億の懸賞金を懸けられた男の名前がシーザー・クラウンだ。
 今日までに入手した情報を信じるのであればシーザーは三年前に再びパンクハザードへ上陸し、以後住み着いているらしい。

 かつて政府が保有し、二年前の海軍大将の決闘を境にその政府の関係者すら立ち入りを禁じられた島は、隠れ家には丁度良かったのかもしれない。犯罪者が元居た住み処を再度拠点に選ぶとは大胆だし、大抵の人間はその可能性を否定しそうだ。

 シーザーの所在、それからシーザーが製造を手掛けている筈の『SAD』と名付けられた薬品の在処を突き止めるのが第一段階だ。なるべく早くハートの皆と合流する為にも寄り道はせず、けれども余計な焦りを抱く事なく動きたい。

 吐いた息が白く染まる間もなく霧散するような吹雪の中、一先ず足を進め出す。
 けれども数メートルも歩かない内に突然視界の明度が落ち、辺りが暗くなってしまった。

 



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