折られて倒された樹木や、砕かれた岩の欠片を避けて歩く。
 ルフィが散々轟音を響かせた影響か、嗅覚の優れた獣には血の匂いも届いているだろうに猛獣の類いが現れない事が幸いだ。"覇王色"の覇気でも持っていれば話は別だが、この体調で獰猛な動物を相手にするのは些か分が悪い。

「なー、おれ自分で歩くって」
「良いから乗っておれ。仲間に会おうにも先ずは身体を治さねば話にならんじゃろう」

 先程から思い出したように同じ台詞を繰り返す背中の問題児へ、同じ宥めを告げる。
 どうにか平常心を取り戻してくれたのは良いが、一味の存在に意識が向いた途端、今度は仲間の安否が気がかりで仕方ないらしい。

 傍目にも満身創痍な割に落ち着きなく足首から先を揺らし、おぶさった姿勢で未だ出口の見えないジャングルの中を見回しているのが気配で判る。

 シャボンディの事。
 麦わらの一味の事。
 現在地と、今ルフィが此処に居る理由。
 ぽつぽつと話をしながら歩く。そうして数分も立たない内に、不意に頭上の枝葉が揺れたかと思うと声が降って来た。

「──ああ良かった、思ったより近くに居た!」
「お前さんはハートの…、"女帝"等に現状が知れたか?」

 眼前に降り立った姿に、幾らか自分の目が丸くなるのを自覚する。
 トラファルガー・ローの船に乗っている、アルトと呼ばれている青年だ。常に船員の誰かと行動を共にしている印象が在ったので彼が一人でこの場に居る事を少し意外に思う。

 此方を探しに来たらしい口振りからして伝令だろうか。決して悪意害意は無いとは言え女人国への無断侵入が見咎められたかと嫌な想像をしてしまうも、アルトは顔に緊張を浮かばせるでもなく、緩く片手を振って否定を示した。

「ルフィが意識を取り戻した事は姫様に伝えたから見舞いには来るでしょうけど、事情を知ればそう頭ごなしに責めはしないと思いますよ。姫様もほら、……アレですし」

 濁した言葉に次いで目線を一瞬ルフィへ向ける仕種で、此処までの道中、空き時間が在ればルフィが眠る病室の前に居たハンコックの姿が思い出される。
 彼女がルフィへ恋慕の情を寄せていると気付いた当初こそ流石に驚いたが、ハンコックがインペルダウン最下層に居るエースの元まで態々ルフィの伝言を届けに来た事と照らし合わせれば気の迷いでもなさそうで、人の好みはそれぞれなのだとやけに身に染みた記憶も新しい。

「…そうじゃな、先ずルフィ君の目覚めを喜ぶに違いない。しかし火急の用でないならお前さんは何故此処に来たんじゃ?」
「あれだけ暴れてたから、流石に二人が心配で。個人的に節介焼きに来ました」

 恐らくは意図的だろう、少々軽い語調で笑ってみせるアルトの態度に内心頭が下がる。
 聞けばハートの海賊団船長であるトラファルガー・ローの当初の意向はあくまでルフィの救出であったと言うし、自分は偶然その場に居合わせたが故に命を繋げられるだけの治療と施術を受ける事が叶ったに過ぎない、善意によって助けられた身だ。

 トラファルガー本人は気まぐれだと言うが、使われた薬や医療用備品などの量は相当な筈。
 一度は手放すも惜しくないと決めた命を見返りなく永らえさせて貰っただけでも有難いと言うのに、こうして術後も気に掛けてくれるとは、世間の評判と実態が随分異なる海賊団だ。

「あーあー、結構血が出てるな。でも予想よりはマシか……」
「……ん〜? …お前、なんかどっかで見たような…」
「見覚えあるの? 会話した訳じゃないのに凄いね。シャボンディで会ったよ、君が"天竜人"殴り飛ばした時」

 背中のルフィが短く唸った後で漏らした予想外の言葉に、土汚れと血にまみれた姿のルフィを見て苦笑を浮かべていたアルトも瞳を瞬かせる。

 インペルダウンで革命軍の面子を続々味方へ引き込んだ強運を目の当たりにした時も思った事だが、ルフィという人間はとにかく"引き"が良い。
 アルトが賞金首である事は脱獄してから初めて知ったが、トラファルガー・ローにしろボア・ハンコックにしろ、そういった骨のある海賊達とこうも何かしらの形で関わりを持っている男もそう居ないのではないだろうか。

