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▽あなたとの日々



これは銀ちゃんにプロポーズしてもらうほんの少し前の話。
『Caramel』に向かうタクシーの中で、もうすっかり忘れていたあの人との始まりをぼんやりと思い出していた。

高校を出てすぐ居酒屋でバイトを始めた。そこにいたのが彼だった。同い年で、仕事を教えてもらっているうちにすぐに仲良くなった。『バーテンダーってカッコよくね?』と夢を語る彼。特に目標もなくぼんやりと生きていたわたしにはとても刺激的だった。一緒になって動画を見たり勉強したりしているうちに自然と付き合うような関係になり、実家の定食屋を継げと言われた彼は反発して東京に行くことを決めた。一緒に行こうと誘われたわたしは迷わなかった。親には呆れられ弟には心配された。色んなものを置いてきたわたしたちの夢はいつの間にか道を失った。……というのももう昔の話。たったそれだけのこと。きっかけはどうあれ今のわたしは銀ちゃんという素敵な人に出会い、友達もできたし仕事も楽しい。だからここに来た意味は十分にある。もう縛られる必要なんてどこにもない。

カラン、とベルを鳴らして店に入りカウンターを伺うとマスターがいた。優しく微笑み顎で軽く示した先…あの頃よく座った席にその人はいた。懐かしすぎる背中。ひとつ席を空けて腰を下ろした。もう隣に座る関係じゃないから。

「いらっしゃい名前ちゃん、何か飲むかい?」

「うん」

特にリクエストがなくても流れるように手を動かしていく。思えばずっとこのバーに通ってるなぁ。常連も常連。もう銀ちゃんはここで働いてはいないけど、りぃちゃんやゆんちゃんに出会った思い出深い大切な場所だ。
彼はグラスに目を落としていた。勇気を出してちらりと見ると頬は赤く口の端に薄ら血が滲んでいた。え……何これ。

「元雇用主なら一発くらい殴ったっていいだろ?意外と面倒くさいんだよねぇ手続き。あの頃忙しかったしさー」

銀時が入ってだいぶ楽になったけどー、とわざとらしく今の彼氏の名前を出すマスターに意地悪だなぁと苦笑いする。思えば一番近くでわたしたちの崩壊を見ていたのはこの人だった。代わりに殴ってくれたのかな。そのくらいやり返せるのはいっそ清々しい。少しスッキリした。

「…マスター」

「お前にマスターと呼ばれる筋合いはねーな」

「……長谷川さん。本当にご迷惑をおかけしました」

マスターに頭を下げる男の人は、あの頃と似ても似つかないくらい真面目そうなピシッとしたスーツ姿で頭を伏せた。質の良さそうな時計を見てあれから真面目に働いたんだなぁとぼんやり思った。

「名前」

名前を呼ばれついに目が合った。気持ちがあの頃に引きずりこまれる。…久しぶり、だね。やっと待ち合わせに来てくれたんだね。馬鹿、何で相談してくれなかったの、悩んでたなんて知らなかった、お店辞めたって怒ったりしなかったよ、わたしが重荷になってたんだね、いっそ一緒に行くなんて言わなければ…………。
言いたいことはたくさんあった。でもどれも、今のわたしの言葉じゃない。寂しくて悲しくて泣いてたわたしはもういない。

「逃げて…本当にごめん。名前の人生を背負う覚悟がなくて、全部中途半端だった。謝っても謝りきれない」

「…うん」

お待たせ、とマスターがわたしたちに置いたのはギムレット。『長いお別れ』という意味を持つ。二人にぴったりのカクテルだった。
自然と腕を伸ばしてグラスを合わせた。乾杯、なんて言葉はあるわけがない。このカクテルを受け入れ、同じ気持ちだということを確かめるだけの行為だった。

「今思えば俺は本気でバーテンダーになりたかったんじゃなかったと思う。ただ名前と、同じ夢を見てどこか遠くに行きたかっただけだった。二人だけで」

…一瞬、こみ上げるものがあった。視線を落としたグラスの中に走馬灯のように若かった日々が流れていった。同じ未来を約束したあの純粋な二人に名前を付けるなら…それは確かに、青春だった。

