ハートの海賊団の朝は早い。と言う訳でもない。
 仕込みや下拵え作業の在るコック達、それから不寝番と交代する見張り番の人員は起床時間も決まっているが、残りの船員は各自に当日割り当てられている用事の内容によって目覚める時間が少しばらつく。
 健康の観点からなるべく朝食を摂る事が推奨されているものの強制ではないので、午前中の雑務が免除されている班の面子は昼時にベッドを抜け出す事もある。

 ただし唯一の例外として、当番制である家事に名前の組み込まれていないローは、それこそ気儘という単語が当て嵌まるような暮らしぶりだ。就寝や起床に関して定刻は決めていないらしく本人の好きな時刻に寝起きしている。
 夜更かしをしていたとしてもその理由は読書、投薬歴の整理、武術の鍛練といったものが主である事から不満を持つクルーは居ない。

 けれども一点、ローの寝起きの良し悪しについては、少なくない人数に思うところが在るようだ。

「まァ、要はタイミングっつーか…ホントそん時の気分次第なんだろうけどなァ。寝起きで機嫌悪ィ場合も、夢見とか室温の高い低いとか、理由あるだろうしよ。ただちょーっと虫の居所が悪ィ時にミスの報告したりすっと眼光がとんでもねェ鋭さで飛んでくるから、寝起きの船長にそういう連絡告げんのは躊躇うなー」

 財産である船内の生活用品や備品を汚損、破損させるなどして廃棄せざるをえない状態にしてしまった場合、この船では基本的に船長のローへ直接報告を上げるのだそうだ。
 ハートの海賊団が保有している貴金属を含む金銭の管理はペンギンを筆頭に数名で行っているが、物資の調達に関する決定権はローのみが持っており、それ故に代替品を買い直すにしてもローの許可が必要になる。

 備品が不足すれば皆が困るので、機嫌が悪かろうともローが私意で理不尽な判断を下す事は無いが、今しがたローとすれ違ったと言うシャチのしょぼくれた面持ちで言う様子からして今は"タイミングが悪い"時間帯のようだ。そうと解っていて船長室へ赴くのは当然気が重いらしい。

「ま、日にち空けて報告する方がよっぽど怒られんだけどさ。次に買い物の出来る島に寄った時の支出額は大まかにでも上陸前に決める事になってっから」
「ちょっとした低額の物なら自分の手持ちで賄ったり、とかはしないの?」
「其処は船長の判断次第。酔ってる時に不注意でグラス割ったりしたら自腹で弁償、襲撃で砲弾受けた拍子の揺れとかで落ちてきた皿をキャッチし損ねて割ったんなら経費、って感じだな」
「砲弾…?」
「…あっ、大砲撃ち込んでくるのは海軍ぐらいだからな!? その辺の二流三流の海賊連中は大砲積んだ船なんか買えっこねェし! 多分!」
「多分…」

 海賊の襲撃事情など俺に予測出来る筈もないので一先ずシャチの発言には頷いておくが、随分物騒な話題だ。自分本位で申し訳ないが俺が下船するまでは安全航行に終始して貰えたなら何よりである。

 それにしてもハートの海賊団は財産管理のしっかりした組織らしい。俺の知っている「海賊」というものは小説などの娯楽作品に登場する、商船や港町から略奪した財宝を船に貯め込む小汚い格好をした荒くれ者集団、のイメージだった事も手伝って、犯罪者達を相手取る表現としては可笑しいが好印象だ。

 ただしその管理体制の頂点にローが座すが故に、彼の寝起きが悪い時に金銭が絡む報告をしたくないと思うクルーの気持ちは判らないでもない。
 今日まで数日を共に過ごした感想として、ローは自分の船員をぞんざいに扱うような人ではなさそうに見えるが、もしかすると内弁慶なのだろうか。俺に対しては基本的に物静かな態度なように思う。

「まあ、出費に繋がる何かしらの失敗を聞かされて良い顔する人はそう居ないだろうけど…報告の内容に関係なく、ローの寝起きのテンションが安定して欲しいって事だよな? 部屋へ行く時に紅茶も持って行ってみたら?」
「紅茶ァ? 船長どっちかっつったら珈琲のが好きだぜ?」
「空っぽの腹に急に珈琲入れるのも良くないかもしれないし、俺のせか…生活してた所では起き抜けに飲むの一時期流行ったんだよ。アーリーモーニングティーって言って」
「アルト今噛んだろ〜」
「スルーして。気付けや目覚まし代わりに濃いめの紅茶をね、ベッドの中で飲むんだって。眠い時に急かされたり真面目な話されると、気分によっちゃ何だか煩わしく感じる事ってあるしさ。話の前に、敢えてローにはゆっくりして貰えば? 起きて間もないとこに話し掛けるより良いんじゃないかな」

 俺の世界、と言いそうになりつっかえたものの、響きの似た単語に換えられた為にシャチには何等聞き咎められずに済んだ。折角クルーの皆に良くして貰えて、かと言って穀潰しにはならず仕事の一部を分担させて貰える環境に居るのだから、無事に別れる時までボロを出す訳にいかない。

 内心緊張した俺の横でシャチは納得と感心を半々に混ぜた面持ちで「成程な」と深く頷き、少し離れた位置に在る一枚の扉──厨房内の食器棚に向かい、しかし直ぐ様身体ごと振り向いて片手に掴んでいる物を此方に突き出してきた。

「っていやいやいや! 船長のカップ割っちまった報告すんだから今回は紅茶添えても良い効果なくね!?」
「ローってお気に入りのカップが壊れたら不機嫌になるような人なの? 何か可愛らしいね」
「いーやきっとンな事ねェ! うん、クールで男前な船長は許してくれるよな、そうだよな! よしアルト、紅茶淹れてくれ!」

 数分後、緋色の液体が注がれたシンプルな円柱形の白いマグカップを片手に、側面にデフォルメ調で白熊のイラストが描かれたアイボリー色の取っ手が割れてしまっているカップをつなぎのポケットへと入れたシャチは、先程手を滑らせてローの白熊カップを割ってしまった時よりも良い顔色で厨房を出て行った。

 後程、夕食の席でペンギンに「次寄る島でさ、ノースブルー産の雑貨扱ってる店あったら絶対オレに知らせてくれな」と零すシャチの姿が在った。
 正直冗談のつもりで言ったが、本当にあのカップはローのお気に入りだったようだ。白熊は寒冷地に生息するから北国にはそのモチーフを使った品が流通しているだろうし、似た物を買えとでも言われたのだろうか。

「シャチが持って来た紅茶、淹れたのお前か。コック連中は違うと言うんだが」
「うん、俺。もしかして苦手な香りだった? 勝手に茶葉混ぜちゃったんだけど…」
「ああ…ブレンドしたのか、いつも飲む奴と味が違う訳だな。…お前、明日も厨房には入るのか」
「朝は洗濯物干す班に混ぜて貰うから、調理の方は昼に仕込みだけ手伝う予定」
「なら昼飯時には食堂に顔出す。同じ奴頼めるか」
「勿論」

 そんなシャチの様子を意に介した様子もなく温野菜のサラダを口に運ぶローの態度は普段と変わりなく、台詞は俺には嬉しいものだ。俺が客人だから手柔らかなのか、シャチがクルーだからこそ手厳しいのか、ローの人柄はまだまだ掴めない。



story idea >> 葵さん(寝起きの悪いローに何かの失敗を報告しなければいけないシャチが主人公に相談)

 


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