 朗らかに応じるアルトの両手が伸ばされ、その片方が人間にしてみれば薄気味悪いであろう蒼い皮膚に何の躊躇いも纏わずに触れる。
 酷く自然な所作で為されたその行為に図らず驚いてしまい、一旦鼓膜に入った筈の発言を聞き流していた。

「あ〜、あン時かァ! って事はハチ治してくれたのもしかしてお前なのか? チョッパーが言ってたんだ、サンジと同じぐらいの背で黒い髪の奴が弾抜くの手伝ってくれたって!」
「あ、それは俺だ。ハチさん無事だったんだ、良かったー」
「ちょっと待て今お前さん凄い事言わんかったか!?」
「んっ?」
「はい?」

 ただ肌に触れるだけで何もしないアルトの様子が気にならない訳ではないが、遅ればせながら脳が理解した前言につい声を上げた。
 裏腹に不思議そうな顔をして視線を向けてくるアルトは今、同様に首を伸ばして後ろから覗き込んでくるルフィが"天竜人"を殴ったと発言した。こんな至近距離では聞き間違えようもない。

「"天竜人"を殴ったじゃと!? ルフィ君、お前さんよくもまあ無事で…いや、今後も海軍は面子の為にも追ってくるだろうが……全く何だってそんな真似を!」
「だってよ、アイツすっげえムカつくんだ! おれの友達撃ったんだぞ、何もしてねェのに! それにアイツと似た格好した女も町ン中で、…っあ〜思い出すとムカつく!」
「俺もあの一家は全員膝の皿の骨が砕ければ良いと思います」
「アルト君その面構えで結構言うのう!? ……、ん…!?」

 インペルダウンに収容されていた影響で最近の情報には若干疎いものの、"世界貴族"の悪辣ぶりは勿論知っている。シャボンディには時々上陸すると聞いた覚えがあるし、地面を這う虫と人間を同列に見ているような連中が殆どなので、実際に遭遇したなら気を悪くする出来事も見聞きするかもしれない。
 だが憤ったとて、誰が海軍"大将"との交戦覚悟で"天竜人"に手を出すと言うのか。"天竜人"に反抗などしない、という暗黙の了解は、海賊の間にさえ浸透している。

 にも拘わらず禁忌を侵したらしいルフィに加え、比較的常識の備わっていそうなアルトまで穏やかな眼差しと声色でそんな事を言い出すものだから、若者特有の怖いもの知らずな気質は恐ろしい。

 そうして思わず勢いでやり取りを重ねている最中、気付いた。怪我の癒えていない身体には足場の悪いジャングル内の歩行は多少なりとも堪え、喋るにしても今や大声を出す程元気は余っていなかった筈が、妙に発声も呼吸も楽なのだ。

 己の身体を見下ろす。勿論、代わり映えなどない。
 だが見上げてくるアルトが少し含みのある視線を寄越すので、直感的にアルトの仕業かと頷けた。

「疲れの度合いとか、幾らかは変わりましたか?」
「ああ…大分良いわい。君も能力者か……すまんのう。かたじけない」
「ジンベエさんが謝らなければいけないような事ではありませんよ、節介焼きに来たと言ったでしょう? ルフィは調子どう?」
「ん? …ん!? 何だ、身体が楽だ! 肉食った時みてェだ!」
「その例えはよく解らないけど大丈夫そうだね」

 ルフィは問われてから初めて具合の変化に気が付いたらしい。今まで大人しく首に巻き付いていた腕が離れて無防備に伸びをする気配を感じ、慌てて脚を抱え直す。
 少しもじっとしていられないルフィを小さく笑って見遣ったアルトがやおら掌を離して一歩下がると、海中から陸に上がったような、屋内から屋外へ出たような、一瞬の外気の変化を肌で感じた。アルトが何も言わず触れてきたのは能力を使う為だったのかもしれない。背後の事は見ていなかったがルフィにも触っていたのだろう。

「本当は念の為一緒に戻りたい位なんですけど、皆を待たせてて。すみませんがお先に行かせて頂きます」
「それこそ君が謝らずとも良かろう。礼を言う」
「ありがとな!」
「二人共ゆっくり休んで、しっかり治してください。それじゃあ、」

 律儀にも会釈を交えて断りを入れたアルトが、海賊らしからぬ良心的な言葉をも添える。
 それが耳に届いて、──次の瞬間にはアルトの後ろ姿が、木々が薙ぎ倒されて出来た不恰好な一本道の随分先まで遠ざかっていた。

「…………」
「…………」
「……えええ、何だアイツすんげェ速ェエ〜ッ!?」
「は…速いのう…。こりゃあたまげたわい…」

 



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