「ここで待ってる間、色んなことがあったんだよ。すっごく楽しかった。……わたし、今一番幸せ」

「…そうか」

「一緒に夢を見られて良かった」

叶わなかった。目が覚めて大人になって、懐かしんで初めてわたしたちの夢は終わる。それが今。
ありがとう…と紡いだのはどちらだっただろう。ギムレットを飲み干して席を立った。「お代はコイツ持ちだよ」とサングラスの奥で笑うマスターにまた、と声をかけて背を向ける。もう何かを失うのは怖くなくなったよ。家に大切な人が待っているから。だから………さよなら。振り向かずに店を出た。


次の週末、キャバ嬢としてのわたしの引退イベントが行われた。常連さん達やお世話になった人をはじめたくさんの人がお祝いとお別れを言いに来てくれた。お店の外には届けられたお花が並び、最後のシャンパンタワーと入れてくれたボトルの数々を眺めて、味わった。同期や後輩の子たちからは『あのバーテンダーさんと結婚するの?』なんて言われたけどこの後プロポーズされるなんて夢にも思わなかったから「まだ先だよ〜」なんて笑ったりした。

この日は退くんにとっても最後の出勤だった。なにも一緒に辞めなくても良かったのに『名前さんのためにやってた仕事なんで』なんて彼氏がいなければときめいてしまいそうな台詞をさらりと吐いた。
帰り際、送りの豪華なリムジンに乗り込んだわたしに『まだ仕事あるんで。本当にお疲れ様でした。また会いましょう』なんて仰々しい挨拶だけしてさっさと戻っていってしまった。もっと感動的な別れがあるかと思ったのに、どうもあの子はあっさりしすぎてる。そこがかわいいんだけど。…なんてやり取りもなくなるのかぁ、わかっていたけど寂しいなぁ。
そんなわけでわたしのキャバ嬢人生は幕を閉じた。たくさんの人に出会って楽しい時間を過ごすことができた。この仕事、やって良かった。清々しい気持ちだった。





「名前ちゃん!?何これ!?ちょ、何これ!?」

バン!とノックもせずに部屋に入ってきた銀ちゃんはどうやら先に起きていたらしい。家に帰ってから長々と責め立てられ半ば意識を失う形で眠りについていたわたしは彼が捲し立てる騒音で目を覚ました。左手に慣れない感覚がしてそちらを見ると、昨夜銀ちゃんが通してくれたエンゲージリングがキラリと輝いている。わぁ…本当に綺麗。夢じゃない。わたし銀ちゃんのお嫁さんになるんだ。角度を変えるとより一層光を反射するダイヤに見惚れていると毛布を引っ剥がされた。

「名前ちゃん?起きてくれる?これは一体何ですか?こんなん許した覚えないんですけど!?」

「もーなに?いま幸せを噛みしめてるんですけどー…」

「幸せは後でいくらでも噛みしめていーから説明して」

なんの説明よ、と渋々起き上がるとこれ!と目の前に突き出されたのは女の子向けの雑誌。映ってるのはわたし。

「さっき退がそりゃもー大量にプレゼントやら花やら持ってきたんだけど『坂田さんに』って渡してきたの、なんすかこれ」

「退くん来たの?話したかったのにー、起こしてよ」

「そこじゃねーっつの!なにお前、モデルにでもなんの」

「もーこうなるから銀ちゃんには言わなかったんだよ」

というのも話は数ヶ月前に遡る。新人の頃お世話になった元No. 1の先輩キャバ嬢が今はアパレルブランドを立ち上げていて若い子にそれはもう人気でわたしも何着も服を持っている。その人から連絡があって『通販のフィッティングモデルをして欲しい』と頼まれたのが始まり。ちょうどキャバ嬢を上がろうと決めた頃だったからOKして撮影に参加させてもらった。するとそこにいた女の子向けの雑誌の編集さんと話が弾んで次の号の美容特集に出ることになりその撮影にも出て…と言った感じで話はどんどん進んでいった。

「というわけで毎月じゃないけどちょくちょく呼んでくれることになってるの」

「…お前な、」

「このページのナチュラルメイク、変?」

「めっちゃ可愛い。ハゲそう。鼻血出そう」

「スッピンとどっちが好き?」

問い掛けると雑誌と寝起きのわたしを見比べてうーん、あーーと馬鹿みたいに真剣に悩みはじめた銀ちゃんを置いて顔を洗いに行くと首筋から胸元にかけて散らばる赤い跡が鏡に映った。わ、なにこれ。

