「……あ、…あった…!」

 思わず声が出て、肩から力が抜けた。安堵した途端に足腰の鈍い痛みを思い出してその場にしゃがみ込んでしまう。

 岩と岩の隙間に、ひょろりと背の高くて細い真っ白なきのこが生えている。外観は榎茸によく似ているそれは夏から秋に移り変わる今の時期、十日から二週間ほどの間だけ旬を迎える珍味なのだと先輩ハンターから教えて貰ってからずっと気になっていた。
 樹ではなく土から生える種で、特定のミネラルを含む岩の近くにしか生えず、胞子の飛距離も短いが為に極めて狭い地域でしか採れないが、傘の部分にたっぷりエキスを含んでいるこのスープ・マッシュルームは塩で炒めるだけでも絶品らしい。

 道などろくに舗装されていない山奥の岩場まで登り着くのは決して楽とは言えなかったものの、探し求めていた美味しい食材に出会えると疲れも飛んでゆく。

「……ん?」

 なるべく生態系を壊さないように最低限の量だけ採って、真空パックに詰めて蓋をする。それを仕舞い込む為に背負っていた鞄を地面に降ろした所で、ふと前方の岩場にも同じきのこが群生している様子が視界に入った。

 天然の小さな洞穴になっているらしく、少し湿った気配が伝わってくる。
 オーラを鼻に集め「凝」をして嗅覚を鋭敏にすると、土と岩、苔、それから手元のきのこの香りが嗅ぎ取れる。特に動物の類いは居ないようだ。

 近寄って入り口を覗くと、薄暗い中にぼんやりと白い茸の株が点在しているのが見える。岩の壁に阻まれて胞子があまり飛ばず、この中に固まって群生したのだろうか。希少種だと聞いていたのに思っていた以上の収穫が見込めそうで気が逸る。

 けれども膝をついて、腕を伸ばす為にもう片方の掌を入り口の地面に着いたその瞬間に──皮膚の表面をぞわりと悪寒が撫で上げて、覚えのある感覚に思わずその手を引いた。
 引こうとした。

「!? え、っ……!?」

 力は込めているのに、地面と掌が密着してしまったかのように動かない。
 焦って両目にオーラを集めると、黒々とした地面全体からオーラが立ち上っているのが視認出来た。素手で直接触れたからなのか、何らかの理由でこの洞穴に仕掛けられていた念の作動条件を満たしてしまったらしい。

 次の判断を迷う間に、左手が真下にずぶりと沈んだ。

「ッ、マズい、くそ、何だってこんな場所に念のトラップなんか…!」

 手首から先に伝わる感触は、土でも砂でもない。そもそも肌に何かが触れる感触が無い。
 指先までの感覚は生きている事から穴に飲み込まれた部位が消失する訳ではないにしても、埋まる先が地中でないなら、全身が引きずり込まれてしまったらどうなるのか予想がつかない。

 周りに誰も居ない現状に、瞬く間に背中へ冷や汗が滲んで肌へ服が張り付く。片腕は既に肘の位置まで沈んでしまって、やはり引き抜こうとしても肩が痛むだけだ。
 踏ん張る為に足元に手をつきたくても、恐らく入り口の岩より内部の土に触れれば右手も飲み込まれるだろう。その為無理のある前傾姿勢で抗うしかないのだが、もう首も背中も強張ってきている。

 着々と、ずるずると、呑み込まれる感覚。
 此方の意思も腕力もまるきり無視する理不尽な強制力で片腕が下へ下へと呑まれ、鼻先に段々と地面が近付く。
 確かに湿った土の匂いがするのに、ただの黒土の地などではない事が明らかで、いよいよ緊張から動悸が激しくなる。

「畜生、何で…、っ…!」

 特定の食材を求め辺境や未開の地に踏み入って、猛獣や毒持ちの虫と遭遇する事は何度もあった。葉に触っただけで皮膚がかぶれる植物もあったし、粘着性のある液を出す蔓が身体に絡まって脱け出すのに苦労した事もある。
 だがきのこを採りに来ただけで訳の分からない念に捕まるだなんて予想はしていなかった。俺が迂闊であり油断していたからだと言えばそれまでなのだが、こんな末路はあんまりだ。

 何か打開策は無いかと視線を辺りに巡らせる。
 念がこの洞穴全体にかけられているなら解除の為の条件を満たさない事には助からないが、もし何か物を媒介にしているならそれさえ破壊すればどうにか出来る可能性はあるのだ。

 ふと視界の端、穴の奥の方に鈍い光を照り返す物が転がっている事に気付く。
 目を凝らせばそれが懐中時計だと判った。もしかしてあれが元凶か、と足元の小石を手探りで拾えやしないか目一杯自由な片手を伸ばしたところで。

「うわ、ッ!?」

 余計な事をするな、でなければ時間切れだと言わんばかりに、それまで一定の間隔で沈んでいた腕が一気に地中へ呑み込まれ、勢いも止まらず直ぐに顔が土に埋まって────ぞぶん、と頭全体が沈んだと知覚した直後、視界だけでなく意識も黒く塗り潰された。









 最初に五感が拾ったのは、樹の青臭い匂いだった。

 あくまで俺の場合の話だが、美食ハンターとして様々な作物やら何やらを採取なり捕獲なりする為に各地へ出向く内、耳や目以上に無意識に鼻へオーラを集める癖がついた。
 海中のような匂いも音も頼りにしようがない場所は別として、強い香りを放つ植物を探す時、それから足音を発しにくい毒虫や毒蛇の接近察知に、周囲の気配を探る「円」と併用すると意外と役立つ。

 そうして次に、聴覚と触覚が情報を集める。風が木々の葉を揺らす音、後頭部から背中、脚の裏に伝わる砂利混じりの地面の固さ。
 最後に瞼を開けると、陽光の眩しさが思い切り目に染みた。

「………生き、てる…」

 声を出そうと試みればすんなり出た。事実確認の為に口にした言葉が鼓膜を揺らして、頭蓋に響いて、脳に届く。

 何が起こったのかさっぱりではあるし、解説でもされない限り完全な理解など出来ないのが念能力だ。
 ただ、とにもかくにも俺は生きている。

 そうして深い安堵から大きく息を吐いた俺の視界の横を、何か黒い物がゆっくりと通った。

 



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