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人の役に立つ仕事をしてみたかった。
だから旅行で江戸に出た時に悪者を押さえつけていた黒い服を身に付けた集団がとってもカッコ良く見えたし、これだ!って思った。数年後、たくさんたくさん努力してようやく念願の真選組に入隊しからというもの、ありがたいことに憧れの沖田隊長に稽古をつけてもらうことになった。けどこの人、顔は綺麗なのに中身は残念すぎる程にドSだった。文字通り血反吐を吐きながら鍛錬を重ねている。
「弱すぎんだよ。毎日毎日俺の貴重な昼寝の時間を削りやがって。そんな紙切れみてェな筋で敵に向かってく気か」
「っ、もう一回、お願いします…!」
田舎では才能があると言われていた剣の腕もこの人の前ではただのチャンバラごっこに過ぎなかった。沖田隊長は絶対に手加減しない。何度も道場の床に叩きつけられて身体は痣だらけだし毎日汗まみれでとてもじゃないけど年頃の女の子とは言い難い日々を送っていた。
『なんであんな女を真選組に入れたのか理解に苦しみやす』
入隊して少しした頃に廊下で沖田隊長が局長に話していたのを聞いたことがあった。彼はわたしがここにいることを人一倍反対している。男の人ばかりの真選組の中でただ一人、女隊士の存在は確かに浮いていた。だからこそ腕を磨こうと誰よりも稽古や日々の仕事を頑張ってきた。練習では大抵の人には勝てるようになった。それでも隊長には敵わない。
「っ!」
一発食らい倒れそうになるのをギリギリで踏み止まるが無理な体勢から繰り出した攻撃はあとほんの少しのところで隊士に届かずどたん!と音を立てて崩れた。
「終ェだ。昼飯食いっぱぐれちまう」
「…っ、は、っ、ありがとうございました…っ」
息ひとつ乱すことなく今日も道場を出て行く隊長の足音を聞きながら目を閉じた。
一番隊。所属を言われた時は本当に嬉しかった。前線に立てる。それなのに半年経っても未だに討ち入りには出してもらえていない。それは隊長が許さないから。
『討ち入りに女なんて連れてったら士気が下がる、気が散る。戦場に女は要らねェ。どーしてもってんなら俺から一本取れたら考えてやらァ』
というわけでこの稽古には今後の命運がかかっているのだ。絶対に何がなんでも隊長から一本取りたい。討ち入りに行けなくたって日々の見回りや取締りで町の平和を守るのもなかなかに大変な仕事だしやりがいもある。でも、せっかく一番隊に入ったのなら沖田隊長の役に立ちたかった。道場の片付けをして着替えてから食堂に向かう途中、話し声が聞こえて反射的に気配を消した。
「おい総悟。そろそろいいんじゃねぇか、名前を連れて行っても。アイツも見回りばかりじゃ張り合いねぇだろう」
「土方さんがそう言うとは思いませんでした。前線に女を立たせる気があるなんざ」
「名前は、強い。実力はもう俺達の次くらいなもんだろう。近藤さんもそれを踏まえてお前がいる一番隊に入れたんだろうが。ここは実力社会だ、女だからって関係ねぇ。第一本人が望んでんだ」
「へー土方さんも名前が強ェなんて言うんですかい。俺にしてみりゃあその辺歩いてる蟻んこと一緒ですがね」
「お前な、ちょっとは素直になれよあれじゃ新人いじめだぞ」
…どうやらわたしの話をしているようだった。副長は少しでも認めてくれているんだ。それでも沖田隊長から一本取るまでは補欠扱いだ。この半年、流れるような太刀筋を一番近くで見てきた。的確で、容赦なく一点を突く迷いのない隊長の剣を心から尊敬している。いつか、あの人の背中を守れるくらい強くなりたい。それまではこの状況を受け入れるしかない。
*
「あ、銀さん。何してるの?」
「おーチンピラ警察ガール。略してチン毛。散歩だよ散歩。ジャンプ買うついでに新作プリンもゲットしちまったよ」
「略さないでよ。面白くもないし」