「…キスマークだぁ」

すごくくっきり残ってる。銀ちゃんの唇の温度と感触がまざまざと蘇って恥ずかしくなり足早にリビングに行くと所狭しと山積みになっている箱や袋や花束たち。これ片付けるの大変そうだなぁ。でもひとつひとつが大切な思い出だ。全部わたし自身が繋いだ縁。ありがとう、と呟いた声は銀ちゃんにも届いていたらしく後ろからそっと抱き締められた。

「お疲れさん」

「頑張りました」

さて今日から新しいわたしを始めましょう。まずは…そうだなぁ、洗濯から。

「銀ちゃんのベッドシーツ洗わなきゃ」

「お前びっちゃびちゃにしたもんなぁ」

「誰のせい?」

「お互いの部屋にベッド置いて正解だったよなぁ、どっちか汚してもシーツ張り替えずに綺麗なベッドで寝れるもんな」

「そんなことのために持ってきたんじゃありませーん。生活リズム違う日もあるからって別々にしたんでしょ」

「結果ほとんど一緒に寝てるじゃん。つーかもう洗濯機回してっけど。ついでに朝飯もできてるよ。店で出そうと思ってる軽食、食べてみて」

「…もー銀ちゃん大好き!」

「『大好き』もえらく安くなったもんだなぁ」

キスマークを指でなぞりながら笑う銀ちゃんの腕に絡みついてまた幸せを噛みしめた。






「「『Bar Sugar』オープンおめでとー!!」」

いよいよ明日は銀ちゃんのお店のオープンの日。今日は仲間を招待してお祝いのパーティーを催した。お店に来るのは二度目だけどあの夜と違ってとても賑やかで楽しい雰囲気がピカピカの店内を包んでいる。

「銀ちゃんのことだからいかにもバーですって感じの内装にするかと思ったらスイーツバーとはねぇ。女の子受けめっちゃ良さそうだよねー」

「うんうん。すごく良い雰囲気。ふんわりしてるからバーなのに一人でも入りやすそうだし…何より甘いものとお酒って最高の組み合わせじゃん!」

店内を見渡して感想を言うりぃちゃんと、メニューを見て喜ぶゆんちゃん。夕方から深夜にかけて営むことになったこのカフェバーは、偶然にも近くに銀ちゃんの昔馴染みの方が経営するケーキ屋さんがあって商品をここに卸してくれることになり実現した。他にもお酒に合うチョコやアイスもラインナップされている。甘党の銀ちゃんらしいチョイスである。

「所々にあるキャンドルもすごく落ち着く〜、ここ好きだわぁ」

「やったー、このキャンドルわたしが作ったの」

「えっ!?名前ちゃんが!?意外…!」

そんなに驚かれるとちょっと恥ずかしい。難しそうだけどやってみると面白いよと返す。

「細かい作業割と好きなんだぁ。あ、そうだこれどうぞ。試作で申し訳ないんだけど」

「何これ芸術品…!?」

二人に渡したのは花がモチーフの手作りのアイシングクッキー。やってみたら絵を描くみたいで楽しくてどんどんハマってしまっている。もう少し上達したらお店に置いてやるって銀ちゃんに言われたから頑張ろうと思う。
銀ちゃんは人を伸ばすのがとても上手い。どんなに失敗しても『次はこれより絶対上手くできんだろ。ほらやってみ?』と笑ってくれる。彼も気が遠くなるほどの時間をかけてバーテンダーとしての腕を磨いてきているからその辺りのやる気を引き出すのが得意なのだろうか。

『とにかく面白そうだと思ったら片っ端からやってみろよ。お前、金と時間は有り余ってるんだし』という言葉通り、仕事を辞めたわたしはあらゆるものに挑戦し楽しんでいる。先輩のアパレルブランドの撮影やハンドメイドもそうだし、ネイルの資格を取るために勉強もしているところだ。そして明日からはしばらく銀ちゃんのお店の手伝いに入ることになっている。やってみたいと思ったことを全部やらせて貰える環境に感謝しながら、それを支えてくれる銀ちゃんを見るとふいに目が合った。マスターと話しながら、ん?と優しく細められた眼差しに心が満たされる。

