『え? ────ぃいやぁああああ手っアタシの、イヤ嘘よ手が手、えェぇあ!?』

 女の声で鳴らされた甲高くも罅割れた叫びに、確実にその場に居た全員の心臓が縮み上がった。

 俺が軟禁された部屋の中は、夕刻の訪れがはっきり分かる目映い橙色の陽光が窓から溢れんばかりに射し込んできて、昼間よりも眩しいと感じる程だった。涼しげな夜の匂いが仄かに漂う。

 男三人は貰った酒には口をつけず、カードゲームに興じていた。アルコールが入った状態で賭けの要素も取り入れたならさぞや盛り上がるだろうに、そういった気分にはなれないらしかった。
 本当に、酒癖が悪いが為に大衆酒場では呑みにくくて、空き家を集いの場にしていた単なる酒好きなのだろうか。少なくとも荒事に慣れている雰囲気はない。屋台の青年が言っていた拳銃の目撃情報も、虚仮威し目的で所持しているのだと言われたらしっくりきそうだ。

 そんな風に俺だけでなく恐らく向こうも油断し始めていた頃に、突如として電伝虫が──正しくは電伝虫の持ち主が、絶叫した。

「……………………」

 嫌な沈黙が落ちる。
 男達は目を真ん丸に見開き、幽霊でも目撃したような怖張った顔で揃って電伝虫を凝視した。

 一人が酷くゆっくりと片手を伸ばし、仲間の顔色を窺う事もなく殻の受話器を電伝虫の背中に戻す。聴いた物の恐怖を呼び覚まして忌避感を煽るあんな悲鳴を、二度聴かされては堪らないと思ったのだろう。正直同感だ。

「……なァ」
「さっきの…だよな?」
「そっ、そーだよな!? さっきの姉ちゃんだよなァ!? ヤベェよ何だ今の!」
「返り討ちだろ!」
「返り討ちって何の、誰に!」
「そりゃハートの海賊団に決まってんだろ!? きっとバレたんだよこの兄ちゃん誘拐したのがよォ!」

 その一言で、三人が一斉に此方を向いた。挙動も表情も完全に冷静さを失っている。
 楽に小金を稼ぐつもりで軍に加担したのに、海賊の手によって雇い主が何か尋常ならざる目に遭ったらしいのだ。しかも悪人の長は億越え賞金首。この上で尚も律義に仕事を全うしろという方が無理な話である。

 これなら脱兎の逃げ足でこの場から去ってくれそうだ。彼等とは対照的に思わずほっと一息つきかけた俺の耳に、予想外の続きが飛び込んでくる。

「きっとあのアマ、オレ等の事も吐きやがる!」
「いや、あれでも海兵だぜ? ンな一般人巻き込むような真似すっかね…それよか早くこっから逃げようぜ!」
「違げーよ、逆だ! オレ達が女から手錠強盗して、ソイツ襲ってんの見たんだとか嘘言われたらどうすんだよ!」
「…………!」
「全員追われてきっと海賊に殺されちまう! 逃げるんなら島の外に出るぐれェじゃねェと駄目だ!」

 なるほどな、と場違いな感心すら湧く。
 確かにあの女海兵の態度は良いか悪いかで言えば大分悪かったし、雇った三人にも金さえ渡せば良いと思っているかのような言動だった。彼等からすれば確実に守って貰えるという確信は持てない相手な上、恐らく救援も望めない。

 俺は三人の名前を知らないので友人宅にでも転がり込まれたら追跡は出来ないし、そもそも其処まで報復したいつもりもないが、そう告げたところで彼等は信じないだろう。俺の顔の怪我は女海兵の所為だが、軟禁は一応三人の助力によって成立している。仮に見張りさえ居なければ俺もさっさと錠を壊せたのだ。

 今までに何度も内心思ってきた事だが、ローの能力は正直エグい。個人の感想だがエグい。恐らく女海兵は手首なり指なり斬り落とされてしまったのだと思うが、驚愕と恐怖と嫌悪を乱雑に混ぜたような声は当然の反応と言える。

 今思い出してみると、シャボンディでローの餌食になった海兵達は順応と言うか、冷静さを取り戻すまでが意外に早かった。当時あの島には億越えルーキーも複数居たので生え抜きが選りすぐられていたのかもしれない。

 あの視覚への暴虐に耐えかねて女が即座にこの場所の位置を吐いていて欲しいと願望を抱いた折、男の一人がやや興奮した目つきで近寄って来たかと思うと、俺の手首の間に提がる鎖を掴んで引っ張ってきた。