見回りも長くなってくると町の人と顔見知りになる。銀さんは何かと現場に居合わせる。万事屋を営んでいる彼は依頼のない日はよく町をぶらついている。
「そーいや気になってたんだけどそのスカートの下ってやっぱパンツなの?それとも見せパン?ちょっとめくってもらえますぅ?」
「警察にセクハラしないでもらえます?逮捕するよ」
「いーよー別にー名前ちゃんが世話してくれんなら」
「うわっド変態」
「どーなの?女の子一人でむさ苦しい真選組にいるのは」
「…えー別に男も女も関係ないと思いますけど。強い人が生き残る的な感じでサバイバル感があっていいですね」
ちょっとだけ嘘だった。思いっきり女だからって仕事を制限されている。うまくいってるって言いたいだけだ。
「ふーん。まー危ない事件には首突っ込むなよ」
「危ない事件が起きたら真っ先に駆けつけるのが仕事でしょ」
「……そりゃそうか」
「あーあ、わたしやっぱ向いてないのかなぁ。いつになったら沖田隊長に認めてもらえるんだろう」
思わず本音が漏れた。銀さんのゆるい雰囲気に心の声もゆるゆるになってしまった。町の安全を守るべき存在が住民にお悩み相談してどうするんだ。
「思春期だねぇ」
「いえそれは関係ないです」
「ま、頑張んな」
そう言ってスーパーの袋から取り出した新作プリンをひとつ手に乗せて帰っていった。こんな地味な優しさがとても嬉しかった。
*
「あれ?プリンがない…」
夕方、食堂の冷蔵庫に入れたはずのアレがなくなっていることに気付いた。昼間銀さんから貰ったプリン。名前書いたのにな。おかしい。
「美味かったぜィ」
嫌な予感。まさか。振り向けば沖田隊長がニヤニヤしながら空っぽになったプリンの入れ物を投げて寄越した。それを受け取り確認すればちゃんとわたしの名前が書いてある。
「隊長!これわたしのなんですけど!ホラ名前かいてあるでしょ!」
「だから返しただろ、容器は。中身には名前書いてなかったんでね」
「はあ!?中身に名前なんて書けるわけないでしょう!」
「じゃあそれは誰のモンでもねぇよなァ」
「な……!」
ムカつく…!!めちゃくちゃムカつく!!身長差もあって思い切り見下されてる。せっかく銀さんが元気付けるためにくれたのに!もう、もうほんと、
「沖田隊長なんて嫌いです…!」
「ああ?」
こういうからかいは今までにも何度かあったけど今日こそ許さない。今日は絶対許さない。めちゃくちゃ苛々しながら食堂を出て道場に向かう。これから夜の稽古だからだ。もちろん沖田隊長と。あー嫌だ。嫌だけどサボるのはもっと嫌だ。「名前」。隊長がわたしの背中に向かって名前を呼んで棒読みで謝ってくるけど無視した。
「悪かったって」
「………」
「ごめんっつってんだろ」
「ふん」
「どうすりゃ機嫌治んだよめんどくせーな」
隊長も次第にイラついてきてる。あ、胴着忘れた。いいやもう隊服のままで。道場の扉を開けて灯をつけてからやっと振り向いた。今日こそ一本取ってやる。
「じゃあいつもの仕返しさせて下さい」
「やってみろよ」
隊長の手を取って隊服のポケットから取り出した手錠かける。かちゃん。沖田隊長、プリンを勝手に食べた容疑で現行犯逮捕します。
「何でィこりゃあ」
「しばらくそれで過ごして下さい。ハイ竹刀持って」
くっついた両手を見て明らかに不機嫌になった隊長に向き直って竹刀を構えた。ちょっとハンデつけるだけだもん。ズルするのはちょいと抵抗があるけどいい加減一度くらい勝ちたい。
「勝負!お願いします!」
「やなこった早く鍵寄越せ」
ダッと床を踏み込んで正面から竹刀を振り上げる。すると軽い身のこなしで避けられる。隊長の身軽さはよく分かってる。避けられるのは想定内だ。隊長が体を捻ったのを見計らって死角になる角度から打ち込む。でもあとほんの少しのところでリーチの差があった。想像を超える速さで体勢を変えた上に足払いされ床に転べば利き手を蹴られ竹刀は道場の端っこに飛んで行った。そしてわたしに馬乗りになって覆いかぶさった。
