「麦わらのところのナミちゃんとロビンさんに観劇誘って貰ったから、今日の夜、食事済んだら抜けていい?」
『えっ』

 そう尋ねた瞬間、ペンギンとシャチが声を揃えて此方を見た。
 医療用器具の拭き掃除を手分けして進めていたが、二人が手を止めた事で途端に室内が静かになる。見れば机にノートとカルテを広げていたローまでペンを休ませており、つい今の今まで雑多な音が混ざって響いていただけに、沈黙が際立った。

「…………なに…? え、駄目? 終わったら直ぐ帰るから、明日の朝に響く事ないと思うけど……」

 共に出かける二人に関しては、ローは勿論、ペンギン達も知らぬ相手ではない。外出許可の窺いに対してこんな反応をされると思わず、自分の声が若干揺らいだ。

「や、帰る時じゃなくて行く時の話がしてーんだわ。お前、メシ食ってそのまんま合流すんの? 現地で?」
「うん」
「服は?」
「明確なドレスコードは決まってないって。あんまりラフなのはアレだろうし、一回船戻ってジャケットで行こうかなとは……」

 そこまで答え、三人全員が半目になっていると気が付いた。

「……そういえばアルトは、女に甘いが、女好きじゃあないんだったなァ……」
「別にそれが悪いとは言わねェが」
「オレ等もそれは船長に同意しますけど。てか、まー、それもコイツの良い所ですけどォ」

 文句を言われている訳ではないにせよ、決して褒められてもいない事だけが分かる。俺についての話題の筈なのに、何やら三人の間だけで空気を共有されて困惑していると、シャチがピンセットで此方を指した。

「アルトクンや、男にはな、格好を付けるべき時っつーのがある」
「はあ」
「お手本みてェな他人事ボイスそしてフェイス! あのなァ、ナミちゃんロビンちゃんっつったら、お前にとっちゃもうただの知り合いって事はねェだろ? でも、お前はウチのクルーだし、向こうは麦わらの一味だ」
「うん…」

 消毒液に浸した布巾で器具が拭かれ、タオルを敷いたトレイの上に置かれた。作業が再開されたので俺も仕上げの乾拭きを手伝う。

「今は上陸先が被ってるし、この先のルート考えたら多分航路もほぼ一緒なんだろうけどよ、此処はグランドラインだからさ。海に出たら何が起こるかなんて分かんねーだろ。だから腹いっぱい食えるのも、ぐっすり眠れんのも、何事もなく陸で過ごせんのも嬉しいモンだ。そんで、そういうイイ思いは、やっぱ身内と分かち合いてェじゃん」

 聴診器を拭こうとしつつも、シャチの言葉に自然とその横顔を見つめる。

「けどナミちゃん達は、お前を誘ってくれたんだろ? お前は誘われて、行くのは特に悩まなかったんだろ? 違う船の海賊同士でそうなるのは、よくある話ってワケじゃねェぜ。女の子が厚意で誘ってくれたんなら、男のお前はあっちの船に迎えに行くぐらいはしてやれ」
「……はい……」

 改めて言われればその通りだなと、素直に頷いた。抽選券が貰える店を見つけたのはナミで、食事代を支払ったのはロビンである。ロビンから馳走になった分は手土産を贈る事で返礼とするにしても、観劇の件は完全におこぼれと言うか、幸運を分けて貰っているだけだ。
 男の俺が一緒に居れば虫除けにもなるだろうに、そしてロビンがナンパに困らされていた場面も見たのに、迎えに行く発想が浮かばなかった。

「待って俺なんかすごい格好悪い気がする」
「今の時点では何も失敗してねェよ、大丈夫大丈夫」
「もしアルトが居ない場面で悪質なのに絡まれても、ニコ・ロビンならどうにでも出来るだろう。能力者って言ったって、愛用の武器もなくあのレベルの懸賞金懸けられる女海賊は一握りだ。ただそれとこれとは別にして、男としての気遣いや頼り甲斐を示しておくのは損しないぞ、って話だな」

