『──エントリーナンバー十四、これまた落札! ありがとうございます皆々様──』


「…どうした、仏頂面して」

 競りが始まってから三十分は経っただろうか。オークションも後半、度重なる競り合いと落札に会場全体の雰囲気が下卑た高揚感を内包して賑わう最中に背後から階段を降りてきたアルトは、船長の右隣に空いていた一人分のスペースに無言で、且つ渋面という単語がぴたりと当てはまる容貌で腰を降ろした。
 年相応に感情を表に出す奴ではあるのだが、こうもあからさまに顔をしかめている所は初めて目にする。

 俺が座っている位置は船長の左隣なので前屈みになって顔を覗くようにしながら問うと、アルトは此処へ来る前に購入しただろう荷物の入ったボンバッグから「偉大なる航路饅頭」と書かれた箱を取り出し、包み紙を剥がす合間に溜め息を一つ零した。

「"天竜人"見かけた。ペンギンさんグラマン食べる?」
「ああ、貰う。…で、"天竜人"を見ただけでそんな不機嫌なのか?」
「何か言われたのか? オレも食いたい」

 感じが悪い、という程ではないが明らかに拗ねたような声色で受け答えをするアルトに、一例後ろに座っているシャチもアルト側の背凭れへ腕を寄りかからせながら話に加わる。
 肩越しにシャチへまんじゅうを二つ渡したアルトは少しばかり迷うように唇を薄く開いて一拍置いた後、普段の好青年然とした姿にはおよそ似つかわしくない面構えの儘で小さく呟いた。

「何も言われてないし、されてないよ。…ただ、言動を見聞きして、環境が生んだ害悪らしいって事だけは分かった。あとこの場の光景が単純にムカつく」
「………フフ、」

 何とも辛辣な言い様である。この会場にも親子らしき男女の"天竜人"が訪れてはいるが、今のところ単に傲慢を極めた輩にしか見えないので俺個人は何も感想は無い。勿論関わりたくなどないが、俺の、ひいては船長の目につかない所でなら別段蛮行の限りを尽くそうと正直構わないのだ。

 決して短気でもないアルトに此処まで言わせるとは、と若干驚きながらシャチからまんじゅうを受け取ると、黙して舞台を観覧していた船長が低く含み笑いを漏らした。横目に見れば唇の端だけが上がっている。

「その感覚を覚えておけ、アルト。お前は"正気"だ」
「…何、どういう意味」
「ゴミが口を利いて歩いていようが、ソイツの腐臭で鼻が曲がる思いをしようが、ソイツが何処ぞの誰かしらを腐蝕させようが、大半の奴は自分の身にさえ影響が及ばなきゃそれで良いと考える。俺達も例外じゃねェ。油断が大敵なら同情は足枷、不可視の感情に惑わされてちゃ世話ねェからな…。だが、お前の反応が可笑しいとも別に思わねェよ。"世界貴族"の腐敗ぶりは噂に聞いてる」

 舞台の上では綺麗な顔立ちをした奴隷の女が一切の情動を削ぎ落とした無表情で錠に繋がれた両手をだらりと下げて佇み、隣に居る司会者は品の無い笑みを浮かべて客が次々に掲げるプレートの金額を読み上げて、つり上がってゆく売値に他の客が拍手や指笛を鳴らしている。薄ら寒い活気の中でこの一角だけ雰囲気が微かに強張った。

 船長が語る言葉に、俺だけでなくシャチもベポもオークションの進行状況ではなく二人へ目線を移す。船長はアルトの感覚が正解だとは言わないが、明言しなくともほぼそう言っているようなものだ。

 どうやら自分が咎められている訳ではないと気付いたアルトは肩の力を抜く素振りを見せながらも今ひとつ船長の言いたい事が噛み砕けないらしく首を傾げ、続けてシャチに上から遠慮なく頭を撫でられて更に困惑した顔になった。

 船長を筆頭にハートのクルーは虐殺の趣味こそ無いとは言え、「いっそ殺してくれ」と相手に懇願されるような所業も必要が生じれば行うし、先ず自分が──そして俺を含むクルーからすればトラファルガー・ローが第一である意識と思考には、十人中九人が当たり前に持つであろう良心が欠けている。

