「もうそんな所まで来ていたとは…。シャボンディはあくまで観光地だからホテルは充実していても住宅街は少ないでしょうし、やっぱりアルトは此処で降ろした方が良さそうですね」
「この島に住んで、何なら時々シャボンディの治安が良い地区へ遊びに行くような暮らしで充分かもな」
「今日中に買い物済ませて、明日にはアルトも上陸させましょうか。陽が出ている時間帯の方が何かと見て回りやすいでしょう」

 本屋と言う場所は基本的に静かな空間であるからか電伝虫で連絡を取る為に一旦店を出るペンギンを横目に見遣り、視線だけで店内を見回す。

 一階は主に文学的な、小説やエッセイの類いを中心とした品揃えで、興味を惹かれるような文字列は見当たらない。
 ならば、と階段を昇って二階へ上がる。それぞれの棚に「歴史」、「地理」、「図鑑」といった文字を視認して手近な列に歩み寄った。

 店内に居る客は疎らで、他人の足音も息遣いも然程聞こえず、空いた窓から外の気配と風が不規則に入り込んでくる。棚の素材に使用されている木と紙、インクの匂いが薄く漂う此処は自分の部屋に空気が若干似ていて居心地は悪くない。

 図鑑や辞典が並ぶ棚を通りかかると、小柄な初老の男が背伸びをして本を取ろうとしている所に遭遇した。俺の胸の辺りまでしか身長がないその男が手に取りたいのは上から二段目の列に在る本らしく、指先は本の背に届いているものの、隙間なく詰められた書籍の内の一冊を引き抜く事は出来そうにない。

 背後へ近寄って新緑色の表紙を持つその本を抜き取り男の手元に差し出してやると、男は本と俺の手を見下ろしてから此方を向いて、刺青だらけの肌に驚く様子もなく皺の寄った目尻を細めた。

「あァ、すまないね。助かったよ、この店は脚立が一階にしか無くてなァ」
「気まぐれだ、気にするな」
「君も医者かい?」

 本を渡してさっさと物色に移ろうとしたが、続く言葉に足を止める。是とも否とも答えず顔だけで振り向けば男はもう一度眦を細めて穏やかに微笑んだ。

「爪がしっかり切られていて、男性にしては随分きちんと手入れされているし、指先もあまり荒れていないからもしやと思ってね。違ったなら気にしないでくれ。手元に気を遣うのは医者に限らんしな」
「…いや、合っている」
「おお、そうか。若者が医療に関心を持って学んでくれるのは嬉しいねェ…。この島は昔から、身の周りにある薬草や植物を漢方として治療に使うやり方が主流でな、その手の図鑑の量ならきっと其処らの島にゃあ負けやせんぞ。君の旅に役立ちそうな物があると良いんだが」
「その漢方薬の製造法を記したような本は売ってねェのか」

 にこやかに話をしていた男の表情が、俺の問いかけを受けて幾分曇る。何かを惜しむような目の色をして浅く溜め息を零した男は、本を持っていない方の手でカーテンが風にそよぐ窓辺の方向を指しながら眉を下げた。

 指が示す先を追って窓の向こうへ目を凝らせば、島の三分の一は占めていそうな住宅街の更に奥に、円柱形をした塔が見える。先程は住宅街の入り口ぐらいの位置で引き返したからあんな建物が在る事には気付かなかった。

「薬というものは、正しい知識を持った者が正しく使わねば毒にもなり得る。そういう考えから製薬技術を記した本は全て、あそこに見える図書館で保管されているんだが……本が湿気にやられたり黴が生えないよう風の通りが良く、しかし風雨を凌げる設計のあそこに、三ヶ月ほど前から海賊が住み着いてしまってな…。本を借りるどころか入館するにも理不尽に代金を請求され、歯向かうならば蔵書を燃やすと言われて、今のところ言いなりだ」
「自警団もねェなら海軍を呼んだらどうだ。この島はマリンフォードからも決して遠くはねェだろう」
「いざ交戦になって、刀や銃火器で本が被害を被っては堪らん…なかなか通報には踏み切れなんだ。滋養、麻酔、鎮痛から感冒まで、あらゆる漢方薬のレシピがあの図書館にあるんだ。ワシらこの島の医者には、患者の命と同じぐらいに大切な財産なんだよ」

 話を聞いて、店を訪れた際に一階の店員が見せた反応に合点がいく。刀を持った男が店へ入って来たから思わず身構えて、しかし図書館を根城にする連中とは出で立ちが違ったが故に安堵したのだろう。

 ほんの十数秒、思案を巡らせる。アルトをシャボンディに連れて行ったところであの諸島は定住地には適さないし、その先のマリンフォードへ海賊たる俺達が送ってやれる訳もない。
 ペンギンが言うようにこの島に降ろしてやるのが良いのだろうが、一見平和そうに見えた此処で海賊の浅薄な悪事が横行しているとは思わなかった。

 漢方薬の作り方が載る本と言うのはどんな島にでも置いている訳ではない。出来ればこの地で閲覧、何なら複写したい個人的な用を抜きにしても、アルトの安住を招く為に取り敢えずはその迷惑な賊をどうにかする必要がある。

「慈善稼業じゃねェんだがな…」
「うん? どうかしたかね?」
「いや。参考になった、礼を言う」
「なに、寧ろ年寄りの愚痴を聞かせてしまってすまんかったの」

 俺が落とした呟きに首を傾げた男に一度片手を振って答え、見た限り一番厚みのある生薬と植物に関する図鑑を手に取って階下に降りた。
 会計を済ませて通りに出る。帽子を被っていても尚感じ取れる眩しい陽の光に思わず目を細めながら目線を動かすと、少し離れたカフェか何かから飲み物の入ったプラスチック製のコップを二つ持ったペンギンが出てくる所だった。

 歩み寄ったペンギンからやや水滴の汗をかいているコップを受け取り、中身の冷たさが掌と指を冷やしてゆくのを感じながら足を進め出す。

「珈琲で良かったですか? この島特産の花の蜜が入ってるそうです」
「ああ」
「それと今、これを買ったカフェの店員や客から少し話を聞いたんですが…この島、現状ちょっとした問題を抱えてるみたいで」
「こっちも厄介者の話を聞いた、多分お前が聞いたものと同じ内容だろう。買い出しの指示はもう出したのか?」
「はい。生活用品と食品の二班に別れて」
「ならソイツ等はその儘で良い。船に戻りながら話すか」

 



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