 分かるような、分からないような。頼り甲斐と言うならば、ロビンもナミも俺の戦闘力について一定の信頼は寄せてくれていると感じるが、ペンギンが言っているのは男らしさだとかそういう方面だろう。

 女性から見た男らしさなどさっぱりだ。元の世界ではそういう事を気にする機会も、意欲もなかった。美食ハンターの立場を活かして飲食業界で活躍したいなら社交性を磨く必要はあっただろうが、世界各地で食材探しに勤しむ生活が性に合っており、商品の取引相手とそつなくコミュニケーションが取れる位の言葉遣いが出来て、最低限のマナーに関する知識があれば充分だった。
 そして美食ハンターの元へ異性のエスコート依頼が舞い込む訳がないので、俺が習得したのは主に目上、格上相手の物言いだ。

「ナミちゃんもロビンさんもしっかりしてるから、付き添わなきゃって直ぐ思いつけなかったな……」
「まァ、その辺は経験が物を言うのもあるって。そんな気にすんな。女だからってあからさまに非力扱いしちまったら気分悪くさせるかもしれねェけど、気遣われて嫌がる奴なんてそうそう居ねェよ」
「そうだ、観劇なら髪を少し弄ってくと良いぞ。やっぱり視界が開けてると見やすい」
「ペンギンさんてホント物知りだね…」

 思いがけないアドバイスに、つい感想を零す。
 元の世界でも演劇舞台の鑑賞には縁がなかったが、舞台上を生身の役者達が動き回る事ぐらいは流石に知っている。
 自然と顔を動かして気になるものを目で追う場面もあるだろうし、オールバックにまではせずとも、前髪を弄るのは確かに良さそうだ。演目は悲劇悲恋の類いではなさそうだったし折角なら楽しみたい。

 俺の感嘆混じりの一言に、書き物を再開していたローが頬杖をついて此方へ視線を流した。

「前の島でお前、観劇が趣味の嬢に気に入られてたな」
「あっ!? 船長、しーっ!」
「わあ。経験豊富」
「違うぞアルト! 健全な、アレだ、彼女には観劇仲間が居ないしロマンスものを女一人で観るのは寂しいとしょげてたから、ただ一緒に観ただけだぞ!」
「大人だあ」
「そうだぞォ大人の男は女から何かを教わって身につける事を良しと出来るモンだぞォ!」
「普通に良い事言う」

 実際、ペンギンは遊び方が上手いのだと思う。明日出港だと告げると「えー、寂しいわ!」と惜しむのは酒場勤めの嬢が繰り出す常套句ではあるものの、ペンギンは嬢の方から「いつ行っちゃうの?」と尋ねられているのを度々見かける。
 出港の朝に泣き顔の女性が船へ押しかけてきた例もなく、しかしハンカチや服の釦など、安価ながらあっても困らない贈り物を受け取る事がある。

 一緒に呑めて楽しかった、と従業員側に思わせられるのは、間違いなくペンギンの長所だ。だからこうして知識や経験を貯められる。
 情報収集スキルを上達させたいなら俺も振る舞いを学ぶべきなのだろうが、まず『陸地で酒場の嬢と期間限定で親密になりたい』という欲が無い。飲食関連の店員と喋る方が余程好きだ。寧ろ酒場のキッチンスタッフと仲良くしたい。

「二人とも、ありがとう。これからも頼っちゃいそう」
「任せなさい」
「ロビンさんに連絡したいから、此処の電伝虫借りるね」
「個人の番号知ってるのか?」
「ううん、サニー号の女部屋で飼われてる奴の番号。夕方と二十二時以降なら出られる可能性高いからって」
「サラッとドリームナンバーゲットしてんな……」
 



( prev / next )

back

- ナノ -