 凡庸な人生を歩いてきた訳ではあるまいに、アルトの倫理観は酷く真っ直ぐだ。この先も歪まずに居るか否かは何とも言えないが、少なくとも今現在はアルトの長所の一つである。
 要するにアルトは「人間が人間たる要素をきちんと備えているな」と船長に褒められたのだが、本人がそれに気付くのはいつの事だろう。

『何と破格! 美しい踊り子パシア、八十万スタートで──』
「お前がノロマだからだえ! コイツ本当にムカツクえ〜っ!」

 いつの間にか女奴隷の競りは終わっていた。縦に十九段ある客席の中央付近の段に腰掛けている俺達の左右からも前後からも、何度目になるか分からない歓声と拍手が沸き起こる。
 そんな中で背後より聞こえた怒声に何の気なしに振り返ると、出入口近くにもう一人の"天竜人"が現れた所だった。

「船長、もう一人…」

 会場内の観覧席は四つのブロックに別れており、世界貴族専用のVIP席は俺達が座っているブロックの前方に在る。

 何とも間抜け面をしたあの"天竜人"が横の通路を通るだろうかと念の為船長へ声をかけようとして────不意に、冷えきった手を背中側から衣服の中へと差し込まれたような寒気に襲われた。

「………っ!?」
「…アルト、お座りだ」

 船長の声が低く響いたと同時、冷気に酷似したそれは霧散する。何故アルトの名前が出るのかと隣席へ視線の焦点を戻せば、唇を尖らせたアルトの頭に船長の片手が置かれていた。

 舞台を見ているようで見ていない虹彩の奥に、ちらちらと剣呑な光が瞬いている。
 その様子と、上陸前に俺やシャチがアルトを指して忠犬だ何だと揶揄した時の事を引用した船長の台詞とで、今の皮膚を刺すような殺気を放ったのがアルトだと遅ればせながら理解した。

「ちょ、船長お座りって、アルトは犬じゃないんスから…」
「アルト大丈夫? 怖い顔してたよ。アルトが見た"天竜人"ってアイツ?」
「…ん、そう。まさかまたあのふざけた声聞くと思わなかったから耳に入った途端イラっときちゃって」

 丸い耳を小刻みに動かして首を傾げるベポの問いに答える新参後輩の顔に浮かぶのは、やや申し訳なさげな笑みだ。

 それを見て漸く、俺の腹の底で燻っていた緊張が掻き消える。他人の殺気で肌が粟立つなどいつぶりの体感だろうか。
 なるべく細く息をつく。だが船長には気取られたらしく、薄灰色をした瞳が此方を向いて多少の笑みを孕む細まり方をした。

「キャーッ!」
「うわっ!? どうしたんだアイツ…!」

 そんな折に前方、舞台に近い下段の方から賑わいを引き裂く甲高い悲鳴が上がった。続けざまに商品である大柄な男が横倒しに倒れ、みるみるその口元から真新しい血が流れ落ち始める。

「あーらら」
「あの人どうしたの?」
「自決じゃないか? 舌を噛む程度で出血死出来るのか分からないけどな。しかし、舌って神経の塊みたいな物なのによく…」

 ベポの疑問に背後へ振り向いて答え、顔を戻した時には壇上が幕で覆われていた。司会者の説明は聞いていなかったものの格好からして海賊だろうあの男の末路など、奴隷にならずに済んだ所で明るいものにもならなさそうだ。

 血痕の掃除の為か数分の間が空いてから再び司会の男が顔を出す。大きな布に覆われた箱か何かも台車に乗せられ後続して出てくる中、先程の男に関して『緊張して鼻血を噴いた』と空々しい説明をした長髪の司会者は次に片手を高く挙げ、一層声を張り上げた。

『これからご紹介させて頂きます商品は、こんなトラブル一瞬で吹き飛ばしてしまう程の〜ォ…超〜ォ目玉商品っ! ご覧くださいこのシルエット、探し求めておられる方も多いハズ! 多くは語りません、その目で見て頂きましょう!』

 



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