「決まんない……」

 呟きを口の中で転がす。

 目の前の巨大なドーナツ型プールでは、浮き輪に乗ったルフィがウソップに引っ張られ、背後からサンジに揺らされ、子供のようにはしゃいでいる。

 あちらこちらから笑い声が上がり、絶えず水の音が響き、硝子が嵌め込まれたドーム状の天井からたっぷりと降り注ぐ陽光が水面を煌めかせる。賑やかさと和やかさを混ぜ合わせてほんの少し薄めたような、他人の声が不思議と煩わしくない空間だ。
 流石はポポル島の目玉施設、と普段なら気分良く過ごすところ、私は小さな悩み事が解決出来ないばかりにゆったり寛げずにいる。

 数日前のアルトとの散策は、結果的に高級パフェを無料で食べられて、綺麗なコテージハウスも借りられた。
 パフェの無料チャレンジはアルトが自分の能力で互いの手を温めてくれた事で難なくクリアしたし、ホテルエリア案内所の職員も、先にロングステイのプランで泊まっているアルトの紹介だからか私の素性を尋ねる事もなかった。

 結局パフェは半分以上アルトが食べてくれた上に、スプーンを握っていた方の手は制限時間が終わる頃になると少しばかり冷えていたから、あのまま掌を重ねるだけで居たならチャレンジは失敗していたかもしれない。
 借りと言うには些細な出来事だ。恐らくアルトは何も気にしていないと予想がついても、何処かすっきりしなかった。

 ホテル探しが手早く終わり、コテージを選んだが故に当初話していたラウンジでの休憩をする事はなく、適当な店に入るにはパフェを食べてから時間が経っておらず。
 別れ際に礼や詫びを改まって伝える程の出来事だったかと言うと、アルトも何等損はしていないだけにそうとも思えず。
 静かなホテルエリア内を、互いのクルーの話をしつつ散歩する内にロビンから連絡が入り、その場で別れた。

 そうして一晩経ち、何事も無銭で済むのなら嬉しいし有難いと感じる私でも、流石に同盟相手のクルーであるアルトによる助力を当然だと思うほど傲慢ではない、と気がついた。
 アルトの優しさは、立ち寄る島々で受け取るその場限りの親切や幸運とはまた違う。すっきりしないのは当たり前とも言えた。

 我ながらこうも気にする事だろうかと首を捻っていたものの、一味以外の相手だからだと腑に落ちる。
 けれども私の自己満足のようなものでもあるし、アルトに気を遣わせない程度の、ほんのちょっとした菓子でもお裾分けしようと思い立ち────品選びに難航していた。

「ナミ、フルーツでも食べない?」
「うーん、フルーツね……私サンジくんやアルトみたいに目利き出来ないのよね……」

 アルトは何を渡しても喜んでくれるだろうが、どうせなら多少見栄えのするものにしたい。
 しかし此処は夏島で、仰々しい小箱に入った一粒五百ベリーのチョコレートだとか、色とりどりの飴玉の瓶詰めだとか、そういうものがない。カラフルな野菜の酢漬けならある。
 フルーツは悪くない選択肢だけれど、生の果物をあげてもアルトも困るだろう。

「何の話?」
「え? 何、って……」

 はっとして隣を見ると、首を傾げたロビンの瞳とかち合う。自分の思考に沈んだまま返事をしてしまった。

「ご、ごめん、何でもない! 間違えちゃった! あの、この島出る時何を買ってこうか考えてて……」
「いいのよ、気が緩む時間も大切。苺とパイナップルに水飴をかけて固めたものがあるらしいんだけど、食べる?」
「あ、美味しそう。ついでにヘアゴムも欲しいし、私買ってくる」
「いいの? ありがとう。正面ロビーの売店で売ってるそうよ」
「分かった」

 透け感のある生地で出来たシャツを羽織り、財布代わりのミニバッグだけを持ってビーチチェアから立ち上がる。
 屋内プールエリアを抜けると、知らず歩調が緩んだ。

 ──どうして誤魔化しちゃったんだろ。いっそロビンに相談してみるのも手だったのに。

 壁際に寄ってバッグの中に充分な現金がある事を確認しつつ、要らぬ嘘をついた自分に戸惑う。
 能力者のロビンはプールで涼むのは程々に、ホテルエリア内の本屋が併設されたカフェで過ごす事が多い。合間に散策も楽しんでいるなら、私がまだ訪れていない店も知っているだろう。
 アルトとロビンは会話の温度感とでも言うのか、醸す空気がやけに似通う時がある。好みやらセンスやら、そういうものは私よりロビンの方がアルトに近いかもしれない。

 ──いやいや、私がちょっと気にしてるだけの事にロビンを付き合わせちゃ悪いわよね。

 右往左往する思考を、鞄の留め具を嵌める「パチン」という音と共に一旦頭蓋の奥底へ追いやる。まだ三週間以上滞在するのだから、その内良いものが見つかるだろう。

 気持ちを切り替えて顔を上げ────人ひとり分の空間を空けた先にアルトが立っていて心臓が跳び上がった。

「一人じゃないよね?」
「ロビン達と一緒……。びっ……くり、した……」
「うん、目ェ真ん丸になってた、ごめん。真剣な顔でバッグ覗いてるから、声かけていいのか迷っちゃって…。何かあった?」
「なんにも? 考え事って言うか……甘いもの買いに来たんだけど、ほら、ルフィどうせ一個じゃ足りないって言うかなって」
「あー」

 私はこんなに滑らかに、どうでもいい嘘をぽろぽろと吐き出せる女だったろうか。
 訊けば良いのに。此処に居るのなら、施設の中で気に入った軽食はあったか。
 言えば良いのに。ついでにアルトにも奢ると、たった一言。

 私は、何を隠そうとしているのだろう。

「ルフィ来てるんだ。お昼まだならこっち合流する? 今先輩達と中庭でバーベキューしてるから」
「……い、いいの?」

 思いがけない誘いで、胸中の薄靄が霧散する。
 今日の空は雲が殆どない。直射日光が照りつける昼時の炎天下で外食先を見繕うのは正直億劫に思っていた。

「あの子の人懐っこさだったら大丈夫、先輩も賑やかなの好きな人達が来てるし。ただウチは女っ気ない分、ナミちゃんとロビンさんが来たらちょっと煩いかもしれないけど……」
「気にしないわ。サンジくんも居るし」
「あ、それ聞いて安心。じゃあ俺は氷だけ買い足したいから、買ってる間にルフィ達に声かけて貰ってもいい? そのまま案内するよ」
「うん。此処のバーベキュー気になってたの、宿泊者しか中庭入れないのよね」

「──すみません、どいてください! 通路を空けてくれ!」

 突然、入口の方向から大声が上がった。半袖の白衣を来た男が三人、無人の担架を連れて早足で此方へ向かってくる。中のプールで誰かしら溺れるか転ぶかしたのだろう。
 正午が近付き、売店の並ぶロビーは混雑気味だ。人々が病院スタッフを避けて一斉に動く。

 近くの客が後ろを確認せず下がってくる様子に、併せて私も一歩アルトの方へ詰める。
 瞬間、サンダルから踵がずり落ちた。

「っきゃ!?」

 がくん、と視界が斜め下へぶれる。
 その直後、頭の横と肩が固いものにぶつかったかと思うと、身体の傾きはそれで止まった。

「大丈夫!?」

 旋毛の真上からアルトの声が降る。同時に、左耳は蓋をされたような感覚がある。
 私は今アルトに抱き止められ、ほぼ全身で寄りかかっているような状態だった。

 頬に、自分のものではない体温が淡く伝う。
 



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