「てゆーか!てゆーか名前ちゃん、婚約おめでとう!それ!電話で聞いてはいたけどめっちゃきれーい!似合いすぎてる!」

「おめでと!いやほんと…いったいいくらしたのってシロモノよねぇ」

愛だよねぇとりぃちゃんが笑う。で、籍はいつ入れるのと聞かれた。銀ちゃんはすぐにでもと言ってくれたけどお店が落ち着くまではそっちに集中しようと提案した。だからもう少し先かな。

「結婚式できるといいなぁ」

「絶対するでしょ。100%するよ銀ちゃんは。ウェディングドレス着せたくてしょーがないって感じするよ」

「今度女の子だけでお祝い会しよー!」

「ありがとう!ゆんちゃんは体調どう?お腹おっきくなったねぇ」

「順調だよー、腰痛くて大変。性別は生まれるまで聞かないことにしてるんだ」

「楽しみだね。わたしベビーグッズ買いすぎて銀ちゃんに怒られちゃった」

「みんな気早いよー。りぃちゃんはどう?退くんとは」

「んー…………うん、」

少し離れたところでドリンクを飲んでいる退くんをチラッと見たりぃちゃんは微妙な返事をした。

「ん?」

「え?付き合った……んだよね?」

先日めでたく恋仲になったと報告を受けていたのに不穏な空気を感じて三人で身を寄せ合う。ひそひそと囁くりぃちゃんの言葉を聞き逃さないように耳を澄ませた。

「…初めてだって言うから色々教えようと思って仕込んでみたら凄い素質あったみたいで…会う度に足腰立たなくさせられてる」

「………!」

「うわ、大人しそうな顔してやるなぁ……!」

…なんか、聞いちゃいけないことを聞いてしまった気分。退くんてばいつの間に大人の階段登りまくっていたんだろう。経験豊富なりぃちゃんにここまで言わせるとは、さすがなんでもそつなくこなす元黒服。退くんを目で追っていると帰るようで銀ちゃんに声をかけていた。

「じゃ、そろそろ失礼します」

「おー退、明日からよろしくな」

「こちらこそ。坂田店長」

……え?いま、店長って…言った、よね?目をぱちくりさせているとこっちに近づいてきた。

「退くん、?」

「お先に失礼します。…名前さん、また明日」

ふわりと笑った退くんは流れるようにりぃちゃんを連れて店を出て行った。残ったゆんちゃんと顔を見合わせる。なに今の。

「退にさー、まだ次の勤め先決まってねーならウチに来るかって打診したらいーですよーって。バーの経験はねぇけど仕事の出来は名前のお墨付きだからなぁ。オープニングスタッフとして雇った」

固まるわたしたちに銀ちゃんが声をかけてきた。え、じゃあまた退くんと一緒に働けるの?

「弟っつーかアレ逆に自分から姉ちゃんの世話焼きに行ってるよな。もー笑うわ。どんだけ名前のこと慕ってんだよ」

「……退くん」

もういいのに。わたしとの縁を切って離れてもいいのに。あの夜のお礼ならもうとっくにそれ以上のものを貰ってる。わたし、退くんを心の支えにしてたの。勝手に。どんなに辛くてもお客さんに言い寄られても私生活でボロボロになっても、お店に行けば退くんがいたから、だから頑張れたんだよ。あんな…たった一晩の出来事の約束、律儀に守って何年も側にいてくれた。それだけでもう十分なのに。

「名前、言っとくけどアイツが自分で選んだんだからな。新しい人生、バーで働くのも悪かねーって。なんでも…大事な女達のために居心地良い店作りたいんだってさ」

その一言でハッとした。そう、だ。退くんも一歩踏み出したんだ。自分のために、自分がやりたいと思ったことをしようとしてる。縁を切ってもいいなんて言っちゃダメだ。この関係は始まりはどうであれずっと一緒に働いてきた戦友であり仲間であり…家族にも似た大切なものだから。