「オイ!? 置いて行こうぜ、どうせろくすっぽ動けねェんだ!」
「だからだよ! 海楼石さえ嵌ってりゃあ能力者は赤ん坊みてェなモンだってんなら、人質に出来っだろ!」

 いや頂上戦争で"不死鳥"マルコは海楼石の手錠嵌められてもその後に致命傷は負わなかった、すなわちある程度動けたのではという噂話を聞いた事あるので弱体化の度合いは恐らく個人差あります、と口を挟める雰囲気ではない。

「それに隣島にゃ海軍の駐屯所が在る! コイツ突き出しちまえばきっと路銀くれェにはなるぞ!」

 仮にその賞金調達を成功させたらそれこそハートの海賊団の怒りを買いそうなのだが、脅威が目前に迫っているかもしれない焦燥からか先々の事を想定する余裕はないらしく、三人の雰囲気が何となしに団結したようなものに変わる。

 路銀ぐらい、との言い様に、若干安心したような複雑な心地になる。
 俺の顔を見て名前や懸賞金額が出て来ないという事は、まだそう名は知れ渡っていないという事でもある。まさか六千万の首と知っていたなら路銀という単語は浮かんで来ない筈だ。
 二億のローの苦労や注目度を間近で見て知っているだけに、目が合うなり顔色が変わる相手は同業者と海兵に限られる位がやりやすい。

「悪いな、兄ちゃんに恨みがある訳でもねェがオレ等だって自分が可愛いんだ!」
「シャツか何か取って来い、声出されっとマズい!」

 それにしても三人という数が厄介だ。誰かが動いても必ず一人は俺から目を離さない。反撃したいなら海楼石製らしき手錠を壊すしかないのだが、一旦は鉱物の効力によって弱ったと見せかけてしまった以上、口封じをする前提でなければ自力で破壊してみせる事など実質不可能だ。

 女海兵の存在もある。男達を生かしたとして、けれども女海兵が兎にも角にも"無事ではなかった"場合、当然犯人捜しは行われる。
 この島にハートの海賊団が滞在していたと海軍が知った時、この三人が俺と関わったと突き止めた時、当然海兵は聴取をするだろう。彼等も見た儘の出来事を語る。海軍の事情聴取に答える事自体は任意でも、故意に情報を隠秘すれば罰せられるからだ。

 寝室と思わしき部屋に向かった一人が薄手のシャツを手に戻って来る。いっそ運ばれる間に"香辛料無差別配布(ビビッドシャワー)"で窒息させる方が無難だろうか。
 だが意識を奪えなければ結局俺の逃走は目撃される。それならまだ火事場の馬鹿力で無理に動いているように装って、机上の電伝虫でローかペンギンに連絡した方が確実かもしれない。

 ──この先ずっと、何度もこんな迷いを抱くのだろうか。

 俺が本当に悪魔の実の能力者であったなら、絶対に死に物狂いで外部への連絡と脱走を試みた。
 だけども実際は、簡単に逃げ出せるのだ。今後ああも古典的な罠に引っかかって手錠を着けられる失敗はしないよう努めるが、似た状況に陥らないとは限らない。
 そういう場面で、一人で片を付けられる筈なのに俺が自分の甘さを振り切れないが故にロー達に頼るのは、正しいのだろうか。

 考えてみれば今も、殺しはしなくとも目潰しさえ叶えば手錠を壊す瞬間だけは誤魔化せる。そもそも俺が危機感の不足と油断から現状を招いたのだから極力自分だけで事を終わらせるべきだ。一瞬ローの合流を期待した先程の思考が恥ずかしい。

「ほら、立て!」
「急ぐぞ!」

 鎖を勢い良く引っ張られるが、力が入らないふりをして動かない。目の前の男の顔が明らかに焦りに歪む。俺が意思を持って動けないとなると、鎖に繋がっているのは数十キロの重りでしかないからだ。
 これでは立ち上がれたとしても走れないかもしれない俺に歩調を合わせてなどいられないと思ったのか、男の片腕が腹に回る。担ぐ気で居るらしい。

 もたついている仲間にもう一人が駆け寄ってくる。シャツを噛まされるより先に両手首を引っ張り上げられて膝立ちの状態になり、腿の裏と胸元へ腕が巻き付いてきた。
 他人の体温が直に伝わる感覚が予想以上に不快だ。だが風の吹かない室内で"香辛料無差別配布(ビビッドシャワー)"を吸わせるには俺が彼等の頭よりも高い位置に手を翳さないといけないので、一先ず肩は借りる事にする。

「あっ」

 玄関の近くで焦れったそうに待機していた一人が一声発したのは、不本意ながら俺の身体が正面の男に密着させられた時だった。

 



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