「鍵どこだ」
「あっ!ちょっと!ないですってば!」
「暴れんなこっちは両手使えねぇんだぞ」
不自由ながらも器用に隊服のポケットを探る隊長の体重がお腹に乗っかって重すぎる。
「だからそれが仕返しなんですってば!…っん!?んん!?」
手足をバタバタさせて逃れようとすると舌打ちの後に落ちてきたのは柔らかい唇だった。え、唇だよねこれ?沖田隊長の顔がめちゃくちゃ近い。近いどころじゃない。硬直している数秒の間にポケットから鍵を取られガチャンと手錠は外された。隊長は馬鹿にしたような顔でこちらを見ていた。
「んな適当なキスで赤くなってんじゃねーよ」
「い、今のは不意打ちなアレだったから、驚いて、き、キスくらいわたしだってしたことありますよーだ!」
「は?誰と」
「秘密です。ふん」
田舎で飼ってた犬ですとは言わないでおこう。沖田隊長が初めてなんて言ったら絶対からかわれるに決まってる。ああでもびっくりした。立ち上がり今度こそちゃんと稽古を始めようと竹刀を取りに行こうすると腕を引っ張られた。がちゃりとはめられたのは今度はわたしの両手。
「えっ何これ」
「暴れられると面倒でィ。お前何気に力強いし」
「だからって何する気ですか」
「仕返し。こすい手使って勝とうとしやがって」
げしっと乱暴に足蹴りにされて両手が繋がっているため難なく床に転んだ。また床。隊士の中でこんなに道場の床に叩きつけられてるのってわたしくらいじゃないかな。
「痛っ!もうやめて下さいってば!」
ごろんと仰向けにされた。足で。ひどい。更には顎を鷲掴みにされて唇を噛まれた。
「いっ!!」
痛すぎる!血出たんじゃないのと思った瞬間舌が入ってきて絡まってく。何これ、なにこれ。これ、適当なキスなんかじゃない。
「んっ…ふ、っ、な、に」
「お前、隊士辞めろ」
ズキン。その言葉は隊長がわたしに言う言葉の中で一番嫌いだった。これまでも何度か言われていた。その度に辛くて辛くて、でも諦められなかった。
「…っなんでいつもそんなこと言うんですか、わたしだって町の人の役に立ちたくてずっと」
「本当は誰の為だよ。そんなに傷だらけにされてまで。田舎に置いてきた男でもいんのかよ」
「…………っ」
いない。いるわけない。人の役に立つ仕事をしたかっただけ。なのに……本当は、いつの間にか、町の人の為じゃなくて沖田隊長に必要として欲しくて稽古に通っていた。認めて欲しかった。お前が一番隊に必要だって、そう言って欲しかった。それだけになっていた。向かい合ったこの時だけはわたしを真っ直ぐに見て対等に扱ってくれてる気がしてた。それが嬉しかった。でも、どんなに強くなってもダメだと言う隊長が憎くて、嫌いで、でも尊敬してて、でも冷たくされる度に悲しくてどんどんぐちゃぐちゃになっていった。
「お前は連れて行かねェ」
「っひどい、たいちょ、」
「万が一目の前で死なれたら俺ァ自分を殺したくなる」
呟いて、また唇が塞がった。きらい、隊長なんて
きらい、わたしの夢を壊そうとする沖田隊長なんてきらい。
「嫌いって言葉、取り消せ」
「っん、ん…っは、きら、い」
なのにどうしても重なる唇から逃れられなかった。拘束された手錠が音を立てる。ひとつも優しくなんてしてくれたことのない隊長の唇が、舌が、この世の何よりも優しく感じてしまうのは何故なのか。その熱で心の奥が解けそうになっていく。絶対に勝たせてくれない沖田隊長のほんとの気持ちに気付いてしまいそうで、怖くて、それなのに溢れた涙は温かかった。
そういうとこがきらいで、そんな貴方が
頑張る新人隊士を好きになっちゃった隊長が『辞めろ』というのは『好き』とおんなじ意味。
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