「…そうだね、応援しなきゃね」

「ねぇ名前ちゃん、あの二人お似合いだよね」

「うん。幸せになって欲しいなぁ。お腹触ってもいい?」

「どんどん触って!美人のご利益あるかもだし〜」

そっとお腹に触れてみる。ここに赤ちゃんがいるんだなぁ。幸せを願うことの幸せ。願ってくれる人がいることの幸せ。これまで出会った大切な人たちが今日も幸せでいられますように、そう思いながらゆんちゃんと笑い合った。






「いらっしゃいませ」

チリン、と来客を知らせたドアの方を見ると珍しくお客さんは男性一人だった。待ち合わせかな?『Sugar』は女の子やカップルを中心に気軽に入りやすいバーとして少しずつ評判を呼び忙しくて充実した日々を送っていた。

「お一人ですか?カウンター席はいかがで…」

…あれ、なんかこの人未成年っぽいしお酒を飲む雰囲気じゃない。ていうか見たことある?と思ったら手首を掴まれた。あれ?ちょっと待って?なんか……見たことあるって言うか、

「いらっしゃいませじゃないでしょう」

「……お帰りなさいませ?」

「どこのメイド喫茶ですか」

ほら、知ってる。この子は…

「はいストーップ。俺の店で昼ドラ的展開繰り広げんのやめて貰えます?お客さんここはお触りNGなんですよ〜。いくら俺の婚約者が超絶とんでもなく激烈に美人でも」

手を離すように間に入ってきた銀ちゃんの言葉に眼鏡の奥の目が見開かれた。

「……婚約者?」

「銀ちゃん、悪いけど話がややこしくなるからちょっと黙ってて貰える?」

「へぇ…あの人が実家に戻ってきたって聞いて心配して来てみれば婚約者がいたなんて知りませんでしたよ……姉さん」

「「姉さん?」」

銀ちゃんとカウンターの向こうから様子を見守っていた退くんの声が重なった。うーん、これが修羅場ってやつなのかなぁ。とりあえず営業の邪魔にならないようにカウンターに座って貰うことにする。「名前、休憩な」と気を使ってくれた銀ちゃんに甘えて弟の隣に座った。

「久しぶりだねぇ新ちゃん。ジュース飲む?」

「僕もう19なんで新ちゃんは辞めてもらえますか」

「新太郎、おっきくなったねぇ」

「新八!です!」

冗談なのになぁ。しばらく会わないうちに随分と堅物に育ってしまったみたい。頭を撫でようとすると拒否された。

「反抗期?」

「まともになっただけです。自由にやってる姉さんと違って」

「んーそれは否定できない」

「あんま姉ちゃんに冷たくすんなよ。ほれサービス」

弟に出されたのはガトーショコラと紅茶。本当はワインがお勧めだけどお前まだ未成年かー、と店長は笑った。とりあえずお礼を言ってケーキを一口食べ「美味しいです」と無表情で感想を述べていた。

「なんでわたしがここにいるってわかったの?」

「…姉さんが載ってる雑誌にこの店の紹介出てたから」

「えー、あれ見てくれたの?嬉しい」

「ずっとキ…キャ……バクラで働いてたんですね。あの人と真面目にやってるかと思ったらそんな恥ずかしい仕事…、しかも違う人と結婚なんて。心配して損しました」

口元に浮かべた笑みを崩さずに侮蔑の言葉を受け取った。そうだよねぇ、そりゃそうだ。この子は田舎にいた浮かれてるわたししか知らないんだから。少しの間見つめ合う。ほんと大きくなった。こうやって物事をはっきりと言えるようになったんだね。しみじみしていると店内の穏やかなBGMが耳に届いた。あ、これ好きな曲。

「…ねぇ新太郎。仕事のことを悪く言えるのは、その仕事を一生懸命やった人だけだよ。覚えておいて」

新八です、という返事は返って来なかった。銀ちゃんに休憩ありがとーと言って仕事に戻る。カウンターにいた銀ちゃんはわたしたちのやり取りを見ていたけど会話に口を出さなかった。その後ちらりと様子を見ると退くんと話し込んでいた。この中で一番歳が近いから気が合うのかな。洗い物をしているうちにいつの間にか帰っていた。


「弟くんさー、大学生で今年の春からこっちで一人暮らししてるんだってさ」

「そうなんだぁ」

「失礼ですけどあんま似てないっすね」

「親の再婚で生まれた子なの。新太郎って名前を候補に出したのに却下されて新八になったんだー。でも本当の兄妹と同じくらい仲良いんだよ」

「そうは見えなかったけどな」

閉店作業をしながら思い出すのはまだ幼かった弟が寂しそうにわたしを見送る顔。

「根は真面目で良い子っすね。名前さんがいなくなって寂しかったんじゃないですか」

「うん、そうだね」

テーブルを拭く手が止まりそうになって必死に動かした。嫌われちゃったかなぁ。ああ、結構なダメージ。でも自分で蒔いた種。自分でフォローするしかない。

「あの子、大学どこって言ってた?」

「名前さんが一生行けなさそうなとこっす」

「……退くん」

はは、と銀ちゃんがレジ締めをしながら笑う。この三人のチームワークもなかなか様になってきた。他にもバイトのスタッフがいるからいつでも抜けていいとは言われているけど、このままずっと働くのもいいなぁ。何か役に立てることはあるかな。…なんか色々考えてたらぼーっとしてきた。

「名前さ、さっき弟に恥ずかしい仕事、って言われたじゃん。よく怒らなかったな。つい口出しそうになっちまった」

「『お客様を見た目や仕事で判断したり差別しちゃいけない、どんな人でも一緒に過ごす時間を大切に接すること』…って先輩に教わったの。理解され難いかも知れないけど個人の物差しで決めつけるような子になって欲しくないなぁ。いつかわかってくれるかな」

「名前さんのそういうところ好きです」

「てめ、退。さらっと口説くなよクビにすんぞ」

「当然ライクですけど?すぐ突っ掛かってくんの見苦しいですよ店長」

「うっせーな」

「さーて鍵閉めて帰ろーっと」


数日後、弟の大学で待ち伏せを試みた。テレビでしか見たことがない赤い門。本当に存在するんだ。完全に場違いだとわかっているけど会いたくて来てしまった。行き交う学生たちを眺めていると眩しく輝く若さに目眩がしそうになった頃に目当ての男の子が出てきた。手を振ると露骨に嫌そうな顔。

「今日時間ある?遅くなったけど合格祝いに何か食べに行こうよー」

「…今日は姉さんですか。社会人って暇なんですね」

「え?」

「坂田さんと山崎さんも来ましたよ、日替わりで」

「銀ちゃんと退くんが?何しに?」

「『名前のこと嫌わないで優しくしてやって』って。ご飯奢ってくれました。別に嫌いな訳じゃないのにしつこくて」

「…ふふ、考えることは一緒なんだ、」

並んで歩くのもいつぶりだろう。わたしより大きくなった身体を見つめていると、あの人…と呟いた。

「……あの人と、坂田さんの違いって何ですか。どうしてあの人はダメだったんですか」

「…ダメだったんじゃなくて、銀ちゃんとずっと一緒にいたいと思ったの。時間やきっかけ、出会った場所なんて過ぎれば些細なことだよ」

「恋ってやつですか」

「愛ってやつですよ」

そういう証明できないようなことはよく分かりません、と隣でわたしを見つめる表情はそれでも少しずつ解れていった。

「あの二人のことどう思う?」

「山崎さんは面倒見の良いお兄さん、坂田さんは近所のおじさんってところですね」

「ふふ、近所のおじさんってさー、たまに物凄く良いこと言ってくれるよねぇ。いつも同じような時間に散歩してたりして。見守ってくれてる感じがして好き」

「それ、柳生さんちの爺ちゃんのこと言ってます?」

「そんな存在がいつも隣にいてくれるのって安心するよね」

「…山崎さんから聞きました。姉さんがどんな風に仕事をしてたのか。坂田さんからは……、」

「ん?」

「惚気を延々と。大丈夫ですかあの人なんか変態くさいんですけど」

「……大丈夫、たぶん」

「ああいう人が義理の兄になったら…意外と楽しいかも知れないですね。仕事のこと、馬鹿にしてすみませんでした。幸せそうで良かった。姉さん」

「……新ちゃん…!」

「新八ですってば」

ありがとう!と抱きついて頭を撫でると顔を真っ赤にしながら全力で逃げられた。昔話をしながら二人でご飯を食べて『Sugar』に行くと、銀ちゃんと退くんがいつもの優しい顔で迎えてくれた。



title by Saint Cecilia




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